第7話:陸に上がった海賊 [2/3]
翻訳家・平垣紫佑。渡された名刺にはそう書かれていた。
まずは電話か何かで一報を入れた方が良いのだろうとは思いつつも、肝心の自由に使える電話が無い。不在の可能性も出てくるが、直接住所を訪ねることにした。
昨夜頭に入れた地図と、自身の方向感覚・探知能力を駆使して進む。電車、というのに乗れと地図には指示されたが、人間の足でも半刻かからない道程だったので避けた。
「はーい」
目的の建物の玄関で部屋番号を指定すると、聞き覚えのある女の声がする。
「あ、おいら……」
「どうぞ」
何も言わないうちに、建物の玄関の戸が開く。エレベーターと呼ばれる箱には以前にも乗った。部屋の戸の横のボタンを押すと、やはりあの時の化粧係が出てくる。おいらの姿を確認すると、奥に向かってこう言った。
「紫佑ちゃん! 『オイラ』さんが来たよ!」
その言い方に、懐かしい記憶が蘇る。
『オイラさん、一緒にどう?』
「とわ様?」
「へ?」
「いえ」
女に示され、中へ。通された部屋では、壁際に置かれた机の前に、男が座っていた。入口に背を向けるような格好で、机の上にはパソコンと、辞典、その他多くの書籍。
それから、色褪せた写真が一枚、飾ってあった。
「……!?」
おいらは思わず息を呑む。
「紫佑ちゃ~ん。お客さんだってば」
「やっぱり間に合わなかったか……。ちょっと待って、この段落まで終わらせるから」
その写真には、白い着物と黒い着物の二人が写っていた。かなり傷んでいて、最早誰の写真なのか判別できないが、恐らく白無垢と紋付袴。
そして花嫁の方は、その髪まで真っ白だということが、なんとなく判った。
「西暦二〇二二年XX月XX日、午前八時三十二分」
男は作業を止めると、落ち着いた声でそう言いながら振り返った。
「現在時刻だ。この時間には他の用事を入れないよう、覚えておけ。まあ、令和で人の家を訪ねるには早すぎる時間帯だが」
その声には聞き覚えがある。この顔には見覚えがある。
「うわっ」
おいらは女を突き飛ばす勢いで机の前まで進み、男の――鹿猪の顔をしたおいらの胸倉を掴んだ。
「あんた全部此処で黙って見てたのか!!」
言いたい事が多すぎる。最初に出てきたのは、とわ様を助けられる場所に居ながら、これまで何も手を出してこなかったことに対する非難だった。
「のうのうと五百年も生き長らえやがって!」
「頭を使えよ。お前も既に六百歳だろ? そこから五百年なんてあっという間だ」
五百年後のおいらは、おいらの額を指で弾く。女はおろおろと、視界の隅で右往左往した。
「ずっと東京に居たのに、指咥えて見てるだけだったのかよ? とわ様が殴られていた時も、妖霊星が墜ちてきた時も!」
何より、希林理を野放しにしていた事が気に食わない。あいつさえ居なければ、今頃――
「例えば私が希林理を始末していたとして、今頃どうなっていた?」
考えていることはお見通しか。いや、五百年前に何を思ったか、憶えているのだろう。
「妖霊星は確かに戦国時代に飛ぶことはなかっただろうな。だがその代わり、令和の東京は壊滅していた」
「だからって……」
「第一、希林に殺されなければ、お前は今も木偶人形のままだ」
言われてハッとする。
「運良く麒麟丸と共に生き延びたって、それじゃとわと一緒になれやしなかったんだぜ?」
そんなことは解っている。どうせ現世では結ばれぬ身。そう思って道連れにしようとした事もあるのだから。
「でもとわ様を守ってやることくらい……」
「それ逆に私が不審者になる案件だから。それに、お前より先に会っちまったら、とわのお前への印象が『紫佑に似た人』になるが?」
「…………」
「お前は令和で使える身分証が欲しくて来たんだったな。悪いが、私が此処にこうして存在する為には、お前には帰ってもらわないといけない」
胸倉を掴まれたままなのに、どこか自信のある微笑が癇に障る。
「お前が人の森に上がるのはまだ早い。第一、身分証偽造は最低でも百万円からしか請けてない。だいたい五両くらいだ」
昔おいらがせつなに説教した時みたいな言い方しやがる。おいら自身なんだから当たり前だが。
おいらは手を放した。
頭では理解している。全て見てきたこいつの言うことに従うべきだと。一つでも歯車が狂えば、五百年後においら達がこうして話をすることも出来ないのだと。
だが気に食わない。この状況がだ。とわ様は何処に居るんだ? 何故おいらがあの写真を持っている? そしてこの女。
半妖のとわ様が、妖怪のおいらよりも先に老いるのは確実だ。嫌な想像だが、とわ様亡き後、似た女を後妻にした、とは十分考えられる。新婚の身に見せ付けられる現実としては辛いものがあるな……。
「訊いても答えちゃくれねえだろうなあ」
逆の立場なら、きっとおいらは答えない。
「一つだけなら」
が、意外にも未来の自分は寛容だった。
「……おいらは、とわ様を幸せにできたのか?」
とわ様の行方そのものを訊くだけの勇気は出なかった。
「できた。……そう答えたところで、納得しないだろ?」
緑の目が困った様に笑う。
「流石、おいらのことはおいらが一番良く解ってるね」
何もかもが信用ならなかった。目の前にいる五百年後の自分のことも、今此処に立っている理玖のことも。
それで誰かに信用されたいとか、愛されたいだなんて、随分と都合の良いことを考えたもんだ。
「一つ答えたんだから、こっちからも一つだけ言わせてもらう」
おいらは伏せそうになっていた顔を上げる。
「お前は愛される資格が無いんじゃなくて、想いを受け取る覚悟が足りないんだ。とわの気持ちも汲んでやってくれよ。とわはどんなことがあっても、お前を信じてるんだからさ」
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