第7話:しがみつく [3/4]
殆どの刀剣達が自分達の世界へ帰る事を望んだ。主は褥に横たわったまま、ほんの一時の間だったが、共に過ごした者達が互いに互いの刃を振り翳す音を聴いていた。
自分はもう現世には戻れない。かと言って、此処で生き長らえる事も出来ない。いつ死んでもおかしくない病状だし、じきに政府の者が気付いて調べに来るだろう。
そうなれば、此処に居る皆は政府に飼われる事となる。主は今剣や清光の苦しみを少しは知っているつもりだった。清光は再び政府へ戻る事を決めた様だが、今剣の様に望まぬ者が働かされるのは可哀想だ。
だから、主が死ぬ前に、政府が勘付く前に、逃れたい者は誰かに屠ってもらわねば。
短刀達が怯えてすすり泣く声が聴こえる。しかしその声も一人、また一人と減っていく。主の視界の隅で長く白い髪が揺れていた。江雪が宥めながら皆を神の世界へ還す手助けをしているらしい。
せめて皆の姿を見たかったが、それは出来なかった。安定が人目も憚らずに主の体にしがみつくように蹲っていたから。
「…なんでっ?」
嗚咽と共に安定が吐き出す。
「なんで……兄貴の顔を見たかったんじゃないのかよ!?」
「あれ、私安定に教えたっけ?」
まあばれていたのなら仕方ない。主は安定の背中を撫でて慰める。
「それは最初から無理だって知ってた…。お兄ちゃんが元に戻れば、私は死ぬ。私はね、もうとっくに終わっていた私の人生が続いているのに、本来もっとずっと長く続く筈だった兄の人生が無かった事になっているのが嫌だったの」
それに、自分が審神者にならずとも、いずれこういった小さな歴史のずれも全て再修正される日が来るだろう。そうなれば、自分はある日忽然と姿を消すのだ。その時、自分のこの記憶や魂はどうなるのだろう。死後の世界に居る自分に取り込まれるのだろうか、それとも無に帰すのか?
いつ自己という存在が消えるか判らない中、怯えながら生にしがみついているよりは、自らの手で再修正してやろうと思ったのだった。
「解って?」
安定は頷いた。その気持ちは解っている。
受け入れられないのは、自分自身の心だった。
主は天井を見上げ、そして安定の顔を見た。あの時とは、天井の材質も、泣き顔も違う。
それでも、自分はこうして、自分の死を悲しんでくれる誰かが欲しかったのかもしれない、と思った。
好きにならない方が良いとは解っていた。いずれ自分は死者の世界、神の世界とはまた違った場所へと旅立つのだから。
しかし今は、想いを伝えて良かったと心の底から思えていた。
「あとは、あんた達だけになったな」
清光の声が響く。安定が顔を上げたので、主にも他の刀剣達の様子が見えた。
結局、政府の審神者に引き継がれる事を望んだのは、清光、山姥切国広、陸奥守、歌仙、蜂須賀の五人だけ。清光が言った「あんた達」、というのは、他の刀剣達を髪の世界へ戻す手伝いをしていた左文字三兄弟と、安定の事だった。
「安定は、どーすんの?」
「……」
神の世界に帰るか、政府の元で働くか。だが今はその二択は重要じゃない。主の事を手放したくない。離れたくない。
「…良い事教えてあげよっか?」
清光が見兼ねて言った。安定は涙で滲んだ目で、その姿を捉える。
「本当は、破壊以外にも政府の檻から抜け出す方法があるんだよね。しかも主と一緒に」
「何!?」
藁にも縋る思いで食らいつく。清光はこんな時にも関わらず薄く笑った。安定はそれに苛ついて悪態をつく。
「ごめんごめん。お前のその顔見るのも、最後だからな」
清光は安定に近付き、耳元で囁いた。その手があったか、とすっかり取り乱していた安定は、目から鱗が落ちる。
「…っていうか、主も教えてよ!」
それは彼女と先日話したばかりの事だった。布団の上に投げ出された手の平を軽く叩くと、主はか細い声を上げて笑う。
「ごめんごめん」
もう少し、安定が自分の為に泣いてくれている顔を見ていたかったから。
「じゃ、いくよ、左文字さん達」
「ええ、短い間でしたね」
「あなたの事は、好きだったよ」
江雪と小夜がそれぞれ主に言葉をかける。宗三は何も言わずにただ首を傾げる様に礼をしただけだった。
「それじゃ…俺達を刀解して、主」
清光が小夜を、蜂須賀が宗三を、残り三人がかりで江雪を屠ると、清光は主に言った。
「俺達も政府でなるべく時間稼ぎしてやるけど、ぐずぐずしてる暇はあんまり無いと思うよ」
安定にはそう言う。泣くのを止めた安定は、いつもの調子で返した。
「解ってるよ。清光は細かい所に煩いんだから」
言いつつも、少し、寂しかった。昔、清光が折れて付喪神としての形を保てなくなった時の事を思い出す。あの時はもう二度と清光には会えないと思っていた。だがこうして会えたのなら、また、会える事があるだろうか。
「ありがとう」
その言葉が自然と口をついて出てきた事に、清光だけではなく安定本人も驚いて、二人共同じような顔をしているのを、他の者は温かく見守っていた。
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