宇宙混沌
Eyecatch

影の世界 [9/9]

影の世界

「お前が此方の世界のもろはか」
 竹千代は紅の塗られていない唇を見て言った。
「お前が暴君竹千代だな」
 匂いで判る。あの子狸と同じ気配。もろはは無事に元の世界に戻って来れたことを喜ぶ暇も無く、本来の仕事に戻った。
「まずはその紅を返せ」
 刀を抜いて、竹千代の喉元に沿える。竹千代も刀を帯びていたが、それには手を触れずに紅を差し出した。
(なんだ? どうして抵抗しないんだ?)
 受け取った紅を懐に入れ、刀を握った手に力を込める。
「どうした。早うこの首を取らんか」
 竹千代は瑠璃紺の瞳でもろはの目を見る。
「じきに見張りに見つかるぞ」
「……なんで逃げねえんだよ。死にてえのか?」
「そうだな」
 そしてそこに、愛しい人の魂の面影を見る。
「顔も知らぬ女を娶るくらいなら、手に入らなかったが好いた女の顔を見ながら死にたい」
「つまり惚れた女に殺されるなら本望ってわけ?」
(あっちの世界のアタシは此処で何やってたんだか)
 もろはは一度刀を引くと、竹千代の正面に回った。
「狸平の暴君竹千代、家臣と領民を苦しめた罪で成敗する!」
 刀が振り上げられるのを、竹千代は瞬きもせずに見つめていた。
 竹千代の胸から血がほとばしる。視界も痛みも消えて心の臓が止まるまで、竹千代はその女の顔を見ていようと思った。
 しかし、もろはは刀の血を振り払うと、竹千代の袖を掴む。
「脱げ」
「は?」
 そこで竹千代も気付いた。傷が浅すぎる。臓腑どころか骨にも当たっていないだろう。血はそれなりに出ているが、妖怪の竹千代の致命傷にはならない。
「アタシは今、『お前のことを霊力で跡形もなく消し去った』。この着物は退治の証拠として戴いていく。お前は好きにしろ、家来に見つかるなよ」
 もろははそのまま破れた着物を剥ぎ取り、踵を返した。
 呆気に取られていると、見張りの気配を感じる。竹千代は体力温存も兼ねて、狸の姿に戻ると、慌ててもろはの背を追った。
(夢なのではないか)
 そう疑ったが、斬られた胸は確かに痛い。もろはは竹千代がついてきていることに気付くと、拾い上げて木に登った。間一髪、その下を見張りが歩いて行く。
「お前、俺が生きたまま城に戻れば、嘘がばれて狸平からも依頼主からも目の敵にされるところだったぞ。何故こんなこと」
「さあな」
 もろはは白を切る。
(殺せるわけないだろ)
 向こうの世界で竹千代に優しくしてもらったことを思い出す。此方の竹千代は巷じゃ暴君なんて言われているが、暴君にならざるを得なかった理由があるんじゃないかと思った。それだけだ。
「お前こそ良いのかよ。これからは日陰者だぜ?」
「構わないんだぞ」
 狸平の若君はもう居ない。此処に居るのは、目の前の女を愛している、ただの男だけだ。
「俺はお前の影になる」

闇背負ってるイケメンに目が無い。