宇宙混沌
Eyecatch

春はすぐそこ [1/5]

「こんにちはー」
 私はまた寝坊して、起きたらせつなはもう居なかった。もしかしたらもろはと一緒に居るかもと思い、屍屋の門を潜る。
「これはこれは、とわ様」
「理玖」
 そこには霞色の袖なし羽織を着た背があった。腕を組んだ理玖が振り向く。
「どうやら留守のようですぜ」
「そうなんだ。理玖も用事あったの?」
「竹千代が居たら使い走りをね」
 理玖が外に出たので、私もそれを追う。右を向けば、海が陽の光に煌めいていた。
「理玖の船はこの近くにあるの?」
「遠くもなく近くもなく、ですかね」
「はあ」
 理玖は鼻で笑うと、坂を下りる。
「とわ様もお暇なら少し歩きましょうや」
「夢の胡蝶を探さないとだから、暇じゃないよ」
「そうですかい」
 そのまま遠ざかっていく背に、なんだかもやもやする。なんていうか、もう一押しくらい、してくれたら良いのに。
「待って」
 私はそう声をかけると、速歩[はやあし]で理玖の横に並んだ。

 ふーん、ついてくるんだな。
 おいらは隣に来た銀髪を見る。最初の一瞬こそ警戒して刀を握った少女は、すっかりおいらのことを信用しているようだ。自分で言うのもなんだが、おいら相当怪しい奴だと思うのだけど。
 しかし、不可解なのは自分自身も同じだ。竹千代が居なかったのだから、さっさと自分で用を済ませに行くべきなのに、どうして誘ったりしたのだろう。
「春には桜がよく見えるんですよ」
「屍屋から?」
「ええ」
 浜へと続く道を下りる。口からは特に目的の無い言葉が漏れ出る。黙って歩けば良いものを。
「桜はお好きですか?」
「すごく好きってわけじゃないけど、綺麗だよね。お花見も好きだし。理玖は?」
「おいらですか?」
「うん。桜、好き?」
「そうですね……」
 そんな事、考えたことも無かった。桜なんて春になれば勝手に咲いて、あっという間に散ってしまう。何百回と見てきた光景だが、確かにその儚い様は、愛されるべきものかもしれない。
「嫌いじゃありません」
「じゃあ、咲いたら一緒にお花見しようよ」
 浜に着いた。とわはおいらの返事を聞く前に、興奮して波打ち際へと駆ける。
「その頃まで、お互い生きているでしょうか」
「え?」
 振り返った銀髪が陽の光の下に靡いた。波の音が集落の全ての音を消した。いつもは透けるような白い頬が、今日は桜色に染まっていた。
 とわが立っているそこだけが絵画のようだった。この一瞬を閉じ込めて手元に置いておきたい。
 この感情を何と呼べば良いのか。
「理玖、何か言った?」
「何も」
 おいらも浜を進む。
「そんなに寄ると濡れますよ。それとも、海に入りたいんですかい?」
「いやー流石に寒いでしょ。水着も持ってないし」
 大きな波が来て飛沫がかかり、とわも引き返してくる。互いの目の前に来たところで、立ち止まった。
「夏になったら入れるかな? 理玖も泳げるの?」
「わかりやせん。水に落ちたことがないもんで」
「そういえば、理玖は水を操れるから、少なくとも溺れそうにないね」
 おいらは向けられた笑顔を真正面から見つめ返す。
「あれは誰でも出来ることじゃないよ」
「そうですかね」
 否定も肯定もしなかった。実際やってみないと分からない事を論ずるのは無駄だ。
 なのに心の何処かで、とわがそう言ってくれることに、温かさの様なものを感じていた。

