宇宙混沌
Eyecatch

名前も知らない少女


 自分は相棒の名前すら知らない。

「うわ~狭い!」
 宿で案内された部屋を見るなり、ドランクが漏らした。
 ある依頼の為に訪れた島の、最大の都市。ただでさえ人が多い上に観光シーズンで、予算内でやっと見つけた部屋が此処だったのだ。
「でも綺麗だね。ありがとう!」
 案内役のボーイに礼を言い、ドランクは中へ。あたしも高鳴る胸を鎮めようと深呼吸し、後に続いた。
 小さな部屋に、無理矢理押し込まれたかの様にぴったりと収まっているダブルベッド。立てる場所は部屋の入り口付近しかなく、今二人が立っているだけでも手狭だ。窓は小さな出窓が一つあるだけで、それが益々圧迫感を強めている。
「倍のお金が出せればツインの部屋にできたと思うけど、まあ仕方ないね」
 二人で行動している時の宿代は折半だ。その方が後腐れが無いからだが、家族に仕送りをしているあたしは所持金が底を突きかける事も稀にある。気を付けてはいたが、ここに来るまでの乗り合い騎空艇の料金が観光シーズン値上げされていてダメージを食らった直後、まだ依頼主に会えていない状況ではやむを得ない。
「だから今回は別々の宿でも良いと言っただろ」
 あたしの口はすぐ嘘を吐く。
「いやいや~。コンビとして、金銭感覚を合わせておくのは長続きする為に重要だと思うよ」
 言いながらドランクは荷物をベッドの横に置き、財布だけをポケットに入れて踵を返す。
「? おい、何処に行く」
「折角都会に来たんだし、ちょっと遊びに行こうかなーと」
 思わず眉間が寄った。夜の街、所謂風俗店にドランクが度々足を運んでいる事は知っている。ドランクはあたしよりも年上だし、稼いだ金は全部自分の手元にあるようだから、そういった店に出入りするのも解らんではない。
 けど、あたしはこの男が自分に惚れて無理矢理コンビを名乗り始めた事も勘付いていた。スツルム&ドランク……スツルムも偽名だが、それに合わせてこの男はドランクと名乗り始めたのだ。何処かの国の言葉で疾風怒涛という意味らしい。
「多分朝まで戻って来ないから、スツルム殿はその広~いベッド好きなだけ使って良いよ…って痛い痛い痛い!」
 あたしが剣で突くとドランクは情けない声を上げる。
「な、何? 僕何か気に障る様な事言った!?」
「女遊びは明日の仕事が終わってからにしろ」
「厳しい! いつもは自由にさせてくれてるじゃない。何かあったの?」
「別に」
 ただ悔しかったのだ。焦っていたのだ。不安だったのだ。その時は。
 こんなに近くに居ながら一切手を出してこないばかりか、この絶好の機会にさえ一人で遊びに行こうとする彼の心が読めなくて。
「……でも、そうするとスツルム殿と僕とで同じ布団になるよ? この部屋僕が床で寝れるスペース無いし、スツルム殿を床で寝かせる訳にはいかないしねぇ」
 ドランクは笑ってベッドに腰を下ろす。一先ず出掛けるのはやめにしてくれたようだ。あたしも剣を腰から外し、隣に座る。
「構わない。そもそもあたしの所持金不足のせいだからな。お前に余計な金を使わせたくない」
 なるべく平静を装って答えたが、声の震えは隠し切れなかったように思う。ドランクの耳がピクリと動き、表情が一ミリも変わらなかったのがとても怖かった。こいつの笑顔はまるで仮面だ。
「……そう。じゃ、先にシャワー使わせてもらおうかな。スツルム殿の方が夜ふかしするしね」

 あたしがシャワーから上がると、ドランクは既に布団に入っていた。右半身を下にして横になり、ベッドの奥で壁の方を向いている。起きているのか寝ているのかは判らないが、自分が布団に潜れば起こしてしまうだろう。
 その後どうする? 何もせず寝入られても困る。あたしに惚れて付いて来たという推測が間違っていて、自分は何か得体の知れない魔術師に狙われてしまったのかもしれない。逆に何かされたら……。
 あたしは布団に入るのを躊躇い、まずは落ち着こうと荷物の中から筆記具を出した。家族に宛てた手紙を、毎日少しずつ書いているのだ。街に来たのだし、明日仕事の前に郵便屋に持って行こう。
 出窓を机代わりにペンを走らせていて、ふと、この状況を生前の母が知ったら怒るだろうなと思った。今夜同衾するのは、本当の名前も知らない男。付き纏われて、気付いたら行動を共にしていただけの傭兵仲間。
 それでも。
 あたしはドランクの背中を見た。あたしに比べれば随分大きな背中。
 それでも、あたしはこの男になら、初めてを捧げても後悔しないと思う。
 手紙を書き終え、ドランクの隣に身を横たえる。ドランクは動かない。
「……おい」
「なぁに?」
 ずっと起きていたのか、はっきりとした声が返ってくる。言葉を見失ったのは此方だった。
「いや……その……」
「スツルム殿」
 捻り出そうとした言葉も、芯の強い声が掻き消す。
「君の隣に居るのは名前も知らない男だよ。そして、これからもそう居させて」
「…………そうか」
 高鳴っていた胸が今度は潰れそうになった。涙が出てきたので、ドランクに背を向けるように寝返りを打つ。
 その夜はただ悲しかった。ドランクが自分の事を好きなのではなく、自分がドランクに恋をしていた事に、失恋するその時まで気付けなかった事が。

 ドランクはいつもあたしより早く起きる。
「よいしょっと」
 ドランクの方がベッドの奥で寝ていたから、奴があたしを跨いでベッドから降りたので起こされてしまった。
 思わず開けた目に入ったのは、髪の毛を梳く前のドランクの顔。
 ……初めて見た、あの鬱陶しそうな前髪の下。
 ドランクが振り返ったので、慌てて狸寝入りをする。ずれた毛布を掛け直してくれた。
 泣き疲れて寝落ちしてしまうまでには、あたしは自分を納得させる事ができた。私は父を亡くし、母を亡くし、まだ幼い弟妹達の為に働いてきた。それで少し疲れていたんだ。
 きっとそうだ。あたしはただ、父の様に頭を撫でてくれる人が、母の様に仕事を褒めてくれる人が欲しかっただけ。それを求める相手を間違っただけ。ドランクはそれを見透かして諭してくれたのだ。
 ……なのになんでお前も泣いていたんだ、ドランク。

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