宇宙混沌
Eyecatch

第6章:夏の暑さに [3/4]

夏の暑さに

「これはこれは」
 午後から鯰尾と短刀達を連れて出陣予定だったので、カメラの準備をしていた一期は、廊下に現れた姿に目を輝かせた。
「鶴丸殿。お待ちしておりました」
 平野も気付いて今剣や前田達と遊んでいた手を止めてやって来る。積もる話もあるだろう。審神者は一期に彼を任せる事にした。
「忙しくなければ本丸を案内してやってくれ。顔見せと歓迎会は晩にしよう。あと、カメラは置いて行くように」
「馬糞はおやつに入りますか!?」
 すっかり復活した鯰尾がキラキラした目で衝立の奥から声を張り上げる。今起きたばかりで、着替えているらしい。
「おう、食えるもんなら食ってみろや」
 馬鹿馬鹿しさに笑いながら、審神者は組み直したばかりの予定表に鶴丸を組み込む為に執務室へと向かう。
 その途中で、甚平姿の江雪が縁側に座って涼んでいた。隣には、遠征に出ている筈の小夜の市女笠。恐らく兄の為に置いて行ったのだろう。
 とはいえ、この暑さでは髪を上げ団扇で扇いでも汗が吹き出て仕方ない様だが。
「隙あり!」
 審神者はいつも通りの歩調で近付いてから、瞬時に動いて背中側から抱き着く。甚平の胸元から手を入れるも、肌に触れない内に江雪の手が止めた。
「やめていただけますか」
 いつもと同じ、低く落ち着いた声が響く。昨日倒れたばかりだからか、あまりにも暑いからか、ほんの少しだけ元気が無さそうに聴こえたのは、気の所為か。
「少しくらい良いでしょ」
 審神者は大人しく手を引っ込めたが、諦め切れずに後ろから襟を指で引っ張る。
「貴方の手は冷たいですね」
 珍しく、江雪の方から審神者の手を取った。暫く首を冷やす様に両手を広げさせて押さえていたが、それでも人の体温の差は知れているので、慣れてしまったのか手を離す。
「エアコン付ければ良いじゃん」
「私一人で付けるのは勿体無いでしょう」
「そう言ってる奴が熱中症で死ぬんだよ」
 暑いならもっと脱げ脱げ、と強く甚平を引っ張ったので、江雪は痺れを切らして立ち上がる。笠を被って庭の方へ歩いた。陽射しに照らされて、江雪の長い髪が輝く。
 その背を見て、どうしても言わずには居られなかった。
「お前の考えてる事が解らない」
 江雪が足を止めて笠の縁から視線を寄越す。
「解らない事があるのは……私は嫌いだ……」
 どうしても理解出来ない事がある。その事実に打ち拉がれ、行きたい道を選ばなかった自分を、思い出すから。
「……私は」
 江雪はしゃがみ込むと、池の脇に咲いていた花を引き千切った。
「私は……花を手折って愛でるのです」
 意図を掴み損ねている審神者の元に戻る。花をその顔の前に差し出した。
「私は戦いが嫌いです……ですが、一方で躊躇いなく殺める事も、隠してしまう事も、出来るのですよ。それが何であれ……私は刀であり、神ですから」
 江雪は花を彼女の前に置いて背を向けた。去る江雪を、審神者ももう呼び留めなかった。
「……連れて行ってくれても良いのに」
 彼の手で手折られたそれを手に乗せると、指を折り曲げてぐしゃぐしゃにした。

 市女笠を被った男が庭を歩いているのを、一期に案内されていた鶴丸は目撃した。彼が来たと思われる方向を見ると、審神者が何かを庭に捨て、縁側から立ち去ろうとしている。
「ありゃ誰だ?」
「江雪左文字です。板部岡江雪斎の」
「おー、名前は聞いた事あるな。えらく変わり者だと聞くが」
「主に比べたら全然マシですよ」
 既に一度脱がされた一期は笑顔を引き攣らせた。江雪は粘っているが、大抵の刀は鍛刀されてから数日以内に犠牲になっている。ただしショタを除く。審神者はショタコンではないし、下手に粟田口や小夜に手出しすればその兄達に殺されかねないという事は審神者も承知だ。
(……しかし、市女笠とは驚いた。後でちょっかいをかけてみるか……)
 視線を前に戻した所で、鶴丸は違和感を覚える。さっきからベタベタはしていたが、急に身体の表面から水が大量に噴き出してくる。
「いち……」
「はい?」
 一期は振り返ると顔色を変えた。鶴丸は脚に力が入らなくなり、膝を突く。
「何か……変なんだが」
 頭がガンガンと誰かに叩かれているみたいだ。先程まではっきりしていた視界も、今は全体的に暗く一期の顔すらはっきりしない。
「すっかり忘れておりました!」
 一期が大声を出して他の者を呼ぶ。鶴丸のフードの付いた上着を脱がせた。
「人間の身体は摂氏三十度程度でも駄目になってしまうのです。暑い時は肌から汗という水が出ます。その時は、着物を脱いでください」
 人間の身体が初めての鶴丸には、暑い、気分が悪いという感覚も初めてだ。それが人体が発する警鐘なのだと一期は教えてやる。
「三十度? そりゃ驚きだねえ」
 政府の計画が始まってから半年、初めての夏は熱中症患者が続発しそうだ。

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