宇宙混沌
Eyecatch

第2話:御曹司の事情 [3/3]

「流石に一旦帰ろうかな……」
 もろはは竹千代の隣で身を起こし、呟いた。今日は学校が休みだが、竹千代の家で寝泊まりしていては、着る物が制服しかない。
「ん」
 竹千代も起き上がる。ぐしゃぐしゃの頭を手櫛で更にぐしゃぐしゃにした。
「俺は学校……」
「今日土曜だぜ?」
「追試今日やるって、プリントがポストに入ってた」
「そういうのって放課後とかじゃないんだ?」
「元々授業時間を限界まで長く取ってるからな」
「進学校って大変だな……」
 身支度をして、竹千代が借りているアパートを出る。
「いつ見ても制服似合わねー」
「白とか黒とかは人を選ぶんだぞ」
「竹千代さあ、追試受けるってことは、ちゃんと卒業する気あんの?」
「いや、もっかい留年したら流石に辞めさせてもらえると思うぞ。ただ去年は出席日数だけの問題だったから、人が少ない日なら行って日数稼いでも良いかなって……」
 竹千代は昔は病弱で、小中も学校を休みがちだった。ところがある時から完全に不登校になり、それでも実家の意向で高校にはエスカレーターで進学した、という次第だ。
「辞めたら中卒ってこと?」
「大学には行きたいから、高卒認定試験でも受ける」
(うちの会社、大卒しか採らないしな)
 と、そこまで考えて、竹千代は頭を振る。
「中卒でまともに食っていけるほど、今の日本は豊かじゃないんだぞ」
「そーだね」
「じゃあ俺こっちだから」
 もろはと別れ、昇陽高校の門扉を潜る。
「来たね」
 登校したらまず生徒指導室に顔を出せ、という旨の手紙も入っていたので、竹千代はそれに従った。四十歳くらいの男性教諭が出迎える。
「随分と噂になってるよ。狸平[まみだいら]君が女子中学生を家に連れ込んで好き放題やってるって」
「あながち間違ってませんね」
「今日は相手の子は?」
「一旦家に帰ってる筈です」
「そう。ま、私としてはちゃんと避妊さえしてくれれば何でも構わないが」
(弥勒先生、相変わらず指導が雑なんだぞ……)
 何を隠そう、彼自身が若い頃はブイブイ言わせていた、と専らの噂だし……と竹千代は溜め息を吐く。弥勒も同様に息を吐いた。
「狸平君、教室に入りたくない理由を一度も話してくれないね」
「……先生は、中等部の方から引き継ぎを受けていないのですか?」
「万引きのこと?」
 竹千代は頷く。無論、竹千代が盗みを働いたわけではない。ある日、竹千代が寄りもしなかった店の商品が、帰宅すると通学鞄に入っていた。それで万引きの疑いがかけられて、家庭内で――使用人や家に出入りしていた会社の人間も含めて――騒ぎになった。家の大人達は、全員竹千代がやったのだと決めつけて話を進めた。
 学校にも勿論連絡されたが、他の生徒とのトラブルではないということもあり、その情報が生徒達の間に広まることはなかった。しかし、状況から考えて、同級生の誰かに謀られた可能性もある。以来完全に人間不信だ。
 逆も然り、家では突然非行に手を染めた竹千代が腫れ物扱いされている。だから追い出される前に一人暮らしを始めた。
「私達はうちの生徒達の仕業じゃないと思ってるよ。君も、同級生達も含めてね。ま、だからといって呑気に登校する気になれないのも解りますが」
「じゃあ何で訊いたんですか」
「君は決めつけられる事に人一倍敏感かと思いまして」
「…………」
(なるほど、その通りだぞ。俺が自分で語ることに意味がある)
「……皆が俺を信用しないなら、俺も誰も信じない。それだけのことです。それじゃ、テスト始まるので失礼します」
 竹千代は指導室を出る。竹千代のことを廊下で追い抜いた生徒達が振り返った。
「狸平君じゃーん、レアキャラ!」
「今日は体調良いの?」
「……えっと……」
「やだー、私中学の時同じクラスだったのに」
「今日は補習? また留年しないよう頑張りなよ」
 彼女達は部活だろうか。キャッキャと騒ぎながら渡り廊下に姿を消す。
(……多分、逆なんだぞ)
 顔も名前も覚えてくれないような奴の事を、誰が好きになるのだろう。だからまずは、自分から誰かを愛さないといけないのだ。
 それで、そうすべき人と出逢った。愛して、愛して、愛し返してもらった。自分を信じて、その体を委ねてもらえた。
 なのに。
「……何も変わらなかった」
 誰かに選んでもらって、愛してもらえれば、人は強く変われるんじゃなかったのか。よく街中で流れている歌のように。なのに自分は未だ、こうやってあの家から逃げ続けている。
(待てよ)
 試験用の教室に入る寸前、竹千代は弥勒教諭の言葉に違和感を覚えた。
(俺でも他の生徒でもないと思ってるなら、一体――)
「おお、狸平も来たか。始めるから入れ」
「……はい」
 思考は後ろからやってきた試験監督の教諭によって遮られる。
(まあ、ひとまずは試験なんだぞ)

闇背負ってるイケメンに目が無い。