第1話:二人の里帰り(前編) [2/6]
山の中の川沿いに、もろはを乗せて飛ぶ。それはいつも通りの俺達で、しかし目的地は遥か遠い東だった。
「竹千代は――のどこ――なんだ?」
「ああ?」
俺は笠の上のもろはに訊き返した。
「何か言ったか?」
俺の顔にも耳にも、冷たい風が打ち付ける。風切り音が酷くて、上手く聞き取れない。
俺は理玖様に暇を貰い、もろはの帰省に同伴していた。というか、「護衛を雇うのが面倒だからついてってやれ」と言われた。俺より強い奴の用心棒とか、馬鹿げている。
それでももろはが俺も来てほしいと言ったから承諾した。結果、要は俺は足代わり兼荷物持ちだったとすぐに解った。いつものことだし、解っていて断らなかった俺も俺だが。
こんな強風の中飛んでいるのは、もろはに無理強いされたからだ。四半妖だから俺より疲れやすいのには同情するが、それなら無理せずさっき立ち寄った町で休めば良かったのに。まったく狸使いが荒いんだぞ!
「――千代は、アタシの――きなんだ?」
「も~~全っ然聞こえないんだぞ! もっと耳の近くで言え!」
流石は犬妖怪、もろはには俺の声が聞こえているらしい。頭の上の重みが移動する。
「竹千代は、うわっ!?」
突風が吹き、煽られて俺の体まで傾く。もろはの言葉は途中で叫びになり、赤い着物の小さな体が視界の隅を落ちるのが見えた。
「もろは!!」
下方向に初速を付けてから、人型に変化して俺も落下する。なんとか着水前に追いついたものの、今度は飛行形体への変化が間に合わない。俺はもろはを抱え込むと、そのまま川に落ちた。
「も~~~最悪だよ~~~」
「それはこっちの台詞なんだぞ……」
俺は冷たい川の中から顔を出すと、水の滴る髪を掻き上げて後ろへ追いやる。
「ほら」
隣で腰を浸したままのもろはに手を差し伸べる。もろははぷい、とそっぽを向きながらも俺の手を取った。
「慌ててても人間の姿に戻るようになったんだな」
俺が長らく子狸の姿で居たのは、歳を誤魔化し刺客の目を欺く為だった。元々狸平の一族は、元服後を目処に人型で過ごすのが常――なんて、飛び出してきた家の話をしても仕方がない。
「狸の姿じゃ庇ってやれなかったんだぞ」
川の底の石で腕を切った。上流で雨が降っているのか、既に濁っている水に俺の血が溶けて流れていく。
「……ずぶ濡れだから縛る物が無え」
「大した傷じゃないんだぞ。とにかく、こっちも雨が降る前に、今日のところは寝床を探すんだぞ」
とはいえ、結構な山の中だ。人家が近くにあるとは思えない。廃寺か、山小屋でも良い。何か無いだろうか。
「次の集落まで飛べねえのか?」
「怪我人をこき使うなだぞ。またひっくり返りたいのか?」
「怪我やっぱり酷いんじゃねえか!」
もろはは歩き出した俺に追い付くと、腕を掴んで袖を捲くる。もろはの手の方が冷たい。
「せめて綺麗な水があれば……」
「舐めときゃ治るんだぞ」
大体、俺は妖怪だからこの程度、明日になれば痕も残っていないだろう。空を飛びたくないのは風もあるし、濡れた体ではもろはが冷えに音を上げることが目に見えるからだ。
「そっか」
もろはは言うと、そのまま腕を持ち上げて唇を寄せた。
「なっ!? 何するんだぞ!?」
「だって舐めときゃ治るって」
「お前に舐めろとは言ってないんだぞ!」
生温かい感触にぞわり、と腰が疼く。もろはを見れば、濡れた服は透けこそしていないが、身体にぴったりと貼り付いて胸の形まで顕になっていた。気付いてないのか?
「あ~~~~。お前暫く俺に姿見せるな」
「えっ」
もろはは驚いて顔を離す。
「そ、そんなに怒らなくても。舐めるの嫌だったか?」
「その前の川に落ちた方を謝ってほしいんだぞ」
「ごめん! もうお前が『飛べない』って言った時は無理強いしないから」
「わかったから、とにかく俺の前に出るな」
「謝ったのに!?」
もろはに追いつかれないよう、徐々に速度を上げる。半ば走り始めた時、何か建物が見えた。
「もろは」
後ろに声をかけ、俺はそちらに向きを変える。
寺だろうか。廃墟だった。しかし、井戸らしきものがある。
「涸れてる?」
「待つんだぞ」
滑車には何もかけられていない。俺は行李笠から茶碗と紐を取り出すと、しっかりと括り付けて井戸の中に落とした。
ぽちゃん、という音がした。引き揚げてみると、見た目は問題なさそうだ。もろはが顔を近付ける。
「臭いも大丈夫そう」
ひとまず服を着たまま体を清める。もろはが髪を洗いでいる間に、湿気た枝を拾い集めた。
「中で火を熾せる場所が無いか見てくる」
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