第6話:みんな何処か欠けている [4/4]
理玖と竹千代だけが先に船に帰ってきた。竹千代は「今は何も食べたくない」と言って、昼飯の席には現れなかった。
「あの手紙、当分返事が書けそうにないんだぞ」
船の中を探すと、甲板で腕に止まったタカマルに話しかけていた。
「暫く暇をやる。呼んだらまた来てくれ」
タカマルは大きく鳴いて返事をすると、空に飛び立つ。
竹千代は船の端まで歩いて、柵に凭れかかった。懐から文のようなものを取り出し、広げて見つめている。
「菊之助からの手紙か?」
「もろは」
竹千代は首を横に振ると、それを手渡してきた。震えた字で、歌が書かれている。
「『忘るべし 定めに由りし川流れ 落つる紅葉の得らるゝは無し』」
「子供の時に詠んだやつだから、読み上げられるのは恥ずかしいんだぞ」
「どういう意味だ?」
「何にもなれずに死んだ男の事は忘れて生きろ、という意味だぞ」
「どうやったらそんな意味になるんだよ。川とか紅葉とかどこいった?」
「川流れは溺れ死ぬことだぞ。紅葉は俺だ。よく紅葉色の着物を着せられていた」
「んなこと知らねえよ」
「菊之助は知ってるから良いんだぞ」
「……で、この辞世の句、どうすんの?」
「こうするんだぞ」
竹千代はアタシの手からそれを奪うと、細かく引き裂いて海に捨てた。
「お前が返事するまで、長生きしないといけないからな」
「返事要らねえって言ったのお前だろ。長生きしたいんなら、まず飯を食えよ」
「そうだな」
そう返事をしたが、口元を押さえた竹千代の顔は青くなっている。
「せつなは豆腐が好きなんだと。悪いことをしたんだぞ」
「いや、せつなもお前のその様子を見たら、とても目の前に出せねえって。どうしても無理なもんは無理だろ」
「そうやって俺はいつも逃げてきたんだぞ」
竹千代が振り返る。瑠璃紺の瞳がアタシを射抜いた。
「お前に好いてもらうことからもな」
「……竹千代、」
「悪い。これじゃ返事を急かしてるみたいなんだぞ」
言って竹千代はアタシの隣を通り過ぎた。かと思いきや、背後でうわっ、と悲鳴を上げる。
「理玖様! 歩いてる前に現れないでほしいんだぞ!」
「ごめんよ。お前さんに頼みたいことがあってさ」
「何ですかだぞ?」
「もろはがまたご両親に会いたいってね」
竹千代だけじゃなく、アタシも首を傾げる。確かにこの前、時期について相談したけど、何か頼んだ覚えはない。
「護衛を雇うのも面倒だし、お前ついてってやれ」
「は? なんで俺なんだぞ。用心棒にするなら逆だぞ」
「そうだよ。アタシ――」
別に一人で良い、と言いかけて、やめた。二人で旅か。返事をする良い機会かもしれない。船じゃ皆が居るから、返事した後どんな風に接すれば良いのかも、落ち着いて考えられないし。
「――アタシは、ついてきてもらいたいけど」
「正気か!? 何かあっても、俺自分の身を守るのでいっぱいいっぱいだぞ!?」
「そんときゃアタシが守ってやるよ」
理玖は小さく笑うと、姿を消す。まだ尻込みしている竹千代に訊いた。
「なんだよ、お前アタシのことは護衛する価値もねえってか?」
「そんなことは微塵も思ってないんだぞ」
「じゃあ決まり」
竹千代は深く息を吐いて、再び柵に、今度は海に背を向けて凭れた。
「俺も十分気が小さいんだぞ。何故、狸穴将監は俺を擁立しなかったのだろうな?」
「うーん……」
竹千代のは、別に気が小さいわけじゃないと思うんだよな。己の力量をよく把握してるっていうか。今回はそれを見誤って猛突したから、理玖に叱られたんだろ?
「……お前にちゃんとした殿様の才覚を見たからじゃねえの」
竹千代がどんな子供だったのかはわからない。でも、菊之助には随分褒められていた。確かに戦いの腕はからっきしだけど、歌も詠めてそろばんも出来て、色んな妖術だって。
何より、弟や民のことを思って、行動を起こせる奴じゃないか。
「何でも一人で決められる殿様になったら、将監の出る幕がなくなっちまうだろ?」
「……そういうことにしておく」
この船に居るのは誰もが半端者だ。いや、この世界の誰もが完璧じゃない。理玖だって、殺生丸だって。
「やっぱり、お前は殿様にならなくて良かったと思うよ」
竹千代は立派な殿様になったかもしれないけど、そうしたらきっと、今の竹千代にある良い所が得られなかった気がする。慎ましさとか、無邪気さとか。どう転んでも何かが欠けてしまうのだとしたら、アタシは、今目の前に居る竹千代が良い。
竹千代は息をついて、微笑んだ。
「やっと俺の選択を肯定してくれたな」
「別に反対なんかしてねえだろ」
「たまに顔に出てたんだぞ」
「うそっ!?」
思わず自分の顔を叩くように挟む。竹千代がアタシの腕を掴んで下ろした。
「その、顔擦ったり叩いたりする癖やめるんだぞ。不細工に拍車がかかるぞ」
「うるせえ! 自分が美人だったからって調子乗ってんじゃねえぞこの狸!」
「騒がしいな」
「止めた方が良いか?」
「竹千代が海に落とされる前には」
背後でせつなと翡翠の声がする。
「喧嘩するほど仲が良いってやつか」
そう言われて急に恥ずかしくなる。掴んでいた竹千代の胸倉を放して、船内に戻ろうとした。今度は竹千代の声が背を叩く。
「いつ出立するんだぞ?」
「三日後!」
「承知」
半端者なのは、アタシだって。四半妖だし、せつなやとわみたいな美人じゃないし。
それでも竹千代は好きだと言ってくれたんだ。だからアタシもそうだって、ちゃんと言ってやらなきゃ。
皆それぞれに何か欠けていて、その欠けたところまで含めて他人を愛しいと思えるんだから。
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