第4章:紅を移す [5/5]
思い出さなければ
「こんなことになって悪いな」
豆腐を手に船に戻る途中、翡翠が言った。
「なんで翡翠が謝るんだよ」
「もろはに向かって妖怪の腕が飛んで行ったのは解ってたんだ。でも、万が一俺の手元が狂ったとしてもお前が避けられないと思ったら、投げられなくて」
「気にすんなよ。足挫いたのだってアタシが悪いんだし」
船に戻ると、土産物に双子達が目を見開く。
「えっ!?」
「豆腐ではないか」
「しかも竹千代様のご要望だぜ」
「あ、そうか。これで殺されかけたことも忘れてるんだね」
「して、竹千代と理玖は?」
町での出来事を説明する。二人はまた半刻程は戻ってこないだろう。いつもの服に着替えた後、アタシは会議の間で双子達と竹千代達を待つことにする。
「竹千代、このまま何も思い出さない方が良いのかもな」
苦痛を思い出さなければ、好物の豆腐を好きなだけ食べられるじゃないか。
恐怖を思い出さなければ、目の前で血が流れても平然としていられるじゃないか。
殺意を思い出さなければ。
あの満月の夜に独り送り出してしまった事を、アタシが悔やまなくても良いじゃないか。
「……もろはは、それで良いの?」
とわがアタシの顔を覗き込む。
「竹千代、もろはのことも忘れちゃってるんだよ?」
「でも、アタシを好きだったことは思い出したってさ」
それで十分じゃないだろうか。殿様のまま大人になった竹千代なんて、アタシは好きになれないかと思ったけど、そんなことはなかったし。
「しかし、思い出すかどうかは竹千代次第だろう。此処で私達が議論しても仕方あるまい」
「そうだな」
せつなの指摘は尤もだ。
「竹千代にまた辛い思いをさせるのか、アタシは」
あの温厚な竹千代が、将監には人が変わったかのように厳しい罰を与えた。アタシは竹千代が語ったごく僅かな経緯しか、あの島で何が起こったのか知らない。きっとそこには言葉に出来ないほどの辛苦と怨恨があって、竹千代が記憶を取り戻す時、アタシはそれを目の当たりにするのだろう。
「アタシ、竹千代に迷惑かけてばっかだな……」
アタシは馬鹿だ。竹千代が時々言う通り。
自分の中で折り合いをつけた筈の蟠りが再び頭を擡げた時、竹千代はアタシが知っている竹千代のままで居てくれるんだろうか。
「でも、竹千代はそういうもろはが好きなんでしょ」
「手間がかかる方が可愛げがあるということもあるようだしな」
「ちょっとせつな、なんで私を見るの」
「別に」
竹千代、色々好きなところ教えてくれたけど、そんなことは一言も言ってないよ。
鼻をすすると、双子達が慌てた。
「もろは~元気出しなよ~」
「私達に負けず劣らず波乱万丈な人生を歩んできた竹千代だぞ」
「そうそう! これしきの事でどうにかなっちゃう狸じゃないって!」
「だと良いけど……」
「もろはが信じてやらないでどうする」
せつなが強い視線でアタシを見た。
「竹千代を信じて相棒や夫婦をやっているのではないのか?」
「うわ、せつな言うことが深い。本当に独身?」
「とわが適当すぎるだけだ……」
溜息を吐いたせつなに、アタシは答える。
「信じてたよ」
二人はお喋りをやめ、真面目な顔でアタシを見る。
「信じすぎてたんだ。竹千代と一緒なら全部なんとかなるってさ。現実はそんなに甘くないのに。アタシがもっと気を引き締めていれば良かったんだ。上手くやってく努力もしないで、ずっと成功続きなんてあり得ないだろ」
「うわ、もろはも言うことが深い。本当に新婚?」
「だからとわのところが適当すぎるだけだって……」
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Written by 星神智慧