春はすぐそこ [2/5]
冬だというのに妙に穏やかな海を眺めていた。陽射しもあり、風の冷たさを忘れれば春のようだ。
屍屋から海を眺めていると、思い出すのは先日の事。どうしてとわを殺せなかったのだろう。あんな機会、滅多に無いのに。
やはり愛が足りないのか。とわは半妖だ。おいらは人間の血が混ざってる者は基本的に好きじゃねえし、仕方のないことかもしれない。
「お出掛けかい?」
屍屋の中から、顔貌の整った人間が出てくる。玉乃という女だ。焔を始末しに行く途中で拾った。
焔なんて奴を自分の手にかけてやるのは元々乗り気じゃなかったから、人助けの依頼と称して夜叉姫達に代わりに行かせた。この女はその為の道具、それだけに過ぎない。
やはり自分が焔に一言言いたいと、玉乃は徒歩で山へと向かおうとした。その足では何日かかることやら。
「仕方ねえ」
夜叉姫達が戻ってきた時に、依頼人が居なければおいらが問い詰められる。それに。
「少々確かめたいこともありましてねえ」
人間など愛するものじゃない、と。
そうすれば、あの日とわを海に沈めなかった理由に、なる筈だ。
「あれ? 理玖は?」
玉乃さんを見送り、屍屋の中に戻ると、彼の姿だけ見当たらなかった。
「此処に」
窓の外から声が聞こえた。理玖が肩代わりしたという報酬の受け取りは他の二人に任せて、外に出る。
「人助けするなんて、ちょっと驚いちゃった」
本当に驚いた。だって理玖、人間のこと嫌いだって言ってたのに。玉乃さんがあまりにも美人だったから、特別なのかな、なんて思ったりして。
理玖は海を見ていた視線をこちらに向ける。
「おいらにも利があると思ったからやった。それだけの事です」
深い緑の瞳に、夕陽が炎を宿す。心臓がドキリと跳ねた。
それは、そこに底知れぬ策謀があるように思えたからだ、と自分に言い聞かせる。決してときめいたからではない。そうだとしても、理玖からすればきっと迷惑だ。
理玖は小さく笑うと、顔をまた海に向けた。綺麗な形の眉を歪ませる。
「少し解らなくなってきやした」
「何が?」
「とわ! 帰るぞ」
「あ、待ってよ! それじゃ、またね」
私は理玖の言葉が気になりつつも、置いて行かれないよう慌ててせつな達の背を追った。
解らなくなってきたのではない。曖昧にだが、解り始めたのだ。
次の春までに破滅するのは、きっとおいらの方だと。
焔はおいらの想定通りの死に方をした。人間への愛に狂って、自らを灰になるまで燃やし尽くした。
そこまでは良い。問題は、その様を見た上でとわを目にしても、どうにも嫌悪や憎悪の感情が湧き上がってこないことだ。
雪山であの日の理由は見つからなかったが、もう一つ判った事がある。とわは、おいらは溺れそうにないと言った。それは間違いだ。
とわという海はおいらには操れないし、きっともう溺れている。
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