それは私が持っていないものだったの。
『おかあさーんころんだー』
『あらあら、大丈夫?』
笑顔で見守ってくれるお母さん。
『パパーおんぶしてー』
『しょうがないなあ』
優しく甘えさせてくれるお父さん。
ザンクティンゼルには子供が少ない。だからあの島を出るまでは、それほど焦がれなかった。
でも、あちこちを旅して、色んな人々と知り合う度に強くなる無い物強請り。それまでは曖昧な想像でしかなかった「一般的な家族」の姿は、時を経る毎に具体化されていく。
私はそんな普通の子供で居たかった。
『ラカムの家族はどんなだったの?』
でも今更手に入らない。だから私はせめてその夢を見たくて、手近な人の思い出話を種にしようとした。
『あんまりそういう話は訊かねえ方が良いぞ』
でも彼は教えてくれなかったの。
『俺がそうだって訳じゃねえけどよ、世の中には家族がこの世で一番憎いって人間もごまんと居る。相手が話し始めるまで首突っ込むな』
『……わかった』
ラカムは父親の様だった。理想の父親。きっとラカムが本当のパパになっても、良い子育てするんだろうな。
ラカムの部屋から追い出されて自分の部屋に戻る途中で、やっと気が付く。
私はラカムの娘役をやりたい訳じゃなかった。
ジータがラカムの部屋から出て来るのを見た。乱れた髪の毛を手で押さえながら、急いで自分の部屋に戻ろうとする様を。
「ラカム」
私は廊下の影から出て、扉をノックする。諦めたかの様な声を聞き、扉を開いた。
「一つだけ。誕生日まで待てなかったのか?」
「待ってるよ。現在進行系でな」
ラカムは着衣のままだった。起き出し、煙草に火を付ける。
「何の用だ? カタリナ」
「朝食に呼びに来ただけだ」
「ああ」
もうこんな時間か、と時計を見る。
「何もしていないのか」
「添い寝しかしてない」
ラカムの口から溢れ出る煙と、それと同じ色の表情を見比べる。
「君のその鉄壁の理性には感服するよ。だが」
「何だ」
「私は、君の事も心配している」
「ケッ」
ラカムは煙草の先を灰皿に落とす。
「お前さんに心配される程、俺も初心じゃねえよ。自分のケツくらい自分で拭けらあ」
「そうか。だが」
私は踵を返す。
「どうせ今日は一睡もしていないだろう? 出発までゆっくり休んでくれ」