第8話:五百年越しのありがとう [5/5]
「やったか!?」
俺は二人の気配が消えたことに興奮した。床に置かれていた懐中電灯を取り、中を照らす。居ない。
「よし!」
駄目元で自分も飛び降りたが、何も起こらない。井戸の上に跳び上がると、匂いを感じた。これは……理玖?
「何処だ?」
井戸の中からではない。外だ。俺は小屋を出て駆け出す。
その男は御神木の下に立っていた。俺の姿を見ると、口元を覆っていた布のようなものを下げて微笑む。
「せめて耳は隠した方が……そうか!」
男はハッとした様子で言葉を切ると、俺が何も聞かないうちから説明しだす。
「阿久留が逃げ回ってね。井戸じゃなくて時代樹に道を開いたんだ。一瞬しか開かねえから、逃すなよ」
その声も、匂いも、確かに理玖だったが、顔だけは違った。それに、なんだ。妙に落ち着きがあるというか。
「ついでに襟巻きを取り返してくれないか。あの色なかなか手に入らなくてね」
「構わねえが、お前は……?」
「妖怪ってのは、戦に負けなければいつまでも生き永らえるもんでさ」
ああ、そうか。こいつはこの時代まで生き延びた理玖なんだ。
「今朝こっちの理玖が会いに行ってたのはお前か」
「そういう事」
「全部お前の掌の上ってか」
まったく、胡散臭い奴だとは思っていたが、本当に黒幕みたいじゃねえか。
「案外そうでもねえよ」
理玖は御神木を見上げた。
「今日神社に来ることは計画していなかった。写真を刷り直すよう過去の自分が勧められたのを、さっき聞いて思い出してね。草太に貰った金だったから、その分は神社に落としておこうと思って」
そこまで言って、理玖は意味深に瞬きをした。
「尤も、この状況からすると、来るべくして来たようだが」
「ふん」
俺は腕を組んで鼻を鳴らす。
「やれやれ、ちょっとは感謝してくれても良いだろ? 井戸の小屋に居たら、お前暫くあっちに帰れないところだぜ?」
「へいへいありがとよ。……こっちの理玖に何を教えた?」
「別に何も」
「……そうか。まあ、理玖が大人しくあっちに帰る気になってくれたんだから良かったぜ。俺は口下手だからよ」
「ああ。礼を言うのは此方の方だったな」
その言葉に俺が首を傾げると、理玖は俺の衣を掴んだ。強引に体の向きを変えられると、目の前には驚いた顔の童が居た。
「心配してくれてありがとう、犬夜叉」
そのまま背を突き飛ばされる。背後からは遠くなる声で、こう聞こえた。
「おいらはもう木偶人形じゃない」
何処とも付かぬ道を流れるように進む途中、童が持っている躑躅色に気付く。
「お前が阿久留か。その襟巻き、返してやってくれ」
童から襟巻きを取り上げた時、突如視界が開ける。今度はとわと理玖――まだ落ち着きのない方が、目を丸くして俺を見ていた。
「叔父さん! 良かった! 阿久留が連れて帰ってきてくれたんだね」
とわが阿久留の頭を撫でると、阿久留は笑って何処かへ走って行った。
「行っちゃった」
「まあ、元々駆け回っている精霊でしたからね」
「それにしても、どうやって復活したんだろう」
「それは――」
二人で話を続けそうな夫婦の注意を、咳払いで俺に向ける。襟巻きを差し出すと、理玖は受け取って微笑んだ。
「ありがとうございます。なかなか取り返せなくて」
「理玖、井戸に落ちた時に腰を痛めちゃったみたいなんだ。私も走れないし」
「とわ様の為ならどうって事ありやせんよ」
満面の笑みで空元気を振る舞う理玖に、俺は溜息を吐いた。
「礼を言うのが遅えんだよ」
「えっ、さっきすぐ言ったのに?」
そうじゃない。けど、今の理玖に言ってもきっと響かない。
猶予は五百年ある。それまでに解ってくれれば良い。
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