平行線 [3/9]
「何やってんだあたしは……」
自分で訊いておいて、意識しすぎて居た堪れなくなった。
急に話を変えられたドランクの反応は尤もだ。第一、その前の失礼極まりない質問に怒らなかったくらい、ドランクは十分あたしに甘いのだから、それでも苛立たせたのは完全にあたしが悪い。
ちゃんと謝ろう。決意して店の扉に振り向くと、中から酔っぱらいがふらふらと出てきた。
「おー? お嬢さん一人? この後別の店行くんだけど、一緒にどう?」
何処の島でもナンパやキャットコールはある。そういう事をしてくる奴等は、相手の顔なんて見ていない。
一々相手をするのも面倒だ。舌打ちをして無視する。気の弱い奴ならこれで諦めてくれるが、この酔っぱらいは違った。
「んだよ、話しかけてるんだからシカトすん――」
「ストップ」
良く通る男の声に、酔っ払いがあたしに伸ばしていた手を止める。丁度ドランクが店から出て来た所だった。
「なんだ? あんたこの女の彼氏か?」
「そうだよ」
ドランクはつかつかと歩み寄り、無言で酔っ払いを威圧する。決して体格に恵まれている訳ではないが、流石に戦争で食べている人間だ。その敵意は常人が受けて耐えられるものではない。
「ケッ……こんなブスにも相手が居るたあね」
捨て台詞と共に去っていく。ドランクは肩の力を抜くと、あたしを見下ろした。
「大丈夫だった?」
「ああ」
酔っ払いなんて、あたし一人でも倒せる。そんな事は当然、ドランクも知っている。
知っていて、いつも恋人の振りをして相手を追い払ってくれる。それが一番確実に相手が諦める口実だから。そう言っておけば、あたしが街中で素人相手に剣を抜かなくて済むから。
「あり、がとう……」
「うん。さて、本日の宿を探しますか」
ドランクにとっても、いつもの事だ。先程の会話も気にしていないのか、行こう、と道を示す。あたしが一歩踏み出してから、ドランクも横に並んだ。
「申し訳ありません。ツインの部屋なら空いているんですが……」
「あーじゃあもう此処にしちゃう?」
二部屋空きがある宿を探し歩いて四件目。ドランクがそう提案した。
「構わない」
別々の宿に泊まる手もあるが、もう遅いし移動が面倒くさい。第一あたしは未成年だから、一人で泊まろうとすると家出かと心配されたりする。ドランクと組み始めて、事情の説明が不要、あるいは必要でもドランクが適当にやってくれるようになったのは大きな利点だ。
「畏まりました。こちらがお部屋の鍵です」
部屋に入ると、ドランクは机に手帖を広げて日誌を書き始める。ドランクの字は癖のある丸文字で、びっしりと細かい字で書かれたそれは、本人以外にはまるで暗号文だ。
「これ、食事代。シャワー、先に浴びるぞ」
「うん」
あたしは机にお金を置き、踵を返した。
風呂の中ではやる事が無い。勿論、体は洗っているが、生まれてからずっとやっている事は脳みそを使わなくても出来るようになるものだ。リソースの余った頭の中で、ぐるぐると今日の会話が思い起こされる。
「あ」
酔っ払いに絡まれた所為で、謝るのを忘れた。まあ良いか、ドランクも気にしてない様子だし。
しかし、今度は別の疑問が浮かんでくる。
ドランクは、場所を転々とするから友人は作れないのだと言った。
だったらあたしは何なんだ?
あたしだって、場所は転々としている。でも、ドランクはそれについて来る。
シャワーから上がると、ドランクは手帖を閉じ、黙って椅子に座っていた。
一年も一緒に居ると、流石にこいつが常に喧しい訳では無い事を知る。寧ろ、一度黙るとずっと黙り込んでいる。慣性の法則、と言うのだったか、前にドランクが言っていた、物が持つ性質に似ている。
そして、ふとした瞬間に自分の口が閉ざされている事に気付いて、また怒涛のお喋りが再開されるのだ。
「お先」
そのふとした瞬間とやらを作るのは、最近は専らあたしだったが。
「もっとゆっくり入ってて良かったのに」
言いながらも伸びをして、入浴の支度を始める。あたしはベッドの片方に座って、髪を乾かした。
「さっぱりしたー」
ドランクもあたしとそう変わらない行水で上がってくる。一日の終わりには湯に浸かりたいが、いざ入ってみると自分がそんなに水浴びが好きでは無い事に気付く、というのを毎日繰り返しているそうだ。ドランクの話など大半は聞き流しているつもりなのに、不思議とこういう些細な事を覚えている。
「お前」
「なぁに?」
あたしは剣を取り出して磨きつつ、隣のベッドに座った男に問いかける。あたしの髪はだいぶ水気が取れていたが、ドランクの量の多い長い髪は、毎度毎度扱いが大変そうだ。
「お前、あたしの事は何だと思ってるんだ?」
「何って、仕事の相棒?」
「……そうか」
つまり、仕事が無くなったり、片方が引退したら終わる関係か。
なんか嫌だ。そう思った。でもきっと、いずれはあたし達にも恋人や家庭が出来て、そうでなくても体力の限界が来て、仕事と天秤にかけないといけなくなるのだろう。
仕事と一緒に相棒とも別れるのか? 本当に、そういう道しかないんだろうか。
「ドランクはこれから先」
普段はちゃんと閉じていてくれる唇が、今日は勝手に震えた。
「あたしとどうなりたいんだ?」
「これから先?」
意外そうに丸くなった金色の目に、心臓がキュッとなる。あたしが直線だと――そうであってほしいと思っていたものは、ドランクにとっては線分だったのだろうか。
いや、普通に考えてそうなのだろう。戦場で少し相見えただけの相手と一生付き合っていこうだなんて普通は考えないし、冷静になると気持ち悪い。実際最初は、付き纏って来るドランクが本当に気持ち悪かったと言うか、気味が悪かった。
でも、今は逆なのか。そう気付くと、切なさに押し潰されそうだった。
「……全然、考えた事も無かった……」
暫くして、ドランクはやっとそれだけを絞り出した。
「ハァ?」
想定外の答えに、素っ頓狂な声が出る。
「スツルム殿が怒るのもごもっとも。でも思いもよらなかったのは本当だから、今はそうとしか返せない。ただ……」
「ただ?」
「うーん、一緒に居たいんだよね。なんて、恋仲でもない相手に言われても気持ち悪いか」
ドランクは最後は明るい調子で言うと、まだ水の滴りそうな髪からタオルを外し、布団に潜りこんだ。
「今日はもう寝るね。おやすみ」
「……おやすみ……」
あたしも早々に剣の手入れを済ませ、灯りを消す。
「ごめんね」
一緒に居たい。その返答にほっとしたのも束の間だった。暗闇の中聴こえた呟きは、表情や身振り手振りで誤魔化されない、生の心情を伝えてくる。
まるで水の様だ。冷やせば凍って、割れてしまう。
「……あたしこそ、急に変な事訊いて、悪かった」
早く融かさなければ。例えそれが、あたしの指の間から零れ落ちてしまう形でも。
「さっきの質問は、忘れろ」
だってドランクが求めているものは、仕事の相棒じゃないから。
そして本当に欲しているもの、その役割は、あたし一人には荷が重すぎる。
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