宇宙混沌
Eyecatch

第2章:あなたはだあれ [2/5]

「へぇ、犬夜叉の娘」
「そうなんだぞ」
 竹千代は理玖の変わった武器の切っ先を避けた。刀を握っていない方の腕を振って体の平衡を保ち、切り返しながら退く。
「お前本当に躱すのは上手いな」
 だが、それだけでは勝てない。竹千代は刀を両手で握り直し、がむしゃらに理玖に突っ込む。
「うあっ!」
「だから、相手の言葉に乗せられるなって言ってるだろ」
 竹千代の刀はいとも容易く理玖のレイピアに弾かれて、竹千代も勢いで転がる。
「ま、お前が強くならなきゃいけない理由が一つ減ったな。おいらの依頼はその娘に任せて、竹千代は店番でもしとけよ」
「自分の食い扶持くらい自分で稼ぐんだぞ!」
「それにはもう十分だろ。おいらとばかり手合わせしてるから解らねえんだろうが、おいらの剣筋が見えてるだけでも凄いと思うぜ?」
「でも! ……ひぇっ」
 突然鬼気迫る表情で理玖が斬りつけてきて、竹千代は硬直して縮こまる。
「ほら、竹千代に喧嘩は向いてねえって言ってるんだよ」
 もちろん理玖は寸止めしたが、竹千代は高鳴る心臓の上を忌々しく掴んだ。
(肝心な所で腰を抜かすし、尻込みしてしまうんだぞ。これでは将監と対峙しても……)
「今日はこんなもんかねえ」
 理玖の言葉に合わせるかのように、竹千代の変化も解ける。竹千代は指南の礼を言い、立ち上がった。
「お送りします、理玖様」
「構わねえよ。帰ってそのもろはとやらの相手をしてやりな」
「あいつは別に、放っておけば良いんだぞ」
「今頃生首抱えて泣いてんじゃねえの?」
「運べる重さなら持って帰ってきますよ。血や臓腑を気味悪がる[おなご]ではないんだぞ」
「ああ、怖がってるのはお前だったな」
「怖がってなんか」
「いいや怖いだろ」
「怖くないんだぞ」
「じゃあどうして今すぐ駿河に帰らない? 将監一人暗殺するくらいなら、今の竹千代には簡単だろ?」
 竹千代は言葉に詰まる。ややあって反論した。
「将監には満月狸が付いています。流石にあれを俺だけでは」
 理玖は腕を組んで、短く溜息を吐く。
「結局お前は、おいらの言葉なんか聴いちゃいないんだよなあ。おいらが賛成すれば何かと言い訳をしてお前は動かねえし、反対しても屁理屈捏ねて自分を押し通す」
(まあ、後者はある意味では好ましいがね)
 竹千代はやはり理玖の言葉を否定する。
「そんなことは! 俺はまだ、理玖様のようには――」
「『戦えないから、将監には勝てない』。それも聞き飽きたぜ。若いからある程度は仕方ねえが、もうちょっと話題の引き出しを増やしてくれねえか」
「……理玖様のお望みなら」
 そう答えた竹千代を、理玖は冷たい目で見下ろす。
「厳しいことを言うようだがな竹千代」
 理玖は己の境遇と、今の竹千代の姿を重ねる。絶対的な主に、持てる全てを尽くす姿を。
「お前にどれだけ傅かれたって、おいらはお前に何も与えてやれねえよ。……生きる意味もな」
 理玖から見た竹千代は、危うかった。戦を起こそうとしているからではない。目的を見失って、自ら火に飛び込もうとしているようだったから。
「……生きる、意味?」
「お前今、何の為に生きてる? いや、何の為に死のうとしてる?」
 緑の瞳は、竹千代の心の奥の奥まで見通している。
「最悪将監を始末する為に道理から外れた事をしても、お前一人腹切って済むならそれで良いって思ってるだろ」
「……要はあの家が続けば良いのです。俺には幸い弟が居るんだぞ」
「武家の習わしだとか規律だとかはよくわからねえが、なにも自ら進んで『大悪人』にならなくても良いんじゃねえか?」
「それを理玖様が仰るのですか」
「おいらは、正義を気取ったことなんて一度も無えよ」
 理玖は片方の前髪を手の甲で持ち上げた。帰るのだと察し、竹千代は姿勢を正す。
「ああそうだ」
 理玖は耳飾りを弾く前にこう言った。
「流れる血が怖いって、その感覚は、大事にした方が良いと思うぜ」
 それに魅入られて、怯える娘の姿に気付けなかった、どこぞの麒麟のようになるくらいなら。
 理玖が消えた後、竹千代はその言葉の真意について考えたが、その時はよく解らなかった。

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