陰と光 [2/6]
「これが虹色真珠の、緑だ」
屍屋に戻ってくると、理玖様は懐から小さな光る玉を出した。
「色は違うが、あと六つある。持ち主が判ってないのは、金と銀の二つだな。預けておこうか」
感じる。手の平に乗せられたそれが、俺の妖力を強めるのを。
「……これを俺が持っていると、無用な煙を立てることになるんだぞ」
「じゃあ獣兵衛さんに」
「良いのですか?」
「竹千代を護るのにも、おいらが賞金懸けてる奴を倒すのにも、まだまだ力が必要だろ? 返してくれって言うまで持ってて構わねえぜ」
言うと理玖様は耳飾りを弾き、消えた。
俺は外に出て裏に回る。海を見ながら、低い声で藪の中に話しかけた。
「八衛門、居るのだろう?」
「ええ」
唯一人残ってくれた狸の家臣が返事をする。
「狸穴島に向かえ。月に一度、あちらの動向を報告するように」
「竹千代様……」
「殊、菊之助の元服を急ぐ節があれば早急に報せよ」
「ははっ!」
八衛門は藪の中で頭を下げる。それから涙声で言った。
「漸く若君の座を――」
「黙って早く行け。聞かれていたらどうするんだぞ」
「も、申し訳ございません」
彼が去ったのを確認した後も、俺は夕陽に煌めく海を見ていた。
『おいらが消えて喜ぶ奴の為に生きるなんて、まっぴらだ』
俺だって。俺の人生は、俺が死んで喜ぶ奴の為にあるんじゃない。菊之助の人生もだ。
待っていろ菊之助。俺が必ず将監をあの島から追い出してやる。
「前よりマシになったが、相変わらず硬いな。語尾はふざけてるくせに」
「家に居た時の言葉遣いが出ないようになんだぞ」
「苦労してるねえ」
宣言通り理玖様は時々遊びに来た。特に頼むことが無い日もだ。何百年も生きていれば、何もすることが無い日というのも増えるのだろう。
「おー、速い速い。こんなにすぐ山三つ越えられるようになるとはね」
「すぐって、もう半年も経ったんだぞ」
「おいらにしちゃ、まだ半年だよ」
理玖様を乗せて空を飛ぶのも何度目か。
「そもそも空を飛べる妖怪ってのも、元が鳥や羽虫じゃなけりゃ限られてるからなあ。狸だって普通は鳥に化けたりしないと飛べないだろ?」
「他の狸のことはよく知らないんだぞ……」
理玖様は俺の笠の上に立っているらしい。とんだ平衡感覚と筋力だ。
「着いたな」
「降りますか?」
「産霊山には入れねえよ。麒麟丸が結界を張ってるんでさあ」
「はあ……」
じゃあなんで来た、と口を衝く前に、理玖様が説明する。
「麒麟丸から定期的に様子を見るように言われてるのさ。自分でも胡蝶を通じて見てるくせに」
「胡蝶?」
「知りたいかい?」
「いえ」
「いつもそう言うなあ」
「知らないでいることほど、強力な守りもないんだぞ」
「お前のそういうところ、気に入ってるぜ」
理玖様が麒麟丸様に反旗を翻そうとしているのは薄々勘づいている。けど、俺は一切詮索しない。自分の家の事もあるのに、他所の家の話に首なんて突っ込めるか。
「ここらで休憩しよう」
適当な山に降りる。理玖様は戯れに葡萄蔓をもぎ取って食べ、「不味っ」と言って残りを俺に放り投げた。さっきまで木に成っていた物は、俺でも安心して食べられる。
「竹千代はこのまま賞金稼ぎになるのかい?」
「……俺は今も、本当のところは賞金稼ぎじゃないんだぞ」
「じゃあ何なんだ?」
「何者でもない」
狸平の当主。なんて儚い肩書だったのだろう。俺はただ家老達の話に頷いていただけで、俺が成した事など何一つ無い。それに気付くと奪い返す気にもなれなかった。
「それじゃ、何者にでもなれるな」
理玖様は笑ってそう言ってから、今度は低い声で呟く。
「おいらと違って」
「……理玖様は、麒麟丸様の直臣という、立派な立場が既にあるんだぞ」
「そりゃ対外的な話でね。実のところ、おいらは麒麟丸の木偶人形なのさ」
「……まさか麒麟丸様、そういうご趣味が……!?」
そりゃ理玖様は女顔で美人だけど!
「ちょっと待て竹千代! 一体何を想像した!?」
ハア、と溜め息を吐き、理玖様は俺の隣に座った。
「仕方ねえな。ま、おいらだけが事情を知ってるのも不公平だからな。おいで竹千代」
「?」
呼ばれるがまま更に近付いて、理玖様の手の届く距離へ。大きな両手が俺を掴んで、膝の上に抱き抱えた。
「え?」
冷たい。確かに寒い季節だけれども。抱え込むように抱き締められているのに、温もりが一切伝わってこない。
「木偶人形の意味が解ったか?」
「……なんとなく」
理玖様は己を嘲るように小さく笑った。
「ちゃんと生きてるお前さんは、何にでも変われるだろ。大人になったら可愛い嫁さんも貰ってさ。木偶の坊のおいらには無理なんだぜ?」
「いや、逃亡中の俺にも無理だぞ」
「そうかい?」
「それに、女子なんて生まれてこの方、ろくに話したこと無いんだぞ」
うりうりと俺の頭を撫でていた理玖様の手が止まる。
「え、どうやったらそんな人生が送れるんだ?」
「まず、母上は俺が赤子の頃に死んだろ。俺が話せるようになる前に、弟も乳離れして乳母も居なくなってるし。家老や指南役は男も女も、皆俺の親より年嵩なんだぞ」
「いやでも、何かの行事で外に出たりしただろ?」
「外に出ても俺は一番良い席に座ってるだけだから、下々の者と会話なんて出来ないんだぞ」
「なるほどねえ」
理玖様は俺を立たせ、自らも立ち上がる。
「そういうもんか……」
未だに信じられない様子だ。
「理玖様の身近には、女子が沢山居るんだぞ?」
「おいら、今は麒麟丸の姉様に世話になってるのさ」
「そうだったんですか」
「あとはまあ、嫌いだが同格の窮奇とかな。それから……」
りおん。小さく呟いて、理玖様は先程空の上から眺めた山を振り返る。
「……ま、そんなところ」
「ふうん。……そろそろ帰りますかだぞ?」
「ああ」
俺は飛行形体に変化する。理玖様が飛び乗った。
「漸く活き活き話すようになってきたな」
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