宇宙混沌
Eyecatch

期待などしない [5/8]

 それから数日が過ぎた。江雪は希望通り、本丸内での仕事をメインに割り振ってもらい、まだ出陣は一度もしていない。
「一番の新入りなのに、この本丸で一番強いんじゃない? 勿体無いなあ」
 今日は大和守安定という刀の手合せに付き合っていた。安定は手合せ中はまるで鬼神の様な形相で江雪に斬りかかっていたが、終わってすっかりいつもの可愛らしい顔付きに戻ってから話し出す。
「勿体無い?」
「ある才能は使わなきゃ損だと思わない? 主もだけど」
「主も……ですか……」
「主ってね、あんな[[rb:形 > なり]]してるし、男体ふぇち? で迷惑なとこもあるけど、凄いんだよ。計算とか凄く速いし、江雪さんが戦わなくても皆で上手く回していけるのも、主が予定を組むのが上手いからだよ」
 安定はきらきらした目で語る。普段は以前の主の話ばかりしているのに、今日は今の主の事をぺらぺらとよく喋る。江雪は寡黙なので、上手く馴染めていないのではないかと安定なりに心配し、色々話してみているのだ。
「でも、同じくらい戦うのも上手い。江雪さんが来る前は、主が皆の手合せを手伝ってたんだ」
「なんと……」
「現世では武道の選手か何かだったんじゃないの? って訊いた事があるんだけど、ちゃんと習うのはとっくにやめちゃったんだって」
 もう一度お願いできますか? と安定が尋ねる。江雪は頷いて木刀を手に取った。
「それは、いつ頃の話でしょうか?」
「主が武道を諦めたの?」
 安定の言葉に、江雪は確信する。
 あの時、審神者が自分に重ねて見ていたもの。
「んー、十年近く前って言ってたかな?」
「……そうですか」
 それは、江雪が展示の為に地方へ連れて行かれた時期、審神者が博物館で江雪左文字と邂逅した時期と同じだった。

 安定との手合せを終えた後、江雪はそっと、主の執務室を覗きに行った。少し手前で、執務室の中の声が耳に届くようになる。
「今日はもう終わりですか?」
「そうだね。あ、パソコンそのまま付けといて」
「お疲れ様です」
 近侍の鯰尾が仕事から解放されたのか、嬉々として廊下に飛び出して来た。ネクタイを揺らしながら駆け戻る彼をやり過ごしてから、江雪はきちんと閉められずに隙間が空いた障子から中を覗き見る。
 審神者はパソコン、と呼ばれる機械の前に座って何やらカタカタやっていた。時々、右手をキーボードの上からタッチパッド、そして紙のノートの上に移動させながら、何やら真剣に画面を見ている。
 江雪は気付かれない様に気配を殺してその姿を見ていた。その眼差しは、審神者が画面を見詰めるものと同じだった。
 暫くして、審神者のスマホが鳴る。電話らしい。
「もしもし……ええ……。学会ですか……。いえ、私は今回何も進んでいないので……はい、はい……。それで構いません。わざわざありがとうございます」
 審神者は話が終わると、投げ捨てる様にスマホを放り出す。ふうー、と長く息を吐いて、そのまま上体を後ろに倒した。
「『他の人の発表を見るだけでもどうですか』」
 誰かの物真似を始めた。先程の電話の相手だろうか。
「…………惨めになるだけじゃん、そんなの」
 審神者は障子に背を向ける方向に寝返りを打った。かと思いきや、立ち上がる。江雪は慌てて廊下の曲がり角まで戻って隠れた。
 審神者は江雪が来た方向とは反対側へ。もうすぐ夕餉の時間だから、食事の間に向かったのだろう。
 江雪もその後を追おうとした。しかし、開け放された障子の向こうに、画面が付いたままのパソコンが目に入る。
(……いけません)
 盗み見など、いけません。そう語りかける善の声と、盗み見なら今さっきもやっていたじゃないか、という悪の声がせめぎ合い、後者が勝つ。
 江雪は執務室の中に足を踏み入れた。奥の文机には、審神者の仕事の書類が詰み上がっている。文机とは垂直におかれた別の机に、パソコンは置かれていた。
 パソコンや審神者が座っていた場所の回りには、何やら見た事も無い文字や記号が踊っている紙の束。パソコンの画面には、それと同じ記号が時々挿入された文書が表示されていた。
(英語……)
 博物館の展示の説明で見た事がある。とは言っても、江雪は自分や仲間の名前の表記を知っているくらいで、文書の内容は全く読めなかった。
 とは言え、審神者が現世で何をしているのかは理解した。どういった分野かは解らないが、電話で「学会」と言っていたので、研究者だろう。博物館の学芸員も研究者なので、そういった話を聞いた事がある。
 此処でふと、江雪は我に返った。一体自分は何をしているのだ。
 これ以上勝手にものを見るのはやめよう。そう思って踵を返した時、右手の袖がタッチパッドに触れて、パソコンの画面が切り替わってしまった。
(まずいですね)
 慌てて元に戻そうとするが、機械など触った事が無い。どうしたものかと困り果てて画面を見詰めると、それは、審神者の日記だった。

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