第5話:消失 [1/2]
この衝動も、人間の本能に含まれているんだろうか。
清光は主の寝所の隅で、褥に横たわって休んでいる彼女を見ていた。今日は堀川にも直接霊力を流し込んでいる。主は普通の人間より霊力が強いとはいえ、審神者の中ではかなり年若く、体力も霊力も貧弱なのだ。
「主…」
清光は疑問を抱いていた。
「主は、何で審神者になろうと思ったの?」
高々二人を治療するだけでこの様では、今後が心配だ。何人か、呼び寄せている刀剣を刀解…つまりお役御免として人の形を奪い、その肉体を保つ為に使われていた霊力を使い回す必要が出てくるだろう。
さもなければ…彼女自身の寿命を削る事になる。
しかし、清光や小夜が何度そう忠告しても、主は刀剣を呼び寄せる事をやめなかった。もっとゆっくり、霊力を高める修行をしながらでは駄目なのか。そもそも、主がやらずとも、もっと霊力の強い者が居るのではないか?
目を伏せていた主は薄っすらと瞼を開くと、上を向いたまま微笑んだ。
「…誰にも言わないでね。バレたらクビになっちゃうかもしれないから」
清光を近くに呼び、声のトーンを落として言う。
「個人的な理由よ」
清光は少々驚く。純粋な主の事だ、てっきり「あるべき歴史が改変されるのが許せないから」というお決まりの正義感溢れる返答を予測していたから。
「歴史修正主義者はね…主に歴史上の重要な人物を狙うけど」
主が続けたので、清光は黙って耳を澄ませる。主の言葉の後ろに、廊下の床板が軋む音が聴こえたが、無視して気付かない振りをする。
「あいつらにも綿密な計画があるみたいで…細かい修正を入れる為に、一見何の影響も歴史に及ぼさなそうな人も、殺したり生かしたりするみたいなの」
「…それで?」
「…私の兄が消滅した」
「消滅?」
「居なくなったの」
話によれば、主には兄が居たのだという。しかしある日、その姿が忽然と消えた。単なる失踪ではない。子供の時の写真から、住民票から、兄に関するものが全て消え去っていたのだと言う。
「恐らく何処かで出来た歴史のズレが後々まで影響して、兄はこの世に生まれない事になってしまったんだと思う。両親の記憶にも無いの。私は一人っ子だという事になってる」
恐らくは、霊力のある自分だけが、兄の記憶を忘れずに居られた、つまり、歴史修正の痕跡に気付く事が出来たのだろう、と。
「私は、もう一度会いたい」
歴史修正の妨害や、正しい歴史への再修正は、後世への影響が大きいものが優先される。きっと、主の兄の件は後回しにされており、未だに帰って来ないのだろう。
そう言って天井を睨む瞳に、清光は見覚えがあった。
自分が此処に呼び寄せられた時、初めて見たのが、主のこの真っ直ぐな黒い瞳。あどけない少女の外見からは想像し難い、強い意志を持った眼差し。尤も、それはすぐに清光を受け入れる優しい笑みの中に溶けていき、あれきり見る事は無かったが。
「…どんな人だったの?」
主がそんなに必死に取り戻したい人は。
「お兄ちゃん?」
兄の事を尋ねられて嬉しそうだ。余程、懐いていたのだろう。
「私と一緒で、おっとりしてるねってよく言われてた…。でも、子供の時、私が虐められてたら、普段の顔からは想像出来ない様な怖い顔で怒って、追い払ってくれてたの」
「ふーん…」
清光は蔀戸を閉める為に立ち上がり、廊下の方へ。
「安定に似てたんだね、お兄さん」
廊下には誰も居ない。清光はフン、と鼻を鳴らして蔀戸を下ろした。
「お兄さんが戻って来たら、審神者を止めて俺達を棄てるの?」
主を困らせるつもりは無かったが、つい、訊いてしまう。主は苦笑した。
「お兄ちゃんが無事帰ってきてくれたらそれ以上に嬉しい事は無いわ。でも、もしかしたら私と同じような目に遭っている人ももっと沢山居るかもしれない。私は審神者としてはまだまだだけど、急にやめたりはしないから安心して?」
今度は清光が苦笑する番だった。
「…信じてるよ?」
「私の方こそ」
少しずつ、自分の気持ちが解ってきた。
「これからも助けてね、清光」
清光は安定に嫉妬した。だが、清光は安定の様に主と交わりたいと思っていた訳ではない。ただ、前の時みたいに、道半ばで棄てられてしまうのが嫌だっただけなのだ。
解ってしまえばすっきりした。主は安定に兄の姿を重ねて見ていただけ。自分よりも彼を信頼していた訳じゃない。主は清光だけに、彼女の真の目的を、真に愛している者の事を語ってくれた。
清光は、自分は誰かの愛を求めているのだと思っていた。だから主の愛を受ける安定が羨ましかった。交わる事でその愛を確かめあえるのだとしたらと思うと、余計に腹が立った。
そうじゃないんだ。
「勿論だって」
一番でなくても良い。主の持つ好意的な感情全てが自分に向かってなくても良い。
主が自分を必要としてくれるなら。
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