宇宙混沌
Eyecatch

期待などしない [7/8]

「江雪いつの間にパソコンの使い方覚えたんだ?」
 江雪が近侍として審神者の事務業務を手伝う日が回ってきた。何も言われずともパソコンをカタカタやって当番表やらなんやらを入力し始める江雪に、審神者は元々丸い目を更に丸くする。
「……鯰尾に教えてもらいました」
「あいつ世話焼きだからな。まあでも助かる」
 それから暫く二人共黙々と仕事をしていたが、江雪は喉まで出かかった言葉を吐き出そうかどうか悩んで口をパクパクさせていた。日記を読んだ事を正直に謝るべきか。いやそれよりも、審神者は自分達に一体何を隠しているのか。
 その胸の内を見せてはもらえないか。自分がその力になる事は出来ないか。
「……なに金魚みたいな口してんの? 酸欠?」
「いえ……」
 否定したが、審神者は立ち上がって江雪の隣へ。具合が悪いのかと心配したのか、顔を向けさせて顔色を見る。審神者の身体からは、刀剣達とは違う、女性独特の匂いがした。頬に触れた右手が自分の体温よりも冷たくて、江雪は驚く。思わずその上から自分の手を重ねていた。
 審神者はどうもない事を確認すると、微笑んで手を江雪の喉に沿って下ろす。襟元を摘まれて、流石に江雪も警戒した。
「何を……」
「いや、そういやお前の事はまだ脱がしてなかったなと思って」
 此処で江雪は思い出す。人間が服を脱いだり脱がされたりするのは、入浴や排泄の時と、子を成す為だけであり、それ以外は基本的に淫らな行為として好まれないという事を。そして、この審神者は他の刀剣曰く、男体フェチというやつで、事ある毎に刀剣男士を脱がせたがるという事を。
「……やめませんか、この様な事は」
「別に何かヤバイ事しよってんじゃないよ。ただその胸板拝ませてくれたらそれで」
 成人向けビデオに出てくる男が言いそうな台詞で江雪を落とそうとするが、江雪は力ずくで拒絶する。
「はしたない真似はやめましょう……」
「良いじゃん見せて減るもんじゃなし~」
 江雪に両手首を掴まれた状態で、審神者も負けていない。両手の指を何かを掴もうとするかの様に曲げたり伸ばしたりしながら、江雪の着物の襟を狙う。
「……全員に、この様な事を?」
 この本丸でやっていく為の通過儀礼の様なものかと思えば脱いでやらん事も無い、と江雪は妥協を考える。
「いや、体格が気に入った奴だけ」
 その回答が、何故か江雪の心を抉った。自分だけではない。しかし、全員でもない。審神者の中に刀剣達の順位決めがあり、自分もその中の一人でしかないという事実が胸を打った。例えそれが、審神者の個人的な好みの順位付けであったとしても。
「……っ」
 江雪は居た堪れなくなって立ち上がろうとした。押し合っていた力がバランスを崩し、審神者が顔面から江雪の鎧袈裟にぶつかる。
「った~」
「大丈夫ですか?」
 腕を放して彼女の肩を支えて起こそうとした。審神者の羽織る綿の上着に指が触れると、彼女の体温が緩やかに伝わってくる。小夜の頭を撫でた時の様に。
 その温度が心地良くて、離そうとしていた体を逆に抱き寄せる。この温もりを手放すのが嫌だった。
「コ……」
 思わず名を呼びそうになる。付喪神が気に入った者の名前を呼ぶとどうなるかは、まだ試した事が無い江雪も知っていた。
 神隠し。隠してしまえば良いじゃないか。そうすれば永遠にこの温もりが自分だけのものになる。
「……っ、申し訳ありません」
 江雪はなんとか思い留まると、審神者を離して部屋から逃げる。
 何故隠そうとした。
(私は……あの方を……)
 ただ気に入っているだけだと思っていた。それは違った。
(……愛している……)
 刀が、人間を? 誰も居ない中庭を横切りながら疑問に思ったが、それ以外にこの感情を説明出来そうな単語を知らなかった。
 何故隠さなかった。
(それは……)
 人間の愛し方と刀の、神の愛し方は根本的に違う。神は愛した人間を独占したがる。その結果人間は隠されたり、殺されたりして、仮初の世から去る事になる。
 しかし、江雪は審神者に、現世へ、彼女が生きるべき世界に戻って欲しかった。
(あの笑みが、真に心の底から出ている所を見たい)
 江雪は胸の内で問いかけてくる声にそう答えた。足を止め、桜が散ったばかりの庭を見渡す。
『誰だって出来る』『何にも成れない』
 手に余る程の才能を持つ者が口にする言葉ではない。彼女は何に失望している? 或いは、何が彼女に絶望を与えた?
 凪いでいる池に自分の顔が映っていた。江雪はハッとして後退り、反射した顔から目を背ける。
 池の中から、審神者と同じ目をした自分が覗き返していた。
(……私と、同じですか……)
 何故その力を使わない?
 自分も彼女も、そう言われる事に疲れたのだ。
 江雪は踵を返した。執務室に戻ると、先程の非礼を詫びる。
「んな大層な。寧ろ私が謝る方な気も」
 審神者は何事も無かったかの様に仕事を続けていた。江雪もその隣に座る。
 彼女には何も期待しない様にしよう。そうする事で、彼女が自分の色を咲かせる事が出来るのなら。
 誰かの望みではなく、彼女の望みを追う人生を、彼女に与えてやりたい。そう思う事すら、彼女の負担になり得るだろうかと考えながら、江雪は、ある物を手に入れるにはどうしたら良いかと画策し始めた。

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