陰と光 [5/6]
「獣兵衛さんが四凶を退治出来そうな妖怪を身請けしたって聞いたんだけど」
理玖様は屍屋の窓から海を眺めていた。
「今日は居ないのかい? おいらも見てみたいな」
「りっ、理玖様がわざわざご覧になるような女じゃないんだぞ!」
俺は反射的にそんなことを言っていた。
「へえ、女なのか。何妖怪?」
「犬の四半妖だぞ」
「……それって、犬夜叉の娘じゃねえか?」
「犬夜叉?」
「殺生丸の異母弟だよ。それなら強いのも納得だ」
うえ、俺が探してるのはもろはの従姉妹ってことか。
「もろはは赤子の時に妖狼族に預けられて、殺生丸のことはおろか両親の記憶も全然無いんだぞ」
「そうか。手がかりになりそうもねえな。ま、暫くはその辺の妖怪狩らせて鍛えりゃ良いだろ」
「獣兵衛様も、そのおつもりです」
理玖様が振り返る。意味深な微笑みに、俺は首を傾げた。
「おいらが思った通り、お前も女の所に行っちまうんだな」
「はあ?」
「最近ずっと女臭いぞお前。その犬夜叉の娘と寝てるのか?」
図星で顔が熱くなる。いや、文字通りただ同じ夜着で寝てるだけなんだが……。
「ごっ、誤解です! 俺は理玖様の配下の立場が一番なんだぞ!」
「どうかねえ」
その時、もろはの鼻歌が聞こえる。俺は理玖様の脚をぽかぽか叩いた。
「も~用が無いならお帰りになってほしいんだぞ~!」
「わかったよ」
理玖様が消えたと同時に、大荷物を抱えたもろはが入ってくる。
「たっだいま~」
「随分機嫌が良いな。大物か?」
「これは夜着だよ。安く譲ってくれた人が居てさ」
「そうか」
俺は奥の部屋に引っ込みながら言う。
「自分の寝具があるなら、別に屍屋で寝泊まりしなくても良いんだぞ。というか、特別に居候させてやってるだけなんだからな」
「なんで竹千代が偉そうなんだよ。ま、言われなくても暖かくなったら何処か良い寝床見つけるよ」
もろはも奥に来て、荷物を広げる。俺は理玖様が来る前にタカマルが届けてくれた手紙を広げる。
「獣兵衛さんは?」
「出掛けてるんだぞ」
「それ誰からの手紙?」
「勝手に覗くな」
もろはに漢字を教えてやったのは俺だが、家の事は知られては困る。
「相変わらず秘密なの――」
その時、店の方から声がかかる。
「あれ? さっき布団売ってくれた人だ」
もろはが向かう。俺はやれやれと、手紙を再び手に取った。
「誰かに賞金懸けに来たのか? ……えっ? 何の為に夜着を売ってやったと思ってるって……?」
あーもう。なんか不穏な会話が聞こえてくるんだぞ。
覗き見ると、若い人間の男がもろはに詰め寄っている。
「足りない分は体で払え? ちぇっ、なんだ、道理で安いと思ったぜ。で、何すれば良いんだ?」
まずいな。もろはの奴、男の意図を理解してないんだぞ。
「服を脱げ? 火鼠の衣はやらねえぞ? ……着物には興味無いって?」
俺は特大の溜め息を吐いた。どっちの姿で行く? 理玖様――はもろはがその姿を知らないから場が混乱するな。獣兵衛様の姿を借りよう。
「如何した?」
俺が現れると、男は驚いて、掴んでいたもろはの手を放した。
「生憎、此処は遊女屋ではないんでね。一度売った物の値段にケチつけるくらいなら、この取引は無かったことにしてもらおうか」
言って夜着を投げ付ける。その隙に変化を解き、もろはの手を握って外に逃げた。
「乗れ!」
素早くもう一度、今度は飛行形体に変化する。もろはを連れて集落を離れ、林の中に降りた。
ゼエゼエと息を切らしながらも、俺は怒鳴る。
「お前ほんと危なっかしくて目が離せないんだぞ!」
「ごめんごめん。助けてくれてありがと」
「礼を言うくらいなら、さっさと借金返して自由の身になるんだぞ」
もろははまだ喘いでいる俺の背を擦った。
「その時は竹千代も一緒に行こうよ。お前別に借金あるわけじゃないだろ?」
一瞬何を言われているのか解らなかった。一緒に行こうよ? 一緒に行こう……。
その言葉の意味が解ったところで、俺には返せる言葉が無い。
「……取らぬ狸の皮算用だな。借金返す目処つけてから言え」
「あはは……返す言葉がねえや」
もろはが俺を抱き上げる。屍屋に向かって歩き始めた。
「それにしてもすげーじゃん。お前空飛べたのかよ!」
「お前は飛べないんだぞ?」
「飛べるわけねーだろ!」
あれ、理玖様が言ってたことって本当だったのか。妖怪なら普通飛べるものだと思っていた。
「ねえねえ、アタシの仕事についてきてよ。空飛べたらずっと楽になるよ~」
「……仕事の内容による。あと、俺は理玖様の言いつけが最優先だから」
「解ってるって」
屍屋には、踏んで汚された夜着だけが残されていた。
「よし! 洗えば使えるだろ」
そういう前向きな所は見習いたくなるな。
「気を付けろよ。お前に目を付けて、見かけたらまた襲ってくるかもしれないぞ」
「そんときゃこの爪で。人間なんてイチコロだぜ」
その言葉には強がりが含まれているように思えた。
「なあ竹千代。アタシにも変化できるのか?」
「今すぐは無理だぞ。二、三日くれれば、それらしいのには変化できると思うけど」
「そんなすぐに出来るようになんの!?」
「フン、俺を誰だと思ってるんだぞ」
誰なのだろう。自分が一番よくわからない。実際のところ何者でも無かったし、今もまだそうなのだ。
「竹千代」
もろははそう答えた。その笑顔は眩しかった。
けれどこの時は、陰が濃くなった気がしなくて。
「……様を付けろ様を」
「だからなんで偉そうなんだよ!」
「俺の方が先輩なんだぞ」
「『同い年』なんだろ!?」
別にそれで良いかと思った。何の肩書も無い「竹千代」でも、こいつは笑いかけてくれるのだから。
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