宇宙混沌
Eyecatch

Let me stay with you


「ん……」
 宿の窓にロープを張り、洗濯物を干していたあたしの背後で、ドランクが寝惚けた声を出した。
「珍しいな、昼寝なんて」
「うん……」
 ドランクはベッドの上に本を広げたまま、寝落ちしていた。
 此処はエルステ帝国の帝都、アガスティア。ドランクは先日の依頼で落盤事故に巻き込まれ、怪我が治るまでの間、休業を余儀なくされていた。今は痛み止めのおかげで、安静にしていれば座って本を読んだり、会話をしたりする程度の事は出来るようになっている。
「って、僕の下着まで干してる! 恥ずかしいから洗わないで良いって言ってるのに!」
「お前、まだまともに動けないんだからしょうがないだろ」
 それに、あたしを庇ってこんな事になったのだ。ドランクが快復するまで、世話を焼くのは当然だ。
「スツルム殿にメイドさんみたいな事はさせられないよ!」
「……メイド……」
 使用人を雇えるような家に住んでいたのだろうか。流石にドランクも失言だったと気付いたらしく、会話を途切らせて息を吐く。医者から定期的に深呼吸しろと言われているのだ。気を付けないと、病気になってしまうらしい。
「……頼まれてた本を借りてきた。お菓子と新聞も買ってきたぞ」
「ありがとう~。本、重かったでしょ? お礼は幾ら欲しい?」
「仕事じゃないから要らない。……寧ろ、これがお前への礼だ」
 何度目か分からないやり取りを繰り返す。
「そう? じゃあ飴ちゃんをあげようね~。ていうか届かないから取って、スツルム殿」
「なんだか楽しそうだな」
「解る?」
 机に置いていた飴の袋を取り、ドランクのベッドに腰掛ける。中身を一つ取って、残りは袋ごとドランクに渡した。こいつは勉強や調べ物をしていると、恐ろしい勢いで甘味を消費する。
「寝不足で真っ昼間に寝落ちする程度には、楽しい調べ物をしているみたいだ」
「あはは。まあ、その通り」
 ドランクは上半身を起こす。小銭を取り出して、買い物の費用を払ってくれた。
 買ってきたばかりの今日の朝刊を読み始める。ドランクは文字を追うのも速くて、あたしが飴を舐め終わるより先に、最後のページまで繰ってしまった。
「何がそんなに楽しいんだ?」
 ベッドの周りに積み上がるのは、主にエルステ帝国や、今は亡きエルステ王国の歴史書。まあ、史跡と同じで、好きなんだろうが……。
 ドランクは口を歪めて笑った。
「面白い国なんだよねえ、此処。気に入っちゃった」
「だから何が面白いんだ?」
「何もかもおかしい所、かな。こんなのでよく『帝国』なんて言えるねって感じ?」
「意味不明……」
 ドランクは新聞を切り抜き、必要な分だけをファイリングしていく。作業しながら、いつもの様にお喋りを始めた。
「密偵のお仕事って、小さい頃は大変そうだなあとしか思わなかったけど、こういう面白い話があると気になるなあ。ちょっと顔と名前が売れちゃってるのは不都合だけど、僕達はまだエルステに来て日が浅いし、機会があったらやってみても良い? あ、スツルム殿が嫌なら僕だけでやるし、バルツに帰りたかったらそれでも良いよ」
 まるで新しい玩具を見付けた子供の様な語り口。何か重大な事に気付いたのだろうか。
「……あたしもやる」
「本当? 頼りにしてるよ~」
 嘘つき。本当は、あたしが護衛なんかする必要が無いくらい、強いくせに。お前が一介の傭兵に収まっているのは、正直勿体無いと思う。あたしなんて放っておけば良いのだ。そうすればお前はどんどん先に進んで、きっといつか、その背中も見えなくなってしまうんだろう。
 そう思っていたのに。あたしは年々、ドランクの戦い方があたしをフォローする、或いはあたしがフォローする前提のものになっていくのを感じている。彼の魔法が、戦場を鮮やかな血の花で埋めつくす事も少なくなった。
 本当はもっと羽ばたけるのに、あたしが籠に閉じ込めているんじゃないだろうか。この男の才能を欲している人が居るのに、あたし一人が享受して、その機会を奪っているんじゃないだろうか。
『あたしはお前を、籠の鳥にする為に組んでるんじゃない!』
 馬鹿言え。最初に小鳥を捕まえて、散々弄んだ挙げ句に未だに連れ回しているのは、どう言い逃れしようがあたしの方だ。
「……どうしたの? お腹痛い?」
「別に……」
「辛そうな顔してる」
 見抜かれている。会話を打ち切ろうと立ち上がった時、ドランクの指輪があたしの手に食い込んだ。
「痛っ」
「ごめん。力入れ過ぎちゃった」
 ドランクが握り締めていたあたしの手を離す。
 前にも同じ事を言われた気がする。ドランクはあたしに合わせてるんだ。あたしが先に先に進んでも、ドランクはすぐに追い付く。力も、歩く速度も、加減してもらわなきゃあたしは彼の隣には並べないんだ。
「……お前は、どうして……」
 あたしに付き纏うんだ。お前は別に、あたしなんか必要としてないだろ。そう小突いてしまいそうになって、慌てて口を噤む。
「え? 何?」
「何でもない」
 ドランクを振り返り、その場にしゃがむ。布団に顔を押し付けて表情を見られない様にした。
 付き纏われて相手をしてやっているのは、自分の方だと思っていたのに。
 薄い布団越しにドランクの体温が緩やかに伝わってくる。今更ながら、生きていてくれて良かった、と思った。身動きが取れなくなったドランクを一人坑道の中に残して助けを呼びに行った後、背後からは何度も土が崩れる音が聞こえた。最終的にドランクは魔法で厚い氷の壁を生成し、なんとか潰されるのを防いでいた。
「……そう言えば、アガスティアにはオデンっていう名物料理があるらしいね。スツルム殿はもう食べた?」
「まだ……」
「まだなの? じゃあさ、僕が外を出歩けるようになったら一緒に食べに行こう。ね?」
「……うん」
 ドランクの指が優しくあたしの髪を撫ぜて、それから読みかけだった本を取る音がした。
「オデンが美味しかったら、暫く此処を拠点にしようかな。歩けるようになったら、この部屋、長期滞在で安くしてもらえるか交渉しに行かないと」
「それくらい、あたしがやる」
「そう?」
「早い方が良いだろ」
 落ち着いたので顔を上げる。金の瞳は、既に夢中で細かい文字を追っていた。
 ああ、やはり、このまま何処かに行ってしまいそうだ。実際、大事な話があると言われて、居なくなるって言われるんじゃないかと思っていた。
 でも、まだ側に居たい。償いとは関係無くそう思う。居なくならないで。死なないで。
 いつか、もっと大きな世界の流れが、彼を必要とした時こそ、彼はあたしの前から居なくなってしまうのかもしれない。それでも、それまでは側に居させて。だってあたしが守りたいのは、お前の身体だけではないから。
 そして願わくは、またいつかその腕に抱かれて眠らんことを。

Written by