第2話:二人の里帰り(後編) [2/8]
「えっ、わざと帰らないようにしてたのか?」
アタシは笠の上から竹千代に尋ねた。
「家来や領民の中には、未だに将監が俺に着せた濡れ衣を信じている者も居るんだぞ。一々誤解を解く手間はかけられないし、本来の世継ぎとはいえ、何年も賞金稼ぎや海賊なんて稼業をしてきた俺が、正式に家督を継いだ弟をその座から引きずり下ろせば、それだけでも心証が悪いんだぞ」
「お前はそんなことしないだろ?」
家督を継ぎたかったなら、狸穴将監をやっつけた時に機会はあったんだから。
「俺があの島に居るだけでも、根も葉もない噂を流して、利用しようとしてくる奴は必ず出てくるんだぞ。無用な煙を立てたくなかったら、これまで通り遠くで静かに暮らしてるのが得策だぞ」
「竹千代……」
飛んでいる状態では、笠に隠れて竹千代の顔は見えなかった。しんみりしちゃったな。何か話題変えよっと。
「この前のでかい狸の姿じゃ飛べないのか?」
「飛べるけど、あの姿を見せるのは恥ずかしいんだぞ……」
「そうなの?」
あっちのがかっこいいじゃん。狸の感覚はよくわかんねえな。
言ってる間に、狸穴島に着く。屋敷から少し離れた森の中に降り、竹千代は変化を解くと笠を目深に被った。
「竹千代様!」
「し~~!! あまり人に見られたくないんだぞ!」
屋敷へ向かう途中、気付いて駆け寄ってきた八衛門に、竹千代は指を立てて見せた。
「でも久し振りなんだぞ~」
竹千代は幼い子供のような満面の笑みを浮かべる。来ない方が良いのかと思ったけど、やっぱり来て正解だったな。
「人の姿なのによく判ったね」
「竹千代様は、先代の北の方に瓜二つですからねえ。お戻りになるならご一報下されば良かったのに」
「もろはの里帰り中に決めたんだぞ。タカマルには暇を出してるし。その帰り道なんだぞ」
「左様でしたか。確かにタカマルは先日からこの辺りをうろうろ……ん? 里帰りということは……」
竹千代は含み笑いをしただけだった。
こっそりと奥に通される。そこに居たのは、一見すると人間の殿様だった。
「兄上! もろは様も!」
「菊之助も人に化けるようになったのか。そんで、やっぱり変化してても誰か判るんだな」
「はい! ご健勝で何よりでございます」
「菊之助も――もう菊之助じゃなかったか」
あれ? アタシは並んだ兄弟に違和感を覚える。
「兄上のお好きなように呼んでくだされ。――もろは様、如何なされた?」
「いや、お前ら人の姿になるとあんまり似てないんだなって……」
竹千代のような色気は菊之助には無い。その代わり、優しい性格がそのまま面に出たような穏やかな顔つきだった。
「狸の姿でも似てなかったぞ?」
「そうなの?」
全然違いがわかんなかったんだけど。
「兄上は母上似、儂は父上似と聞いております」
菊之助は座るように勧めてくれる。
「文の返事が無いので心配しておりましたが、旅をされていたのですね」
「いや、手紙は出立前に読んでいたんだぞ」
「へ?」
「だいぶ前に届いてたやつだろ? さっさと返事書いてやりゃあ良かったじゃん」
「む~~~。菊之助からの手紙は内容が重くて、簡単に返せないんだぞ」
「どういう内容だったんだ? アタシが聞いて良いのかわかんねえけど」
「はい。今回の事は構いません」
竹千代は行李笠から手紙を出し、渡してくる。
「なになに……?」
アタシは一通り目を通して、なるほど、と納得した。
一言で言うと、正妻としてどの姫を娶るかの意見が自分と家来とで噛み合わない、とのことだった。
「お二人はどう思われますか?」
「……此処で返事するか?」
「そうだな」