 細められた緑の目は私を見ていた。吸い寄せられるように、私も理玖の顔から目が離せなくなる。
 本当に綺麗な人だ。歳はわからないけど、私よりは結構上だろうし、恋人や、もしかすると家庭もあるんだろうな。それに思い当たると、先程の誘いは迷惑だったのではと思えてくる。
「あっ、さっきの花見の話! 先約があるなら気にしないでね! あと二人でってことじゃなくてせつなとか皆も――」
「おいらは、二人きりの方が嬉しいですね」
「え?」
 理玖の指が私の頬に触れた。少し驚いて、固まってしまう。
「尤も、花見なら今、できやしたが」
「?」
 首を傾げると、理玖は笑って私から離れる。
「とわ様ほどのお美しさなら、おいらなんか誘わずとも、花見の供など引く手数多でしょうに」
「そんなこと言われたの初めて……。まあ、女の子にはモテたかな……」
「お付き合いしている方や気になる殿方は居ないんで?」
「付き合うなんて影も形も。この時代だと、私くらいの歳なら、もう縁談とかがあるのかもだけど」
「そうですねえ。人によりますよ」
 理玖は海岸線に沿って歩き始める。私もそれに倣った。
 気になる殿方、か。
 隣の理玖を見上げる。理玖は海を見ているから、その表情は私には見えない。
 海賊、と本人は言ったけど、一体何をしている人なんだろう。菊十文字を盗んだのも理玖? でも、屍屋のお客さんでもあるし、悪い人には思えないんだけどな……。
 私は前を向く。違う。本当に気になるのはそこじゃなくて。
「り、理玖はさ、」
 思い切って訊いてみた。
「恋人とか居ないの? 理玖だってかっこいいじゃない、すごく」
「そんなこと初めて言われやした」
「嘘でしょ!?」
 その顔で!? しかし振り向いた理玖は意外そうな表情を浮かべている。
「本当ですよ。言われれば確かに、人間は寄ってくることがありますね。こちらから願い下げですが」
「えっ。理玖って人間じゃないの?」
「ええ、まあ。こっちから言わないと大抵、誤解されたままになりますがね」
「そっか……人間嫌いなんだね……」
「……怒らないんですね。とわ様も半分人間でしょうに」
「好き嫌いは自分でなんとかできるものじゃないでしょ? 私、あんまり話しかけない方が良いかな?」
 胸がきりきりする。なんだろう、この気持ち。
「今日誘ったのはおいらですぜ」
 浜の端まで辿り着き、足を止める。理玖は私の方を向いて、妖しく微笑んだ。

 今ここで海の中に引き倒して水を飲ませれば良い。そうすれば可愛い女をこの手で殺せるし、銀色真珠も手に入る。
 屍屋には誰も居ない。村から浜の端は見えづらい。四凶のことは他の姫達だけでもどうにかなるだろう。この絶好の機会に何を躊躇っているんだ。おいらは。
「理玖は私のこと嫌いじゃないの?」
「勿論ですよ」
 とわは先程から一人で青くなったり、また桜色になったりと忙しい。女ってのは解せねえな。
 ……いや、一番解せないのはおいらだろう。つい先日まで、姫様のことを殺す日が待ち遠しかったのに。今、そうすべき状況が揃っているのに。
「理玖?」
 海風が吹く。とわの髪が揺れ、彼女は目を瞑った。今だ。
 とわの肩を掴む。引き寄せて、抱き抱えるように腰に腕を回した。

 海の匂いに混じって、丁子[クローブ]の様な香りがした。そんなことに気を取られて、男の人に抱きすくめられたのだと理解した頃には、既に理玖は私を解放していた。
「寒そうに見えたんで、つい。もう戻りましょう」
 理玖は私の顔を見なかった。それから、と歩き出した背中が付け加える。
「おいら、先の事は約束しないようにしてるんです。花見の件も、縁があれば」
「そ……っか……」
「それじゃあ、おいらは用があるので」
 理玖は屍屋とは違う方向へ。私は急に肌寒さを覚えて、誰かが帰ってくるまで屍屋で待つことにした。

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