宇宙混沌
Eyecatch

君を傷付けるだけの愛だった [2/4]

 あの日、竹千代の世界で、天と地がひっくり返った。
[]っ……」
 初潮を迎えて間もない小さな体には、竹千代を容易く受け入れるなんて無理な話だった。
「……別に今日出来なくても」
 言って体を起こそうとすると、腕をもろはに掴まれる。
「我慢しなくていーよ」
「だからって、お前に我慢させるのも……」
 口ではそう言いながらも、目は寝転がった少女の白い肌から逸らせない。倒錯とはこの事を言うのかと、赤く濡れた花弁に思った。
「だって竹千代は今日まで我慢してくれたじゃん!」
「そりゃあ、幾ら約束してても、好きでもない男に抱かれたくないだろうと思って……」
「竹千代のそういうとこ好き」
 もろはの腕が首に回る。誘われるように口付けて、竹千代は再び入り口を探った。
 我慢しなくて良いなんて、生まれて初めて言われた。母の腹に宿った時から歩むべき人生が決まっていた。その道から外れたとて、それまで以上の辛抱を強いられるだけだった。
「……なんで泣いてんの?」
 川の水ではない雫がもろはの頬に落ちて、彼女が目を見開く。
「泣いてなどおらんわ」
 知っている。もろはが甘えを許してくれたって、世界は許してくれないこと。まだこれからも、政敵に追放された若君としての、辛苦に堪え忍んで生きていかねばならないこと。
「どうなっても知らないぞ」
 そこから後のことを、竹千代はあまり覚えていない。覚えていないが、もろはの深い愛の中を泳いでいる間だけは、自分の立場を忘れていられた。
 だから酷く多くを求めるようになっていった。初めはもろはの方が年下らしく甘えることが多かったのに、いつしか竹千代が理不尽な我儘で困らせるようになった。
「ほんとに全然孕まないな」
 初めてまぐわってから一年程経った頃、もろはが寂しそうに言った。
「月のものが来たのか?」
「うん」
「いつも毎月来ないから、俺は『今度こそ孕んだか』って毎回思ってるぞ。人間は毎月あるから月のものって言うんだろ?」
「うん……」
 答えたもろはの表情で、失言に気付く。竹千代の弁解より先に、もろはの問いが急所を突く。
「竹千代はさ、本当は子供なんか欲しくないんだろ?」
「…………」
 上手く誤魔化す言葉が出てこない。それが答えになってしまった。
「ま、最初に言ってたもんな、獣兵衛さんに。子供ができても育てられないって」
「もろは」
「アタシもそうだし。子供産みたいって、アタシの無責任な我儘だもん」
「もろは!」
 もろはの言葉は彼女自身を傷付ける。竹千代は怒鳴ってもろはを黙らせた。その行為すら彼女を傷付けるのに。
 本当は今此処で何もかも吐き出して、全てちゃんと説明したかった。けれど出来ない。もろはを信用していない訳ではないが、知らないこと知らせないことは最大の防御なのだ。今のもろはの手に余る情報を渡したくない。
 それに、伝えたら伝えたで、きっと別の事実がもろはを傷付ける。どうやったって、妖狸じゃないもろは若君[たけちよ]の正妻にはなれないから。
 だからただ一言「好きだ」とも「愛している」とも言えなかった。せいぜい「可愛い」と褒めてやることしか出来なかった。竹千代の気持ちを知らなければ、竹千代と別れた後、もろはは竹千代のことを一方的に悪い男と罵れる。もろはが自分の出自をこれ以上気に病まなくて済む。
「え、ちょっ……」
 竹千代は人の姿になって、もろはを押し倒す。もろはの我儘に付き合うつもりはある。万が一もろはが身籠ったら、全財産を費やして、どんな手を使ってでも、狸穴将監の手の届かない遠くへ逃がすつもりではいた。
「獣兵衛さんもうすぐ帰って来るって!」
「邪魔するほど野暮なお方ではないぞ」
「ていうか今血が出てるんだって!」
「そうだった」
 竹千代はもろはを解放する。頭を冷やす為に外に出た。
 すぐそこに見える海は、竹千代の故郷と繋がっている。それが竹千代にもう一つ、残酷な事実を思い出させる。
「愛している」
 波の音に掻き消える程度の小ささで呟いた。その、自分だけに聞こえた響きの、なんと軽薄なこと。
(この一言が言えないのは、本当に「愛している」のか、俺に自信が無いからだぞ……)
 所詮、全て言い訳だ。本当に愛していて、本当に家族になりたいなら、荷物をまとめて今すぐ遠くに逃げれば良い。もう駿河の地を二度と踏まない覚悟で。
 それでも竹千代は捨てられなかったのだ。ひょっとすると、またこの手の中に戻ってくるかもしれない地位を。たった一人残った血縁の弟を。
 だから結局もろはは二の次だった。ただ彼女が自分の我儘や幼さを許してくれるから、手放せないだけだ。その愛を享受するのが自分一人であってほしいから、出来る限りもろはの我儘に付き合っているだけだ。それを理解出来ないほど、竹千代は子供ではなかった。
「知られたら一生恨まれるんだぞ」
 だけどそれすら竹千代に欣快をもたらすだけだ。例え側に居られなくても、好意的な感情を抱かれなくても、一番自分らしい自分を見てくれた人がずっと覚えていてくれるなら、竹千代は漸く生きた心地がする気がした。

闇背負ってるイケメンに目が無い。