第3話:Love Still Alive [5/7]
どうやら自分が失ったものは、他人に対する感情の一切合切らしい、という事に、ドランクはじきに気が付いた。
それは、傭兵の仕事をする上では好都合でもあった。何を言われようが冷静に相手を見られるようになり、寧ろ相手の考えている事は手に取るように解るようになった。情が移らない分、殺しの仕事も以前より随分気が楽になった。
他者をじっくり観察して、あたかも普通の人間と同じ様に感情があるふりをする事も、そう難しい事ではない。ドランクは早々に襤褸が出た時の言い訳を考え、スツルムと口裏を合わせておいた。薄暗い幼少期の経験が役に立つなんて、思ってもみなかった。
それに元より、こうなってしまった事を受け入れて生きていく以外に、選択肢など無かったのだ。
スツルムは相変わらず、ドランクの相棒として隣に立っていた。初めは、自分は彼から離れた方が良いのではないかと思った。しかし、ドランクが失ったものの全容が見えてくるにつれて、自分が彼の側に居なくては、という気持ちの方が強くなった。
ドランクが失ったのは、何もスツルムに対する感情だけではない。自分が離れれば、ドランクは他の誰とも新しく心を通わせる事は出来ず、今度こそまた独りぼっちになってしまう。だったら自分が側に居てやる方が良い。
例え互いの心が通じる事が、二度と無いとしてもだ。
「一緒に寝て良い?」
だから、ドランクが片目とあちこち欠落した感情での生活に慣れてきた頃、そう問われて断る事など出来なかった。
自分が出来る事で、ドランクの心の慰みになる事があるなら、と、掛け布団を捲ってドランクを中に招き入れる。ドランクからは煙草の臭いがした。
「また吸ってたのか」
「怖い夢ばかり見るんだ」
ドランクはスツルムの反応を気にも留めず、ただその細い腰に腕を巻き付け、胸に顔を埋める。その体勢のまま寝るつもりらしい。スツルムは、自分が期待していた事に少なからずばつの悪さを覚える。
「ごめんね、えっちのお誘いじゃなくて」
「なっ……馬鹿! じゃあ何なんだ!」
「心臓の音が聞きたいんだ。君の」
まだ熱の残る体に耳を押し付けた時の無音。それが自分にもたらした恐怖を、ドランクは覚えている。どうせなら、その感情も持って行ってくれれば良かったのに。
「子供かっ」
「君の中にあるんだよ。僕が失ったもの全てが」
右目も、感情も、形を変えてスツルムの命となってこの鼓動を伝えてくる。自分の手元から離れてしまっただけで、この世から消滅した訳ではない。
今はもう、スツルムからどんな言葉をかけられても、ドランクの心の水面に小波一つ立つ事は無い。しかし、この鼓動の音だけは、彼の不安や寂しさを取り除く力を持っていた。
「……ドランク」
「何?」
スツルムはドランクの長い髪を梳く。
愛を告げられた時、本当は嬉しかったのだ。あの日、それを素直に受け取れていたら、未来が変わって、自分が死ぬ事も、ドランクが何かを失う事も無かったかもしれない。素直に喜んであげていたら、仮に蘇生魔法を回避出来なかったとしても、ドランクに幸せな感情の記憶を、一つ増やしてやれたかもしれない。
毎晩毎晩そう悔やんでは、やり直す事など出来ないのだと、昇る朝日が残酷に告げる。
「お前の心を取り戻す方法は無いのか?」
無かった事には出来ないのなら、何だってするからドランクを助けてやりたい。彼が自分にそうしてくれた様に。
「あるよ。一つだけ」
「本当か!?」
「魔法を解けば良いのさ。一応、解除魔法は開発されているからね。でも、そうすれば君がどうなるか、解るでしょ?」
時間は巻き戻せないが、魔法は巻き戻す事が出来る。スツルムの心臓を動かす為の糧となった右目と感情をドランクに返す。しかし、そうすれば自分は……。
「そんな事して取り返しても、僕は余計に苦しいだけだ。二度も僕の前で死なないでほしい」
「……ごめん……」
スツルムはドランクの遠慮無い言葉に心が痛む。一方でドランクは彼女の謝罪など何処吹く風だ。
「ねえ、スツルム殿は僕の事まだ好き?」
「は?」
「えっ、もしかして好きって言ってくれた相手を好きになるタイプだったの?」
「いや、そうじゃないが……」
相手の感情を読み取りはすれど、共感出来なくなっているドランクの会話には時々脈絡が無い。話を自分のペースに持ち込むのは元から得意だったので、仕事には役立っているらしいが……。
「だったら明日もまたこうさせて」
「……わかった」
ドランクが顔を上げて微笑んだ。
「こうしてると、僕達ちゃんと恋人同士みたいじゃない? いっそ、そう公言しちゃう?」
「馬鹿」
スツルムはドランクの頭を抱き寄せて、再び胸に埋めさせる。
「お前のごっこ遊びに付き合いきれるか」
人間の感情というのは、赤子の頃から全てが揃っている訳ではない。と、まだ小さい弟妹達と喧嘩してしまった時に、母から聞いた。だから、年長の者が手本を示して育ててあげなさい、とも。
ドランクも感情の全てを失った訳ではない。なら、残ったものを種として、これから育てていく事は出来ないだろうか。
恋人ごっこはごめんだが、恋人にはなりたい。またあの熱のこもった言葉を聴かせてほしい。
それまでずっとこうしてやるから。
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