胸の痛みと恋ときみと [3/5]
(おっかしいな…)
鯰尾は小一時間程、広い粟田口の板張りの床に寝転がり、パソコンを開いて動画を編集している一期を見上げていた。肘を突いて上体を反らし、ずっと兄の表情を窺っているが、
「美味ですな。今度、一箱買ってみるか」
と言ったっきり、いつもの調子を崩していない。
持ってきた三つの器は全て空になっている。一つは一期が、一つは匂いに釣られた鯰尾自身が、一つは一期と共にカメラの中身をパソコンに移していた骨喰が飲んだ。途中で乱が興味津々にやって来たが、
「あ、その紅茶かあ…砂糖入ってないの? ボクの口にはちょっと合わなかったんだよね」
と言って飲まずに戻って行った。まあ、飲みたいと言えば当然ながら一期が分け与えるだろうから、危なかったのだが。
(一体どういう効能なんだろ…って!?)
疲れてきたので頬杖を突こうとした鯰尾は、床に当たった胸にズキズキとした強い痛みが起こった事に驚いた。
「どうした兄弟?」
「あ、いや、ちょっとトイレ」
慌てて部屋を出ると、鯰尾と同様冷や汗を顔に浮かべた鶴丸が、鯰尾の腕を掴んで空き部屋へと連れ込んだ。
「きみ、間違えるなよ!」
小声でそう怒られる。つまり、薬入りを自分が誤って飲んでしまったのか。
「手前と言っただろう?」
「おかしいな、だから鶴丸さんから見て手前のを渡した筈なんだけど」
「あー俺が悪かった! きみから見て手前だった」
とは言え、間違って飲んでしまったものは仕方が無い。二人はそれぞれ深呼吸をすると、気を取り直した。
「具合は悪くないか?」
「胸が痛い以外は、特に」
「そりゃ大変だ! 薬研に診てもらおう!」
「あ、多分薬の所為じゃないです。なんか触った時だけ痛い感じ。こういうのは病気とかじゃなくて外傷とかが原因だって前に言ってました」
この前の出陣でどっかぶつけたかなあ、と鯰尾は自分で服の上から胸を押す。上着の上からではよくわからなかったので、打ち身が無いか鶴丸に確認してもらう事にした。
ジャージの上着を落とし、襟元に巻かれたリボンを解く。鶴丸がなんとなくその指先を見つめていると、ボタンを外すに従って白い肌がシャツの下から見え隠れし始めた。
「胸には痣なんて無…」
寒いので袖は通したまま、肩からシャツを下ろして鯰尾は胸を肌蹴させる。その言葉が、驚いたように尻切れ蜻蛉になった。
鯰尾は自分の胸を、大きな目で見つめたまま固まっている。彼の目の前に胡坐をかいて座っている鶴丸も、驚きを隠せずにぽかんと口を開けていた。
「…おい、これはもしや…」
鯰尾の鎖骨の下からなだらかに始まる双丘。細身の鯰尾には…、いや、男にはある筈の無いものが、そこに出来ていた。
「こりゃ驚いた。女になる薬だったのか?」
言って鶴丸は未だにぽかんとしたままの鯰尾の股間に手を伸ばした。流石にすんでの所で危機を察知し、鯰尾は飛び退る。
「ちょっと何するんですか変態! これだから太刀は!」
「ああ、すまんすまん…」
いきなり下半身を触って確認するなんて、親しき中にも礼儀ありだったな、と鶴丸は反省して乗り出した姿勢を元に戻す。
「で? 男の象徴まで薬で無くなっているのか?」
まったくこの刀は好奇心が勝ると他の事に盲目になるんだから…と呆れつつも、その点は自分も心配だったので、後ろを向いて下半身を確認する。
「…流石にそこまでは」
どうせホルモン剤か何かだったのだろう。胸が膨らんでいるとはいえ、張っている程度のものだし、と思い、鯰尾はシャツを着直して鶴丸に振り返った。鶴丸は顎に手を当てて唸っている。
「それだけか…驚きが足りんな…」
「俺は十分驚きましたけど…」
「これなら、いちに飲ませるよりは倶利伽羅なんかに飲ませた方が反応が面白そうじゃないか」
確かに、と鯰尾が頷いている隙を見て、鶴丸が再び手を伸ばした。今度は下半身ではなく問題の胸の方だったが、ジャージを羽織ろうとしていたタイミングで避けきれず、鶴丸の指がシャツ越しに膨らみへと触れる。
「っ!?」
「痛いか? すまん」
「いえ…」
先程までの痛みはしなかった。代わりに、ぞわぞわと甘い感覚が押し寄せる。不安になって鶴丸の顔を見上げれば、金色の瞳が完全に野獣のそれ。
いや、気持ちは解らなくもない。男ばかりのこの本丸、あの清廉な兄だってAVをパソコンの隠しフォルダに保存しているくらいなのだ。目の前で実物を見せられては興奮しない訳が…。
(いや待って、そもそも俺で良いの?)