「あのさ、菊之助。今から竹千代が言うことは、お前を突き放してるように感じるかもしれないけど、全然そんなことはないからな」
「前置き助かるんだぞ」
竹千代が息を吸う。菊之助はごくり、と唾を飲み込んだ。
「女一人選べない奴に、民を幸福にする為の選択が出来る筈ないんだぞ」
「えっ」
おいおい、いくらなんでも言い方キツくないか? と思ったけど、普段に比べたらまだマシな方か。
「お前の気持ちがまだ傀儡なんだぞ。判断を仰ぐ先が将監から俺になっただけで。それなら俺が殿様やるのと何ら変わりないんだぞ」
「兄上……。すみませぬ、儂が不甲斐ないばかりに……」
「お前を責めるつもりはないんだぞ。俺だってお前に責務を押し付けた形だ。でも、頼る先を見誤るな。政の話は出奔した兄ではなく、お前の元で支えてくれている家老達とよく話し合うんだぞ」
「でも、また力をつけて乗っ取ろうとする者が現れたら……」
「このままだと俺がそうなるんだぞ」
「兄上は! 元は正当なお世継ぎで、何も問題は――」
「いや、大アリだろ」
思わず呟いてしまう。道中竹千代から聞いた話を思い返した。
「……兄上が羨ましい」
菊之助は震えながら呟いた。
「解っております。儂は誰かに命を狙われた事はございませぬ。先の将監が民から搾り取った財で贅を尽くしておりました。兄上の味わった辛苦に比べれば、己が思う通りになる事の少なさなど……!」
「おいおい、別に竹千代はお前に好きな女を諦めろなんて言ってねえだろ」
「でも! この家が傾く時は妖狸全体が傾く時。家の事を考えれば、家臣の言う通り――」
「お前の好いた女を選べば家が傾くのか?」
竹千代が鋭い声を出す。菊之助は驚いて言葉を止めた。
「誰と結婚したかで変わるような世界が悪いと思わないのか?」
「し、しかし。結婚というものは、家同士の――」
「体の良い人質交換よな。儂も昔はそれで納得しておったが、娘を渡さなければ得られぬ安定など、本当に安定なのだろうか」
いつもの竹千代と違う口調。そこに居たのは、失われた「若君」だった。
「格の低い家はその為に何人も子を作って、命の価値も有って無いようなものだ。儂もそう変わらん。ただ『若君』に仕立て上げてくれた者達に、良識があっただけのことよ。それも菊之助が居たから、儂が倒れたらすぐに皆見限っていった」
「竹千代様……」
八衛門の声に、竹千代は言葉を切る。また言い過ぎたんだぞ、と小さく呟いて、口調を戻した。
「とにかく、娶ったか娶ってないかで他の家の扱いに差をつけなければ良いんだぞ。予め言っておけば、お前のことを好きでもないのに嫁がねばならん女も救われる」
竹千代は優しく笑う。
「無理だと決めつけていたら、何も変わらないんだぞ。お前が当主なのだから、何でもやるだけやってみれば良いんだぞ」
菊之助は暫く黙っていたが、やがて言った。
「難しいとは思いますが、兄上の仰りたい事は解りました。将監、家老達と話し合う場を作ってくれるか?」
「承知致しました」
八衛門が返事をした。アタシは混乱する。
「えっ、八衛門が将監???」
「『狸穴将監』は狸穴島の将監っていう役職名だぞ」
竹千代が呆れたように説明してくれる。そうだったのか……。
「先の将監の名は何だったか……」
「覚えてやる必要なんかありませんよ」
八衛門が首を振る。アタシはふと気になって、竹千代に尋ねた。
「そういや、前の奴の処遇はどうしたんだ?」
「『俺と同じ目に遭わせろ』と言ったんだぞ」
「遠い国に流して、幽閉生活を送らせております」
「お前結構容赦ないな……」
「こっちは殺されかけてるんだぞ? 打首にしなかっただけマシだぞ」
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