名前も知らない少女 [3/3]
「やー懐かしいねぇ! この島に来るのは何年振りかな?」
「さあな」
乗り合いの騎空艇が港に入っていく。観光シーズンだから艇に乗っている人数も多くて、降りるのに時間がかかってしまった。
「今回はお金あるよね? スツルム殿」
「足りなかったら貸してくれ」
僕は苦笑した。あれから僕は「ドランク」を、彼女は「スツルム」の顔をして共に過ごしていくうち、スツルム殿の方はすっかり殊勝さを失ってしまった。少し寂しい。だが冷たくされるのも悪くはない。
「利率は十一ね。とりあえず飲もうか」
艇に空きが無く、一日早い便に乗ってきたので、今回は依頼人に会うのは明後日だ。今日は酔い潰れたって明日宿で寝ていれば良い。
「そうだな。前はあたしは飲めなかったからな」
人混みを避け、街外れにあった肉料理店で舌鼓を打つ。スツルム殿はこの島の麦酒を気に入ったのか、一体その体のどこに入るのかという量を飲んでいた。
「すっかり遅くなっちゃったねぇ。宿押さえてから食べに行けばよかったなぁ」
「野宿になったらドランクのせいだからな」
「なんで!? 僕はとっくに食べ終えてたよね!?」
そして案の定、宿はどこも満室だった。五件目を断られたところで、提案する。
「仕方ないね。今夜は別々の宿にしようか。もう少し安そうな所で、一人部屋なら空きがあるんじゃない?」
言って進路を人通りの少ない、街の寂れた方へ。
「ツインの部屋じゃなくても良いぞ」
空耳かな? と思った。
「え?」
「安い宿なら二人部屋がダブルベッドの部屋もあるだろ。そういう所でも良い」
「えぇ~。いや駄目でしょ。そこはスツルム殿と僕の仲! 適度な節度は大切だよ?」
「いつも馴れ馴れしい癖に」
「あっ、ちょっ、やめて刺さってる! 刺さってるから!」
スツルム殿は僕を剣でひとしきり突いた後、鼻を鳴らして歩を進めた。
「あたしが馴れようとしたらそれだ」
小さくそう呟いて。
僕は刺された所の痛みを忘れ、すぐさま彼女の後を追った。だってそこに居たんだ、あの日肩を震わせていた彼女が。
「……なんだいきなり」
「スツルム殿……」
背後から抱き締めた僕に、再度剣を刺そうと彼女の右手が動く。
「君の本当の名前は?」
右手が止まった。彼女が振り向く。
「何を今更……」
「僕はスツルム殿を尊敬していた。初めて会った時からずっと」
跪き、視線を彼女に合わせる。手を取っても、彼女は驚いた目を益々見開いただけで怒らなかった。
「それ故にあの日、君を抱き締めてあげられなかった事を悔やんでいた」
相手が仮面を脱いだのを見て、怯えた自分は更に仮面の紐をきつく結んだ。
でも、今なら脱げる筈だ。
「僕の名前は……」
小さな手が顔に伸びてきて、右目を覆った髪を掻き上げた。顔が近付き、柔らかい唇が隠されていた場所に触れる。それが離れた時、女の子の名前が呟かれた。
僕は彼女の背中に手を伸ばし、マントの上から抱き締めた。この揃いのマントを脱いだら、今夜は疾風怒涛の傭兵コンビは何処にも居ない。
「……そろそろ行かないと本当に宿が埋まる」
「ああ、そうだね」
立ち上がり、再び歩き出す。
「前に泊まった宿にしようか。綺麗だったし」
「潰れてないと良いが」
「かつ空きがあればね」
そして明朝、マントを着たら、今夜これから起こる事は一旦頭の外に追いやれば良い。
繋がりとしがらみは違うのだから。
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