宇宙混沌
Eyecatch

胸の痛みと恋ときみと [2/5]

「鶴丸さん」
 買い物から帰り、部屋で戦利品を整理していると、鯰尾が襖を叩いた。色々あって、彼はしばしばこうやって遊びに来る。
「土産は買って来てないぞ」
「わかってますよ」
 あぐらをかいている鶴丸の傍までそっと近寄り、顔色を伺ってから、長い髪を畳に広げながら鶴丸の膝に頬を落とす。鶴丸はその髪の毛をわざとかき乱す様に撫でた。
(甘えたいなら自分の兄貴に甘えれば良いものを)
「鶴丸さん、今、『いち兄に甘えれば良いのに』って思ったでしょ」
「こりゃ驚いた。なんで解った?」
「手がそう言ってる」
 鯰尾が鶴丸の手を捕まえた。彼の手は鶴丸よりは小柄だが、骨張った男のそれである。
「何そわそわしてるんです?」
 鯰尾は起き上がる。自分の兄にさえ心の中をひけらかす事が出来ないくせに、いや或いは、出来ない程に彼は他の者の心情には敏い。
「例の鶴丸から面白い薬を貰った」
 此処で経緯を説明する。審神者から貰った茶葉も取り出した。
「そうだ、鯰尾、きみ、いちにこれを飲ませてくれないか」
「ええ? 毒じゃないでしょうね?」
 とは言いつつも、鯰尾はニヤニヤを隠し切れずに顔に浮かべながら手を伸ばす。あの鶴丸の主は、前の主は疎ましがっていたが今の主とは懇意だし、羽目を外す事も無く腕は確かだ。
「どういう効能なんです?」
「飲んでみてのお楽しみだそうだ」
 小瓶を開けてカプセルの臭いを嗅いでいる鯰尾の髪を結い直してやる。外出で冷えた手に、体温の伝わった毛束は温かく心地良い。
「……恋とはどんなだ?」
 ふと、口に出していた。何の臭いもしない小瓶の蓋を閉めた鯰尾が、鶴丸が髪を結い終わるのを待って振り返る。
「愛の次は恋ですか」
 鶴丸は愛を知りたかった。顕現してから早数ヶ月、色々な事をこの本丸で経験し、そちらはなんとなく解ってきたつもりである。
 だが、恋は? 色恋沙汰で人生や世界を狂わせる人間は少なくない。この本丸に至っては、一部の刀剣男士でさえそうだった。鯰尾や一期でさえ、恋をしていたのだ。
 しかし鶴丸はまだ恋を知らない。一期に訊けば、やれ天にも昇る気持ちだの、離れている時に考えると胸が痛いだの、共に居る事触れ合う事が心地良いだのと返ってくる。
 ならば、鯰尾の髪に指を通した時のこの感覚は恋ではないのだろうか?
「失恋した俺に訊いちゃいます?」
「ああ、すまん…」
 そういえばそうだった。しかもその原因の一部は鶴丸にある様なものなのに。
「ま、どうせ口をついちゃったんでしょう? とにかく、薬とお茶持って行きますね」
「ああ、待て」
 パックに伸びてきた鯰尾の手の先から、さっと素早くそれを取る。ついでに握られた小瓶も。
「お前達の大部屋ではこっそり淹れられないだろう? 此処で淹れて行け」
 言ってポットの乗った小棚から茶器を取り出し、三人分の試供品をそれぞれ淹れる。一つには、カプセルを開けて中の粉末を溶かした。
「手前のが薬入りだ。残りは兄弟にでも飲ませてやれ」
「良い匂い」
 立ち上る湯気に乗って鼻を刺激するそれに、鯰尾は正直な感想を漏らした。夕暮れの後に来る時間の色の両の目が、やがて来る朝焼け色の水面を見つめている。
 鶴丸は何故だかその姿に唾を飲んだ。
「…飲みたきゃお前も飲め」
「鶴丸さんは?」
「俺は部屋の外から覗き見するだけで良い。障子を少し開けておいてくれ」
 さあ、と鯰尾を急かして部屋を出た。鯰尾が歩を進める度に、茶の不思議な香りが後ろを歩く鶴丸を包む。
 粟田口の部屋の前で鶴丸は廊下の陰に隠れた。それを確認して、鯰尾は一期が陣取っているであろう場所の障子を開ける。
「いち兄、主が万屋街で貰って来たんだって」

闇背負ってるイケメンに目が無い。