第4話:傷 [2/2]
「ハアッ……ハアッ……」
安定は自分よりも大きな山伏を背負う様にして歩いていた。
「忝い…拙僧の為に…」
「大丈夫だよ。本丸まであと少しだ」
二人は近くに潜んでいた敵の奇襲を受けたのだった。相手が一人だったのは、不幸中の幸いだろう。反応が遅れた山伏は傷を負ったが、本丸で手入れしてもらえば十分助かる。
「いや…おぬしが居なければ危なかった…」
山伏を斬った相手を、寝床から飛び出して始末したのは安定だ。しかし、安定は、自分が居たからこそ山伏の油断を誘ったのではないかと思っていた。
「主は私を侍らせてもくれませんね」
宗三左文字は、畑の隣に佇んでいた。視線の先では、小夜左文字がせっせと手を動かして畑を耕している。
「愚痴ばっか言ってないで、手伝ってよ」
「先刻までちゃんとやっていたじゃないですか。人聞きの悪い」
やれやれ、と宗三は鍬を取り、小夜の隣でマイペースに土をひっくり返す。今日の畑当番はこの二人だ。
時折、腕を上げた宗三の袖がめくれ上がり、普段は見えない所にある傷が、暮れかけた陽に照らされる。
「…痛そうだね」
「もう痛くありませんよ。実際にこの身体に付いている訳ではありませんから」
これは、宗三がまだ只の打刀だった時に、大火に焼かれた記憶が浮かび上がったもの。本物の傷ではないので、痛みもなければ動きに支障が出る訳でもない。
これは、心の痛み、心の傷だから。
「…ん…?」
細くて小さい腕を絶えず動かしていた小夜が止まる。
「あれは…」
宗三も彼が見詰める方角を見る。そして息を呑んだ。
「安定! 山伏!」
「あ…兼さん…」
堀川国広は、手入れ部屋の天井と、自分を心配そうに見下ろす和泉守兼定の顔を見た。出陣先で深手を負い、気を失ってしまったのだが、どうやら隊は勝利を収め、無事帰還したらしい。
「あ、じゃねえ! 脇差のくせに出しゃばって気絶しやがって」
「兼さん、怪我は?」
「ねーよ!」
国広は笑う。彼は兼定を庇ったのだった。
手入れも終わっているようで、体を起こして自分の肌を見ても、生々しい傷は一つも無い。主の霊力を溜め込んだこの部屋に居れば、付喪神である自分達の傷は治ってしまうのだった。
但し、此処へ来た時に既についていた傷を除いて、だが。
国広が服を着ていると、何やら廊下が慌ただしくなってきた。
「手入れ部屋、空きますか?」
意外にも細い脚で廊下を駆けて来たのは宗三だった。畑仕事用の服を泥だらけにしたまま、いきなり襖を開けて尋ねる。
「今国広が起きた所だ。誰か使うのか?」
兼定は、今日出陣した者は国広以外無傷か掠り傷程度で帰って来たが…と首を傾げる。
「山伏です。奇襲を受けたらしく、安定が背負って帰ってきました」
「何?」
兼定は廊下に出る。安定と小夜に支えられながら、青髪の男がよろよろと此方へ向かっていた。
「この近くか?」
疲れでふらふらの安定と替わり、尋ねる。
「いや。一日かけて歩いて来た。相手も一人だったし、追手も無いと思う」
それに、一応本丸には結界が張られている。此処は現世と過去の時代を繋ぐ時空の狭間になっているのだ。そう簡単には見つからない筈。
「そうか」
「僕は主を呼んでくるよ」
山伏を先程まで国広が寝ていた場所に横たえる。主が近くに来れば、直接霊力を流し込んでもらえるからすぐに楽になるだろう。
「山伏!」
小夜が主と、今日の近侍だった清光を連れて戻って来た。手入れ部屋に安定の姿を確認した清光は、つい、と目を逸らす。安定もまた同じだった。
主は山伏の手を握って霊力を流し込んだ後、安定を振り向く。
「安定は怪我は?」
「僕は大丈夫」
山伏の顔色も良くなってきた。清光は霊力を使って疲労した主を部屋まで連れて帰る。兼定達もめいめいの部屋へと戻った。
安定も、はるばる歩いてきた所為でくたくただ。服も返り血と、山伏の血で汚れているし、風呂に入って一先ず休もうと左文字達の後を追う。
結局、何一つ成果が得られない遠征になってしまった。資金や資材の調達もそうだが、自分の気持ちを見つめ直す時間が欲しかったのに…。
『余所では主が刀剣の処理をしたり…』
安定は清光の言葉に、自分の中にあった小さな小さな不安、見ないようにしていた不安を増幅させられてしまったのだった。
『ねえ安定』
そう言う主の目はいつも安定ではない何処かを見ていた。
そして自分は…本当に主の為に彼女を抱いていただろうか。
「…顔まで浸かると汚いよ」
湯船に鼻の上まで浸かって考えていると、畑仕事の汗を流していた小夜に咎められる。宗三は火傷の痕を見られない様に、ささっと水を浴びて早々に上がってしまっていた。
「山伏が怪我したのを気にしてるのか?」
「………」
返事をせずにぷくぷくやっていると、元々話し好きではない小夜も上がってしまう。安定も暫くしてから意を決めると、新しい服を着て、自分の部屋とは反対方向に歩き始めた。
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