「ちょっと鶴丸さん落ち着きましょうか…」
脚に力を込めて尻を擦り、その手の届かない所に逃れようと試みる。しかし逃げればその分だけ距離を詰めてくるのが鶴丸という刀だ。一度詰めた距離を広げられないなら、初めから近付かないようにするしか無いが、今更言ってももう遅い。
何故なら自分から飛び込んだのだから。
「あっ」
鶴丸がシャツの上から胸の突起を弄る。媚薬の効果もあるのだろうか、いつもは触れるくらいでは何とも感じない部分なのに、思わず声を上げてしまう程の刺激があった。
先刻結ってもらったばかりの髪紐が、その結えた手によって解かれる。背中に敷かない様に広げながら、鶴丸は鯰尾を押し倒した。そのまま鯰尾の脚の間に割り入り、シャツのボタンをもう一度外していく。
「上手いですね、何処で覚えたんですか?」
饒舌な者が黙々と手を進めている時は、得体の知れない恐怖感がある。何か喋って欲しくて投げかけた言葉は、逆に鶴丸を煽ってしまった様だった。
「そう言うきみも耳年増だな」
両胸を揉みしだきながら、鎖骨の辺りに鶴丸が口付けを落とす。なんだかこのまま一方的に欲求を果たされる事が嫌になって、鯰尾は彼の背中を叩いて抵抗した。大声を上げる事は簡単だが、兄弟の部屋が近い。一期や骨喰にはあまり見られたくない状況だった。
「本来は恋人同士がこうするんだろう? なら、こうすれば俺達は互いに恋をした事にならないのかい?」
鯰尾の胸に顔を埋めたまま、そう問う。鯰尾は叩くのを止めると、失笑して吐き捨てた。
「そうかもしれませんね」
嗚呼、何故自分はこんなに苛立っているのだろう。それは、自らの身体をなすがままにされているだけが理由ではなかった。
恋をしたのならそう告げて欲しい。
下らない建前なんて棄ててしまえ。
でなければ失う事になるのだから。
「鶴丸さん」
鯰尾の願いを察したかの様に、鶴丸は頭を上げると今度は少女の様な唇に吸い付く。AVに出てくる人間の真似事なのか、それとも肉体の本能的にやっているのか、その隙間を抉じ開けて歯を舐めてくる。形だけの接吻では当然満たされない鯰尾が噛みついてやろうと思った時、鶴丸の指が再び先端を掠めて背がしなる。
「そんなに良いのか?」
「くっ、薬の所為ですってば…ぁんぅ!」
敏感になっている事を知っている癖に敢えて摘まんでくるなんて。
「おっと」
理不尽に怒って鶴丸の手を掴んで払いのけると、バランスを崩して白い顔が鯰尾の顔の横に落ちてくる。
「鶴丸さん?」
相手が突然動きを止めたので、不安になって呼びかける。鶴丸は鯰尾の耳元でこんな事を言った。
「いちはこうも言っていた…恋をすると世界の色が変わるとな」
「ああ、言ってましたね」
鶴丸よりも一足先に恋慕の情を体験した一期の比喩だ。
「…ならば俺は本当に恋をしてしまったのかもしれん」
「え?」
鶴丸が上体を起こした。下から見上げる金の瞳は、最早野獣のそれではない。
「きみに恋をしてしまったかもしれない」
何を言っているんだこの刀は。鯰尾の理解は追いつかない。まさか本当にこのまぐわいの真似事に錯覚を起こしたか。
「最後までしても良いか?」
再び鶴丸の手が鯰尾の下半身に伸びる。ジャージの上からでも判る程、既にそこが膨らんでいる事には本人も気付いていた。
「…どうして?」
補色の瞳が問う。
「さあな…」
ただ、鶴丸の目には見えていた。普段は何の色味も無い鯰尾の髪が、障子から透ける明かりに照らされて所々深紅に輝く様を。
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