将来の夢 [3/5]
「スツルム殿!!」
家の扉には鍵がかかっていた。返事は無い。表札が無い(僕が家に居た頃から付けていない)から、今も此処に住んでいるのかどうかも判らない。
裏に回ろう。角を曲がって細い路地に入り込むと、窓が開いていた。
「うるさいぞ、まったく」
すっかり色が抜けた薄桃色の髪の老婆が、ベッドに横たわっていた。
「スツルム殿!」
もうろくに立ち歩けないのだと、ひと目見て解るほど老いていた。それでもスツルム殿だと直感した。
僕は窓を乗り越えて中に入る。ベッドの隣にしゃがんで、皺だらけの頬を手で包んだ。
「待たせてごめん。こんな……」
「おかえり」
「……ただいま」
スツルム殿は黙って、萎れた手を僕の手に添える。僕には言い訳しか出来なかった。
「二週間で帰るつもりだったんだ。騎空艇で綱渡りしてたら敵にロープを切られちゃって、空の底に落ちて……」
「ああ。お迎えだな」
「違うよ」
空の土地は限られている。参る為の墓を建てても、その下に亡骸が埋まっている事は少ない。どの国でも、死者は葬儀の後に空の底に落とすのが一般的だ。亡霊だと思われてるな、こりゃ。
「じゃあお前の夢は両方叶ったな」
「え?」
問い返しても、もう返答は無かった。慌てて脈を取るが、何も感じられない。
「嘘でしょ……」
命懸けで空に戻ってきても、ほんの一瞬話して終わりだなんて。これから先、僕はどうやって生きれば良いのだろう。六十年……スツルム殿だけでなく、他の知り合いも軒並み死んでいるか、良くて隠居だ。
孤独に打ちひしがれていると、鍵が回る音がした。
「お母さん、調子はどう?」
若くはない女性の声。スツルム殿の身の周りの世話をしてくれている人だろうか。
「お母さん?」
籠を持った老女が部屋に入ってきた。無論、目が合うのは僕とだ。
「あっ、あの、僕は……」
不法侵入の言い訳を探していると、老女は籠を取り落とす。
「お父さん……!」
そう呼ばれてやっと気が付いた。スツルム殿の事を「お母さん」と言っているのだから、この人はスツルム殿の子供だ。
そしてスツルム殿が再婚したのでなければ、僕の子供でもある。
「……そうだと思うけど、良く判ったね。……って、そんなこと言ってる場合じゃなかった。スツルム殿が今しがた息を――」
「空の底に落ちて!」
「は?」
老女は僕の手を掴んで懇願する。
「色々な物を失うの、解ってるわ。でも、お願いよ、もう一度空の底に落ちてください」
「いやちょっと待って落ち着こう」
言っている僕もまあまあ混乱している。六十年越しに対面した娘にいきなり「死ね」に近い事を言われてるんだけど、僕そんなに悪い事した?
「え、ええ、そうね」
娘はやっと、スツルム殿の様子を見る。
「死ぬ前に必ず会いに来てくれるって言ってたけど、まさか会ってすぐに逝っちゃうなんてね」
♥などすると著者のモチベがちょっと上がります&ランキングに反映されます。
※サイト内ランキングへの反映には時間がかかります。