宇宙混沌
Eyecatch

第3章:武道 [5/6]

「流石に兄さまでも覚えていませんよ」
「…………」
 江雪は執務室の前で複雑な顔をしていた。先程の発言をきちんと謝りに来たのだが、中で弟がそんな事を言っていては入って行きづらい。しかもどうやら審神者の良くない癖が出た様だ。
(……憶えていますよ)
 自分を見下ろす真ん丸な二つの瞳。まるで想い人を見る様なその眼差し。
 しかもその目線は刃紋や地に至るまで詳しく走査され、まだ十代半ばに見える彼女の知見の深さを感じさせた。
 理由は解らないが、きっとこの子には自分は思い入れのある刀なのだろう。そう思った江雪は、暫く彼女の様子を見ていた。尤も、この時の江雪は付喪神の精神体しか持たなかったので、他に何が出来るでもないし、「見る」という動詞もあまり適切ではないかもしれない。
 何分か経って、彼女の友人が呼びに来た。
『コウ! いつまで止まってるつもりなの行くよー』
『ああ、ごめんごめん』
 言いながらも、名残惜しそうに江雪を振り返る。江雪は、その名を記憶に刻んだ。
 あれほど熱心に見つめる客は、そうそう居ない。特に、あんな少女が。その時はただ、興味を持っただけだった。
 此処に喚び出されて目覚めた時、あの真ん丸な目が自分を見下ろしていたので、江雪は危うくその名を呼びかけた。
『コウ……雪左文字と申します』
 その時に気付いた。自分はあの眼差しを気に入ってしまっていたのだと。

 江雪はそっと引き返す。途中で大倶利伽羅とすれ違った。
「おや、それは?」
「ずんだ餅だ……」
 調理セットを買ってもらった礼に審神者へ差し入れるらしい。大倶利伽羅は江雪に一つ渡すと、江雪が歩いて来た廊下を辿る。
 江雪は小夜と分けようと部屋に戻りつつ、想い出に耽る。
(どの様な字を書くのでしょうね……)
 自分と同じだろうか。だが、それを訊く事は出来ない。
 神である自分が彼女の真名を呼べば、彼女を神隠しの憂き目に遭わせてしまう。勿論名を呼べば何でも隠してしまう訳ではないが、気持ちが向いている相手にはその危険性が高い。漢字を知ってしまえば尚更だ。
 神とはいえ、その力を全て意のままに操れる訳ではない。暴走すれば無意識の内に彼女を隠してしまうだろう。
(そんな事は、望みませんね……)
 だから、まだこれ以上は近付けない。今は。
(いつかその名を呼べる日が、来るのでしょうか……)

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