平行線 [1/9]
「直線ってのはね、始点と終点が無いんだ」
あたしは頭上から聞こえる声に、適当な相槌を打った。隣に立つ男は続ける。
「僕達が普段『直線』って呼んでるのは、ほとんどが線分」
何を思い始めたのか、男は熱心に幾何学の講義をしていた。昨日は化学、その前は光学。ろくに学校に行っていない自分には目新しい知識ではあるものの、言葉だけで理解するのは少々難しい。
「……ごめん、興味無いよね」
ややあって、ポニーテールの男は話をやめる。噤まれた口がほんの少し歪むのを、あたしの視力の良い目は見逃さない。
「別に。口だけでは解りづらいと思っただけだ」
「あはは……僕も人に教えるのは、別に上手くないからねえ」
名無しのエルーンと出会ってから、一年と少し。こいつは「君がスツルムだから」と訳の分からない事を言って、ドランクと名乗り始めた。恐らくあたしの知らない何かにあやかっているのだろう。
「……紙に書いて説明してくれれば、解るかも。この前の、レンズの話みたいに」
言うと、青い髪のエルーンはほっとしたように微笑む。
「良い時間だし、ご飯食べながらにしようか」
適当な店に入る。飲み物はセルフサービスらしく、ドランクはあたしを窓際の席に座らせ、自分はカウンター横へと向かった。
「始点と終点……」
「――じゃない!? 久し振り!」
脚をぶらぶらさせながら先程までの説明を反芻していると、水の入ったグラスを手に持つ女に声をかけられた。顔を上げて驚く。地元の旧友だった。
「この島に引っ越してたのか」
「親の仕事の都合でね。あんたも大変じゃん、お母さんも亡くなって、一人で下の子養ってるんでしょ?」
「一人じゃ、ない」
最近は、一番上の弟も近所の鍛冶屋を手伝っているらしい。まあ、大方あたしの稼ぎで食べている事には変わり無いが。
でも、一人じゃない。今は、一緒に戦ってくれる奴が――
「スツルム殿おまたせ~。……?」
戻ってきたドランクが、本来自分の席だった場所に見知らぬ女が座っていて首を傾げる。
「あっごめんなさい! じゃあまたね、――」
「『また』って、あたし達、旅してるから……」
去ろうとする彼女に、傭兵ギルドの住所を書いて渡す。
「手紙は此処に送ってくれ。宛名は『スツルム』で頼む」
「わかった。それと……」
彼氏さん格好良いね。やるじゃん。
「んなっ……」
「じゃあまた手紙書くねー」
耳打ちされた言葉を否定する暇も与えず、彼女は自分のテーブルに戻ってしまう。
「知り合い?」
「あ、ああ。友達。子供の頃の」
「へえ」
ドランクは温まった椅子に腰を下ろす。
「幼馴染かぁ。僕には、そう呼べる人は居ないな」
それはふとした瞬間に漏れ出る孤独の匂い。
「……友達、居ないのか?」
「その言い方は酷くない? まあ、否定はしないけど」
ドランクは口を尖らせる。
気さくな喋り方に、傭兵とは思えない小綺麗な見た目、そして高い教養。多少喧しい事に目を瞑れば、どちらかと言えば魅力的な人間の部類だろうに。
でも、何処からともなく現れては戦場を荒らし、山場を過ぎればいつの間にか居なくなっている。ただその鮮烈な魔法と、遠目からでも目を引くうねった青い髪だけが人々の記憶に残る。あたしと組み始める前、青い髪のエルーンはそういう男だった。
まるで水の様だ。掴み所が無く、過ぎ去ってしまえばその具体を語れない。
だから誰も彼の事を引き留めておけないのだろうか。
「行っちゃったけど、良かったの?」
「大した事を話していた訳じゃ……」
考え事をやめて現実世界に意識を戻すと、金色の瞳と視線がぶつかる。先程の言葉が思い出され、思わず俯いた。
確かに洒落た服を着ている。が、格好良い、のか? こいつ。
「――って、スツルム殿の本名?」
「そうだけど」
「可愛い名前だね」
ちらり、と視線だけ上げれば、ドランクは特に変わった様子も無く、自分のコップに口を付けている。確かに、華やかで目を惹く顔ではないが、結構整っている気も……。
と、ここで恋仲に誤解された気まずさが、名前がとはいえ可愛いと言われた気恥ずかしさに釣られて蘇る。
「似合わなくて悪かったな」
「別にそんな事言ってないでしょ~」
熱くなった顔を冷やす為に、あたしはドランクが持ってきた氷水を乱暴に掴んだ。
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