宇宙混沌
Eyecatch

第6章:ましな方の地獄


 いつの間にか骨喰いの井戸に来ていた。
「?」
 井戸の向こうに、人の手のような物が見える。慎重に向こう側に回り込むと、そこには茶髪の男が倒れていた。顔色が悪い。
「理玖!?」
 麒麟丸の罠かもしれないのに。そう思った時には理玖の頭を抱え上げていた。
「おいどうした! 父上は!?」
 だって理玖に何かあったら、とわが悲しむから。事実、悲しんでいたのだ。とわは、理玖が死んだ時の事を夢に見ては、屋敷を抜け出して外で泣いていた。理玖が再び会いに来るまで。
 これ以上とわを悲しませるな。そんな怒りの様な心配の様な気持ちで理玖の肩を掴むと、ふと、以前理玖に助けてもらった時の、彼の言葉が脳裏に浮かんだ。
『実は、あんたの方はどうなろうと構わないんですが、とわ様が悲しむといけませんからねえ』
 そうか。とわを悲しませないようにするのは、誓うほどのことでもないんだ。理玖も私も、選択の時は当たり前に、とわが悲しまずに済むであろう方を選んでいる。
 それで本当にとわを傷付けずに済むかどうかは、また別の話だ。心の奥底で傷付いたとしても、とわは誰にも語らないかもしれない。いや、きっと語らない。全部蓋をして無かったことにしていたのに、是露[ぜろ]にそれを暴かれて暴走したんだ。
 だったら、私達がやるべきことは、その蓋を開けようとする奴等からとわを守ることだ。
「ん……」
「理玖! 一体誰にやられた!?」
「とわ様?」
 意識がまだはっきりしない理玖の、緑の瞳と目が合う。見たことが無い程の優しい眼差しに面食らった。とわはいつも、これを見ていたのか。
「……せつなだ。何があった?」
 理玖が手を伸ばしてきたので、我に返って慌てて否定する。理玖は伸ばしかけた手をそのまま自分の額に当てて呻った。
「おいらにもさっぱり。ただめちゃくちゃ頭[いて]ぇ」
 目覚めたことだし、私はゆっくりと理玖を地面に戻す。
「父上はどうした?」
「ああ、そうだ。殺生丸様に毒を入れられたみたいですね」
「なんだと?」
「ほっぺたを爪でチクっとやられたと思ったら、その後の記憶が[]え。……あれ? 傷治ってる」
 理玖は自分の頬を撫でて確かめ、首を傾げた。
 父上が理玖を眠らせて、麒麟丸と何か話したのか? しかし毒を盛るとは流石の私も引く。
「歩けるか?」
「無理そうなんで、快復したら戻ります」
 私は骨喰いの井戸に腰掛けた。何か言いたそうな理玖に、聞かれる前に言う。
「私も今、家に戻りたくない気分なんだ」
「言っときますが誘われても乗りませんよ? いくら同じ顔でも、おいらとわ様以外に全く興味無いんで」
「勘違いするな! 動けないお前を置いて帰って、何かあったら私が責められるだろう!」
「そうですかい」
 そのままじっと空を見上げている理玖から、伸びる糸を探してみる。あった。
 しかしこの状況で断ち切りを振り上げたら、理玖に要らぬ誤解をさせそうだ。第一、麒麟丸に覗き見されていることは理玖には教えるな、と父上に言われている。
『何故隠す必要が?』
『理玖の為だ』
『随分と気に入られたようで』
『とわの為でもある』
 父上の真意は解らないが、敢えてその意に反することもない。もう一度眠らせるか。
「理玖」
「何」
「私の毒も飲んでみるか?」
「粋じゃねえどころか洒落にもなんねえ」
 震える指で耳飾りを弾き、まだ思うように動かない手に剣を呼び出す。そこまで嫌がるか。
「冗談だ。とにかく動けるようになるまで見張っててやる」
「下手したら日が暮れますぜ。とわ様呼んできてくださいよ」
「それは嫌だ。薬が必要なら私が取ってきてやる」
「薬よりも妖怪[めし]の方が良いな。せっかく殺生丸様に良い狩場を聞いたのに」
「……わかった」
 そう言って立ち上がったが、直後に匂いがした。父上と邪見とくろ、それから……妖怪の死体。
「これは食えるか?」
 父上は降りて来ると、掴んでいた小妖怪の死体を理玖の隣に放り投げた。
「食えます。礼を言った方が良いんですかね?」
「要らぬ」
「何故急にあんな事したんです?」
 父上は答えない。邪見は眠っているくろを抱えたまま、おろおろするばかり。
「おいらに言えない事なんですかい?」
 長い沈黙が降りる。理玖の表情には、今や毒の苦しみではなく、悲しみが浮かんでいた。
「こんな事までされちゃあ、おいらも今後の身の振り方を考えなくちゃいけねえな」
 それは宣戦布告だった。しかし今回ばかりは理玖を責められない。突然気を失うほど毒を盛られて、黙って従える筈がない。
 でも、違うんだ。今唐突に解った。麒麟丸が死んで、自由の身になったと信じて、とわに求婚した理玖に「実は今も麒麟丸に見られている」なんて言える筈がない。とわにもだ。二人に知られない内に、私がさっさと[えにし]の糸を切って[しま]いにすれば良いだけなんだ。
 父上は理玖の事を思って黙っている。でも、誰かの為を思ってやっていても、それでその誰かが救われるとは限らない。少なくとも理玖は、今の父上の態度で地獄へ突き落とされた。真実を知った時に見る地獄よりましだとしても、地獄は地獄だ。
 でも父上も、こんなままならない世界を、流れ流れてきたのだろう。
「……前言撤回しやす。食い終わったら帰りやすんで、とわ様にはそう言っといてください」
 理玖は握ったままだった剣を逆手に持ち替え、隣に転がされていた妖怪の死体に突き刺した。

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目次

  1. 実家に帰らせていただきます
  2. 父親
  3. Never come true
  4. 貴方だけのお姫様
  5. 言い訳できない
  6. ましな方の地獄
  7. 一角の甪端
  8. 溺れていたのは
  9. 一緒に帰ろう

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