宇宙混沌
Eyecatch

平行線 [8/9]

 僕はその日暮らしをやめた。それが、スツルム殿と共に歩む為に最低限やらなければならない事だと思ったから。
 誰かと関われば、多かれ少なかれその人の人生に自分が影響を与える。何の責任も負わずに交流の良い所取りなんて出来ない。
 それから、周囲の人に対する見方や態度も改めた。若い頃に酷い目に遭ってきたから、どうしても人を信用できない部分があった、という事を認めた。遠ざけていたのは自分の方だと認識しただけで、他人と接するのが以前ほど苦でなくなったのは不思議だった。
 その気付きと決意を忘れないように、僕はピアスを一つ買った。円環は太陽の動きと同じで、今日も明日も回り続ける。一日に一度は目に飛び込んでくるそれに、僕の日々はまだ続く事を思い出させてもらうのだ。
「僕もそろそろ服買い替えないとなー」
 浪費もやめた。どんなに着飾ったって、僕は自分の事を魅力的だと思えなかった。それでも僕の事を強く見せてくれる服が何処かにあるんじゃないかって、無駄に高い物ばかり集めていた。けど、買うのをやめて自分の貯金額の数字が増えていくのを見ると、存外見て呉れなんてどうでも良くなってしまった。
 結局、質が良いのを買っていたのが功を奏して長持ちしてくれたけど、流石に何年も着ると人に会う時に傷みが気になってしまう。
「それにしても驚いたよ。スツルム殿、そういう派手な服嫌いなんだと思ってた」
 数週間ぶりに会ったスツルム殿は、がらりと印象が変わっていた。胸や脚の大きく開いた衣裳は動きやすそうだが、目のやり場に困る。僕は目の前の料理にナイフを入れる事で気を逸らした。
「……似合わないか?」
「すっごく似合うよ。ちょっと寒そうだけどね」
「スツルムとドランクじゃないか。久し振りだな」
 僕の声を聞きつけたのか、奥から出てきた店の主に声をかけられる。
「やだな~。先月も来たでしょ?」
「そうだったか? まあ良いや。ところで、お前達を是非とも雇いたいって人が居てさ。来たらこれを渡してくれって」
「最近の僕達はお高いよ~?」
 渡された手紙を脇に置き、食事を続ける。二人とも食べ終えた所で、封を開けた。
「……マスター」
 まず僕が目を通して、それから店主を呼び戻す。スツルム殿が怪訝な顔で、僕の手の中の手紙を見つめた。
「これ、どういう経路[ルート]で此処まで来たか、わかる?」
 店主は自らが手紙を受け取った相手の事しか知らなかった。僕は、破ってしまった封蝋を見る。
「おいドランク、何が書いてあるんだ?」
「ちょっと此処では。ごちそうさま、また来るよ」
 お代を支払い、通りに出た所で囁く。
「今日同じ部屋で良い? この件の事話したい」
「良いけど……機密案件なのか?」
「それがよく解んないんだよねえ」
 適当な宿を取る。スツルム殿を椅子に座らせ、手紙を読んでもらった。
「エルステ帝国……?」
「行った事無い? まあ、僕も帝国になってからは行ってないけど、結構大きな国だよ」
「知ってる……。そこの権力者が、何の用だ?」
 手紙には詳しい事は書かれていなかった。ただ、エルステの帝都アガスティア、そこに居る帝国の最高顧問を訪ねろ、と。
「さあねえ。戦争じゃない事は確かだけど」
 戦争の際の傭兵の募集は、表立っては行われない。敵方への情報漏洩の懸念があるから当然だ。政府や軍の人間に直接声をかけてもらうか、同業者の伝手で仕事を見つけるのが基本で、その辺の酒場の店主に手紙を託すなんてあり得ない。
 いや、寧ろその意外性を突いた連絡方法で、誰かの目を欺いているとか? 考えすぎか。
「悪戯か?」
「僕もそう思ったんだけど、封蝋は本物っぽいんだよねー。どうする? 請ける?」
 なんとなく面倒な案件の気がしないでもないが、大国のお偉いさんに雇われたとなれば名も上がる。金の亡者のつもりは無いけど、報酬も期待できそうだし。
