第4話:逆三日月 [1/4]
あるじさまをおもうなら、わるくおもわないでくださいね。
数日後。安定の心の傷も随分癒えてきた。
鯰尾達も回復し、今日から安定や清光も含めて出陣再開だ。山伏は一足先に昨日から遠征に出ている。
部隊は無事勝利を収め、本丸に戻って来てから「たまには」と主が酒を出してくれた。
「短刀達の身体は子供だから飲んじゃだめー」
そう言う主も年齢的にはセーフだが、身体に合わないのか殆ど飲まない。
「代わりに現世からジュース調達しましたー」
「脇差は?」
鯰尾が主の目をじっと見詰めて尋ねる。骨喰も珍しく一緒になって目を潤ませていた。骨喰が飲みたがるなんて珍しい。
「うーん、まあ、良いでしょう…」
「やった」
鯰尾は主が答えを言い終わる前に杯に手を伸ばす。骨喰がそこに酒を注いだ。
「お前が飲むの珍しーじゃん」
鯰尾に自分の分を注いでもらっている骨喰に、清光が他の者達の気持ちを代弁する。骨喰は杯に唇を付けながら清光を振り返った。
「昔は良く宴会もやった」
誰かと、という言葉は酒と共に飲み込む。それが誰だったのかは、未だに思い出せない。人間の宴会にお伴していただけなのか、付喪神同士で戯れていただけなのかも。
「ちょっとは、思い出したのか」
記憶が戻った事を、まるで自分の事の様に喜ぶ本丸の皆の輪からこっそり抜け出し、安定は縁側で一人黙々と酒盛りをする。自分でも悪い癖だとは思うのだが、飲み始めると誰と話すのも億劫になるし、純粋に酒が上手くて注ぐ手が止まらなくなる。酒に酔う、という感覚も刀の姿では味わえないもの。初めは気持ち悪かったが、慣れるとどうしてか心地良かった。
酔うと、今も昔も、失ってしまったものもまだこの手に残っているものも、区別が付かなくなる。醒めた後に悲しくなる事も解っているが、やめられない。
「やーすーさーだ」
どのくらい経っただろうか、安定が徳利を何本か空にした頃、清光が肩を叩いた。
「そろそろやめとけ」
「…うん」
もうそろそろ自制が効かないというか、自力で立つ意志すら保てない。清光の肩を借りて立ち上がる。
部屋にはもう一部の酒豪しか残っていなかった。昨日来たばかりの江雪左文字とか言う、小夜や宗三の兄が飲めども飲めども全く顔色が変わらないとか言う事で、薬研や陸奥守達に囲まれて次々と酒を注がれている。というか、主が居なくなった事を良い事に薬研もちゃっかり飲んでいる。
小夜が後ろで青い顔をしながらおろおろしていた。宗三はその向こう側でびくともせずに寝息を立てている。
「兄様、宗三を部屋まで運んで」
「お待ちなさい小夜。この盃を空にしたら…」
と言った途端にまた注がれるという始末だ。清光は助け舟を出そうかと考えたが、流石に安定を抱えていては同時に宗三の相手は無理だ。
安定を引き摺る様に自室へと戻る。廊下の軋む音が五月蝿い。安定はこう見えて重いのだ。歩き方も独特だし、安定の足音だけは誰しもが区別できた。
「ふっ…ははっ…」
途中で安定が笑い出す。何がそんなに可笑しいのかくつくつと変な音を口から出しながら、清光に抱えられていない方の手を顔に当てる。戦場に居る時の様な、理性を失いかけた青い目が指の隙間からチラついた。
「何笑ってんの。うざいよ」
「ふっ…ふふっ…」
答えは無い。完全に酔ってるな、と清光は結論付けて、無視する。部屋の襖を足で開け、安定を一先ず畳の上に寝かせようとした。
が、急に安定が力を込めて清光を押し倒す。
「うおっ?」
急な事だったがなんとか受け身を取って頭を庇った清光は、安定を見上げながら睨み付ける。先日の鯰尾との一件が思い起こされて不快だ。
「お前さあ、介抱してくれた人に対してこれはなくない?」
「付喪神同士なら良いって言ってた」
「はあ?」
駄目だ、会話が成り立たない。清光は安定の下から逃げようとしたが、羽織っていた長着の裾を膝で踏まれていて失敗した。
「正直溜まってくるし」
(それに、泣けば良いのに)
安定もまだ完全に思考停止した訳ではない。ただ、かなり酒が回っている所為で、その論理は滅茶苦茶だった。
主に触れられなくて人肌恋しい。清光はしっかり信頼されていて、悔しいし羨ましい。ああ、苛々する。今剣の態度も鯰尾の対応も。
自分の下でジタバタしていた清光に口を寄せた。清光が赤い両眼を見開く。
「…っ! 何すんだよ!?」
「意外と柔らかい」
その感触に少しだけ酔いが覚める。膝を浮かせると清光がチャンスを逃さずに安定から逃げる。
「結構男同士でもいけるかも?」
「ばっ…お前も鯰尾と同類かよ!」
清光は口を拭いながら怒鳴る。安定がとろんとした目で自分を見ていた。その顔が、清光を押さえ付けていた腕の力や強引な口付けとは程遠く可愛らしいくらいで、清光は動きを止める。
「清光」
安定が四つん這いの格好のまま近付いてくる。逃げなきゃ食われる、そう思ったが体が動かない。
「安…定…」
どうして動けないんだろう。どっちも酔っ払ってるだけなんだ、そう思おうとした。
安定の顔が再び目の前に来る。清光は今度は瞳を閉じた。
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