影の世界 [7/9]
影の世界
寝返りを打とうとして、足枷が音を立てて目が覚めた。目を開けると、ほくろのある男は昨夜の位置のまま眠っている。
身を起こすと、紅が床に転がっていた。昨日着物を開けられた時に落ちたのだろう。
(あぶね、なくすとこだった)
拾い上げ、何気なく開いて中を見た。黒真珠が無い。
「無い!!」
「ん……?」
叫び声で竹千代も目覚める。
「何が無い?」
「黒真珠が無い! 昨日お前が開けた時、ここにでっかい真珠が入ってなかったか?」
「いや?」
「本当だろうな!?」
「俺は薬指しか突っ込んでないぞ。大きな真珠なんて取り出せないの、お前も見てただろ」
「じゃあなんかの拍子にあの部屋で落としたのかも! 探して来てくれよ」
「自分で行け」
竹千代は屏風の向こうに消える。鍵を手に戻ってくると、もろはの足枷を外した。
「……良いの?」
「ああ」
(全部夢物語だ)
城の外で自由気ままに生きる人生も、本当に好いた女だけに尽くして、愛されることも。竹千代は拳の中で鍵を握り締める。
「早く行かぬか」
竹千代は身支度をしながら、まだ寝床でもじもじしているもろはを突く。
「いや、アタシ此処に連れて来られる時寝てたからさ、場所わかんなくて。それに一人でうろうろしてたらまた捕まっちまう」
「それはそうだな。今日の仕事は家老達に任せる。どうしてもという物のみ後でまとめて見るゆえ、議事録を残しておくように」
「ハハッ」
竹千代が外に向かって言うと、家臣は言伝を家老達に伝えに行く。
「あの家来ってずっとあそこに居るの?」
「そうだぞ」
「ぷらいばしー? みたいなの無いんだな」
もろはは母ととわがたまに口にしていた言葉を使ってみる。竹千代は首を傾げたが、もろはの居た別の世界の言葉だろうと思い、深くは追及しなかった。
「無い……」
地下深い拷問部屋へ赴く。途中の廊下もくまなく探し、部屋では隅から隅まで、それこそ見たくもない例の木馬の周囲も念入りに確認したが、無い。
「城に来るまでに落としたんじゃないか?」
「そうかも」
竹千代も一緒に探してくれているが、見つからない。正直、この広い山の中をたった二人で探すのは無謀だ。木々で城が見えなくなったあたりで、竹千代が諭す。
「諦めるんだぞ」
「やだ!」
「形見なのは解るけど」
「真珠は形見じゃないんだ。じいちゃんのお墓なんだよ!」
「墓? お前の祖父は何者なんだぞ」
「犬の大将だよ!」
竹千代が目を剥く。
「人間の血が二代も入ると、こんなちんちくりんになってしまうのか」
「うるせえ! お前だってアタシの世界じゃチビ狸だよ!」
「とにかく、あの真珠がその墓に繋がる力を持っているのだな?」
「うん」
せっせと茂みを掻き分けて探すもろはの腕を、竹千代は掴んだ。
「何?」
「二人で探していては何日経っても見つからんぞ」
「諦めねえからな!」
「だから俺の家臣に草の根で探させる。お前が俺の嫁になるなら」
(諦めきれないのは、俺も同じだ)
そこにあるのは、別の世界に居る自分への嫉妬だった。
「はぁ!?」
もろはは驚いて竹千代を見上げる。瑠璃紺の目は真剣だった。
「昨日の無体は詫びる。俺は狸の世継ぎを作らねばならんから、他の女を娶る事も先に謝っておく。でも北の方と同様の処遇をさせることを約束するぞ」
「い、要らねえよそんなの」
振り解こうとしたが、妖力が使えないので無理だった。
(人間の姿でも、力はしっかり妖怪なんだな……)
その僅かな怯えを、竹千代は敏く感じ取る。
「やはり『お前が知っている俺』の方が良いか?」
「……別に、あっちの竹千代とは、そんなんじゃないけどさ……」
ほんの少しだけ、この世界に残るのも良いんじゃないかと思った自分が居たことに、もろはは困惑していた。でも、向こうの世界で出会った人達や、両親、そして竹千代のことを、あっさり忘れられるような性質ではない。
「だろうな。どう見ても生娘だったんだぞ」
「うるせえ! 早く忘れろ!!」
「忘れない」
(「そんなんじゃない」なら好都合だぞ)
此方だって忘れさせるものか。竹千代は空いている方の手をもろはの懐に手を突っ込む。紅を取り出し、無理矢理もろはの口に塗った。そのまま口付ける。
「!? てめー覚えてろ!」
もろはは恥ずかしさに顔を赤らめ、今度こそ竹千代を振り払って森の奥へと逃げる。
「忘れろって言ったり覚えてろって言ったり……」
残された竹千代は紅を閉じる。ぱちん、と小さな音がしたと同時に、がさ、と近くの茂みが揺れた。
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