「エルステ帝国で地位のある奴に雇ってもらえれば、良い実績になるな」
 僕と全く同じ考えの答えが返ってきて、思わず笑った。
「じゃあ、話くらいは聴きに行こうか」
 僕は一息ついて、片方のベッドに倒れ込む。スツルム殿が手紙を折り畳みながら呟いた。
「アガスティアか……」
「確か、オデンが美味しい所だよ。いっちばん良いお店で食べようねぇ」
「店まで今決めなくて良い。良い店は混むだろ、その場でどうするか考えれば良い」
 スツルム殿は僕とは反対に、先々の事を考えている素振りをあまり見せなくなった。
「まあ、お前の奢りなら、何処でも好きにすれば良いが」
「ほんと? あーでも、お偉いさんに会うなら、服はやっぱり買い替えないとな」
 スツルム殿も、もう片方のベッドに移動してくる。僕の方を向いて座り、脚をぶらぶらとさせた。
「どうかしたの?」
 考え事をしている時の彼女の癖だ。
「不安なら無視すれば良いよ。最悪エルステに出禁になっても、別にこれまでと変わらないし」
「いや、さっきの手紙の事じゃない……」
 いつの間にかスツルム殿の耳から垂れ下がっているピアスが、彼女が俯く動きに合わせて揺れた。口籠るなんて珍しい。
 僕は上半身を起こす。理性は、彼女の言葉を待てと言った。感情は、勝手に僕の口を衝き動かした。
「一人で何処に行ってたの?」
「別に……」
 答えられないんだ。僕の苦手なドナさんの所に行く時だって、正直に話してくれるのに。
 はぐらかされたのは初めてで、僕は、いよいよ覚悟の時か、と思った。
 急に単独行動を切り出すなんて、様子がおかしいとは思っていた。別れ際、妙に嬉しそうだったのもちくちくと僕の胸を刺した。
 彼女と出逢って早幾年。まだあどけなさの残っていた少女も、今ではすっかり大人びた表情をしている。スツルム殿はこう見えて家庭的だし、性格も僕とは天地の差だし、結婚となれば引く手数多だろう。
 その耳飾りだって、誰かから貰ったんじゃないの。
「僕は」
 スツルム殿が口を開かないので、僕から告げた。
「スツルム殿が何処かに行ってしまうって言っても、止めないよ」
 止められないよ。君の人生だもの。僕は、何でも自分で決めて道を行くスツルム殿が好きなんだから、それを邪魔したりなんて出来ない。
「……何の話だ?」
 首を傾げたスツルム殿に、僕も首を傾げる。
「え……それは僕が聞きたい」
「悪い……その、何でもない日だし、なんて言って渡せば良いか、思いつかなくて」
 そう言って、荷物から小さな箱を取り出す。
「え? なになに? 僕にプレゼント?」
 こくり、と頷かれて、茶化して言ったつもりの言葉が自分に跳ね返ってくる。プレゼントとか。僕はてっきり置いて行かれるのだと思ったのに。
 差し出されたそれを受け取る。覚束無い指で蓋を開けると、十字型のピアスが一組入っていた。
「……お揃いだ」
「コンビだって判りやすいだろ? 嫌だったか? 穴増やしたくないとか」
「ううん。ありがとう、嬉しいよ」
 僕はスツルム殿を振り返った。彼女の瞳に光が収束する。
「……そっか」
 レンズさえあれば、平行に進む光も実を結ぶのだ。
「何が?」
「スツルム殿覚えてる? 僕がルーペで本読んでた時にさ、なんで物が大きく見えるのか訊いてきたの」
「ああ。それがどうした?」
「特には。ちょっと思い出しただけ」
 そしてそこでは、全てが強く光り輝く。
「僕もまだ覚えてるよ」
「何を?」
「君とどうなりたいか訊かれた事」
 スツルム殿の表情が固まる。僕は心配無いと笑顔で示した。
「君に置いて行かれるまでは、ついて行くよ」
「馬鹿言え」
 スツルム殿は肩の力を抜いた。
「あたしがお前の事を置いて行く訳ないだろ」

闇背負ってるイケメンに目が無い。