第10話:研究室 [3/6]
「『かざばな』、と読むのですか?」
快速の中で江雪が尋ねた。その手には、コウの身分証、審神者を区別するハンドルネームが書かれたカードが持たれている。
「読みは『ふうか』と登録したが、どっちでも良い」
現世、官庁の外に出ていたが、コウは普段着のままだった。今更江雪に対して真名を隠す必要は無い。政府にバレたら叱責されるかもしれないが、何せ暑さには勝てなかった。江雪にも洋装をさせ、二人はコウの大学へと向かっていた。
「……雪の事ですね」
「そうだな」
一時間弱、他愛も無い話を続ける。テンションの低いコウと元々口数の少ない江雪では、どの話題もそう長くは続かなかった。
途中でローカル線に乗り換え、数駅で下車。炎天下の中、二十分程歩くと、立派な大学の入り口が見えてきた。
「理学部……」
コウは迷わず入り口の近くの背の高い建物に向かう。江雪がその看板を読んだ。
「置いてくぞ」
どうやら学生証が無いと鍵が開けられないらしい。コウに呼ばれて慌ててその後を追う。エレベーターで最上階へ。
「あまり人が居ませんね」
「もう授業終わってる科目もあるだろうし、暑いからな。来てても皆部屋の中でエアコン効かせてるよ」
エレベーターを降り、廊下を進んで一つの部屋の前へ。コウは扉に再度学生証を差し込んだ。扉の横に設置されていたパネルの、「WATANUKI」という文字列が点灯する。
(また真名を知ってしまいました……)
コウが扉を開ける。部屋の中には事務机が幾つか並べられていた。その内の一つに、白い肌の青年が座り、その隣に白い髪の男が立っていた。
「お、風花殿。驚いたな、また清光じゃない」
鶴丸国永だった。流石に重そうな上着は脱いでいるが、相変わらずあの白い衣装のままである。
他の学生は出払っている様だった。
「おはよ」
机に向かって作業をしていたエンはコウを一目見ると、すぐに作業に視線を戻す。エンも、審神者に義務付けられている格好はしていない。
「またバグ?」
「いや、これは僕の研究……。遠隔操作は出来るようにしてもらってたけど、やっぱりこのマシンじゃないと操作感がね」
言ってエンは机の天板一面に貼られた、薄型の入力装置を示す。液晶タブレットを薄く大きくした様な物だ。エンの鶴丸は興味深そうにその作業を見ていた。
「本丸に持って行けば良いじゃん」
「僕、たまに研究室にも顔出してるから」
「あっそ」
江雪は状況を掴めずに尋ねる。
「この方も審神者で?」
「ああ、こいつはエン。精神の転送をテストしてた奴だよ。そんでこっちが」
「試作品の鶴丸国永だ」
鶴丸は自ら名乗る。
「んで、こっちはうちの江雪左文字」
「知ってる知ってる。もっとも、うちの江雪は洋装なんかしないがな」
「よろしくお願いします」
プロトタイプとは言え、見た目はコウの所に来た鶴丸と違いは無かった。百発百中で無事転送できるまでテストし、その時のモデルを実用化しているだろうから当たり前だろうが。
コウは斜め後ろの、本や書類が適当に積み上げられた机に鞄を置いた。コウのパソコンには印字の無い物理キーボードが繋がれている。
江雪には机の下に置いてあったパイプ椅子を勧める。自分は備え付けのオフィスチェアに体を沈めた。
「やっぱ此処の椅子座り心地良いな」
「理論屋はデスクワークばっかだからねー。此処にお金使わなきゃどこに使うの」
机を忙しなくタップしながらエンが尋ねる。
「風花、って呼ばなくても大丈夫?」
鞄からスマホを出していたコウは少しだけ振り返ってエンの後頭部を睨む。
「そっちこそ」
「ああ、風花殿の好きな呼び方で構わんぞ。こいつの名前は穂村陽一だろ?」
またも鶴丸が代わりに答える。
「エンという仮の名は俺が付けたくらいだからな。穂村、炎、えん、ってな」
やはりな、とコウはスマホに目を戻した。
「出欠リスト光るから、どうせ意味無いでしょ」
「そうだね」
時間を確認する。あと五分か。
「先行ってる」
座ったばかりの江雪はコウに連れられて談話室へ。
二つ隣にガラス張りの扉の部屋があった。「時空論研究室」と表札が出ている。
「お、久し振りだな。どうだ? 審神者業は」
中で弁当を広げていたハンサムな男がコウに言った。部屋にはまだ彼しか来ていない。
「まあ、悪くはないですよ」
コウは机を挟んで向かい側のソファに腰を落ち着ける。江雪は黙ってその後ろに立った。部屋を見渡すと、ソファと机の他に、給湯設備やコーヒーメーカー、ちょっとした本棚等が設置されている。壁には、著名な科学者の物だろうか、サインが書かれた色紙が何枚か飾られていた。
「先輩は今日は授業は?」
「高校はもう夏休み」
「あ、そっか」
彼は高校の非常勤講師をしている。
「しっかし、今日も集まり悪いぞ。また教授の機嫌悪くなるって」
「何の用件だと思います?」
「さあな。けど、良くない事だろ、どうせ」
誰かが問題でも起こして叱責されるのではないかと二人は想像していた。
暫くするとエンもやってきてコウの隣に座った。鶴丸は江雪の隣に立つ。ちらほらと他のスタッフや学生も集まってきた。
「あれ?」
エンが首を傾げた。
「名誉教授の色紙が無い」
エンが指差す壁を皆が振り返る。
「本当だ」
「……何かあったのかもね」
自分達に向かっていた不安が、他の者を案ずる心配に変わっていく。
「ふー、えーっと、今日来てるのはこれだけかな?」
最後に、スーツを来てネクタイを締めた初老の男性がプリントを手に姿を現した。
「今一時半ですが、これから話す事は二時までは部外秘に……ああ、二人も来てくれたのか。悪いけど付喪神は……」
鶴丸と江雪は従って外へ。最初から、会合の内容を知ろうとは思っていない。あくまで主の付き添いなのだから。
(しかし……)
江雪はガラス戸を振り返る。中では、皆俯き気味に、教授の話を聴いていた。
(……良くない話でないと、良いのですが)
祈りながらも、コウの横顔がそれを否定していた。
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