第5話:消失 [2/2]
終わってしまった。
安定は清光が立ち上がった気配と共に、主の寝所を立ち去っていた。
意を決して、主がいつも言おうとしていた事を確かめようと会いに行ったは良いが、中では清光とあの様な会話をしていた。主に兄が居る、という話は、安定にも初耳だった。
(俺は…)
いつしか夜伽の時に、同じ質問をした事がある。
(俺は…只の身代わり人形だったんだ…)
その時は、はぐらかされた。それからだ。主が何処か宙を見ながら自分に何かを言おうとし始めたのは。
何故こんなに苦しいのだろう。良いじゃないか別に。元から人間と付喪神、恋をして、交わったって何の意味も無いと自分で言っていたじゃないか。主の望みを叶えるのが自分達の役目だと、彼女の為だと割り切って抱いていたのではなかったのか。
それなのに、息が詰まる。暗い廊下が更に闇の濃さを増す。心臓は動悸を通り越して締め付けられるように痛い。
もしかして。
そこに付随する優越感に、依存していた?
自分を、自分だけを見てくれていると、信じる事で救われていた?
暗い視界が滲む。目を拭うと、手の甲に水が広がった。
(…ああ、これが、『恋』か…)
恋をしているのは主の方だと思っていた。自分は、ただそれに応えているだけだと。
自分は愛されているのだと思っていた。やっとまた愛してくれる人を見付けた。そう思っていたのに。
与えられていた愛は他の誰かへの余り物で、しかも自分は思っていた以上に主に執着していたと見える。
(ハハッ……俺は清光よりも下か)
清光なんて、一度も主に抱かれた事のないくせに。
いや、そうやって交わる事を基準に考える事自体、自分が人の心、人の体、人の欲の何たるかを理解していなかったのだ。
所詮は…主も人間か…。
「安定」
安定は呼ばれて顔を上げた。自分の体重で廊下が軋む音さえ耳に入って来なかったのに、その声はやけに鋭く彼の耳に響いた。
「…鯰尾…?」
中庭を挟んで向こう側の廊下、丁度中庭を見渡せる所にある鯰尾達の部屋の前に、彼が居た。
「寝ないんですか?」
寝巻の浴衣姿で縁側に腰掛け、裸足の足をぶらぶらさせている。髪の毛は寝起きの様にぐちゃぐちゃだ。
「人の事言えるのかい?」
安定は裸足のまま中庭に下りて、彼の所へ近道をする。鯰尾はにっこりと微笑んだ。月明かりの所為か、その顔はいつもよりも妖艶に見える。
「骨喰が自分だけ気持ち良くなって寝ちゃったんで」
安定は、ああ、と納得した。鯰尾が夜な夜な骨喰とヤッてるとか、非番の時は昼間でも誰彼構わず誘っているだとか…。そういう噂は聴いた事がある。
「…泣いてたの?」
目の前に立った安定を、今は黒く見える瞳が上目遣いに見上げる。
(なるほどね。確かにそそられるよ、この顔…)
「ねえ」
鯰尾は脚を上げて裾から半分覗いた膝を抱える。形の良い唇をこれ見よがしに動かした。
「馬鹿、な事、する?」
安定は血が湧いてきたのを感じた。
「全部忘れられるよ」
「…おお」
だけどこれは、主と交わる時の様な、心地良い興奮ではない。
安定は鯰尾の肩を押して縁側に倒す。縁側に膝から乗り上げて馬乗りになり、浴衣の帯を解いた。
早くこの血を静めなければ。
「あ、待って」
鯰尾が安定の手を握って止めた。
「浴衣は脱がさないで」
安定はフッと嗤う。
「着たままする方が興奮する?」
「そうじゃありませんよ。ただ、お願い」
「良いよ」
どうせ、お前の温かさなんて求めていないのだから。
安定は浴衣を放した。鯰尾の首元へ手をやる。
「殺してやるよ、子猫ちゃん」
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