反省しないと出られない部屋 [4/6]
「連絡先?」
「あ、あたし、明日には発つから。手紙、書く……」
「そっか。短かったね……って、三日も視察したら十分か」
エルーンはサラサラと手帳に名前と、下宿の住所を書く。ページを破って持たせてくれた。
「でも、ごめん。返事は書けないと思うな」
その言葉をどう捉えて良いか解らなかった。少し考えて、こう推測する。
こいつの家柄と成績と見た目なら、好きになる生徒も多いだろう。実際、エルーンが気まぐれに挨拶を返すと、キャッキャと喜ぶ下級生も何人か居た。
その中から一人選んで、恋人に据えていたっておかしくはない。いや、そもそも貴族って許嫁が居たりするものだったっけ?
いずれにせよ、返事は貰えないのだ。そう分かっていて、手紙を出せる程、あたしは図々しくはなかった。
「明日の何時に発つの?」
時間を答える。港での停泊位置の確認をされたので、正直に答えた。
「行けたら行くよ」
エルーンはその言葉を反故にした。仕方無い。授業がある日だ、教師に見つかってまた懲罰部屋に入れられたのかもしれない。
鍵が中から開けられるとしても、彼はあの部屋からは出て来ない。彼にとっては、この世の全てが牢獄に見えているのだろう。だから何処に居ようが同じだと。
恐らく今生の別れになるだろうあたしを見送る事すら、大した理由にはならなかったんだ。それはそうだろう。家柄も頭も運動神経も良くて、おまけに顔立ちまで整っているような奴が、わざわざあたしみたいな苦労人を選ぶ動機が無い。
あたしもさっさと忘れよう。無事に視察団を元の島まで送り届けた後、あたしはあいつに触れられた髪を切り落とした。
「へー、アルビオンの領主が代替わりだって」
コンビを組み始めて三ヶ月ほど経った頃だったと思う。ドランクが朝食の後に朝刊を読みながら呟いた。
「アルビオン、か」
数年前に一度だけ短期滞在した島。もっと強くなろうと決意した場所。
「懐かしいな」
「あれ? もしかして通ってた?」
「んな訳あるか。で、誰になったって?」
「ヴィーラ・リーリエ」
女か。じゃああのエルーンは、無事に島を出たのだな。って、流石に二十歳を超えて留年していたら学内でも浮くし、実家も黙っていないか。
「僕とは在学期間被ってないのか。僕はてっきり、あの子がなると思ってたな。名前何だっけ、背の高い……もう卒業したのかな?」
長い独り言に、あたしは首を傾げて相棒の顔をまじまじと見た。
まとめ上げられた青い巻毛。金色の垂れ目は鬱陶しい前髪で半分隠れている。よく見ると造形の整った顔。
「なになに? 僕の顔に何か付いてる?」
「何でもない」
その時やっと気付いた。あのエルーンの問題児! 言われてみれば歳も同じくらいだし、どうして今まで気付かなかったのだろう。まさか本当に傭兵になっていたとは。
というか、こいつはあたしの事を覚えてるのか?
一緒に過ごしたのはたかだか三日間。その頃こいつには恋人が居たみたいだし、あたしに付き纏っていたのはただの物珍しさからだろう。きっと覚えてない。というかそう信じたい。
こいつの事だ、実は全部覚えていて、あたしがいつ気付くか面白がりながら待っている、という可能性も捨てきれず悶々とする。
「ど、どうしたのスツルム殿? 頭痛いの?」
「ああ……」
「えっ、今日の仕事断って来ようか?」
「あ、いや、文字通りの意味じゃない。仕事は問題無い」
しかし、その後もドランクはあの時の事など匂わせもせずに淡々と日々を過ごしていく。気付けばまた三月ほど経過していた。
普通、半年もあれば何か進展があるだろ。そんな事を思って、また自分の頭を抱えた。
進展ってなんだ。あたし達は恋仲じゃない。ただの仕事の相棒だ。
「待たせた」
「うん」
一月に一度、あたしはギルドへと顔を出す。めぼしい仕事が無いかドナに確認し、届いた手紙をまとめて受け取る。ドランクはその間、近くの図書館や公園で暇を潰している。
「今日は多いね」
「良いニュースなら良いがな」
公園のベンチで待っていたドランクの隣に座る。一つ封を切ると、ドランクは溜息を吐いた。
「どうなったんだろうなー手紙」
「何の?」
「僕宛の」
意味が解らず首を傾げながら見上げると、詳細な説明が降ってくる。
「この前アルビオンの話したでしょ? 僕も下宿から通ってたんだけど、何にも言わずに島を出てそれっきりだから」
「卒業しなかったのか」
「うん」
「勿体無い」
「今は僕もそう思う」
あたしは便箋を出すのをやめる。それを会話をして良い合図と受け取って、ドランクは続けた。
「手紙をくれるって言ってた子が居たんだけど、僕、その子の艇に忍び込んで一緒に島を出ちゃったからさ」
「は?」
自分でも思ったよりドスの利いた声が出てびっくりした。ドランクは目を見開いて固まっている。
「え、何? 何か気に障る事言った……?」
あたしは首を横に振る。
「そういう意味だったのか……」
返事は書けない。そりゃそうだ、そんな事をすればそもそも手紙を受け取れないのだから。
「それいつから考えてたんだ?」
「え、えっと……その子に会った日に思い付いたんだよ。出ようと思えば出られるのに、そうしないのは何故かって言われて」
そんな事言っただろうか。詳細はあたしももう覚えていない。
「艇に乗って島を出て、その後は?」
「次の補給地で降りたよ。見つかったら事だからね。幸い傭兵の仕事が性に合ってて今に至る」
「そうか」
「予め返事は書けないって言っておいたから、待ってはいないと思うけど、なんて書いて送ってくれたのかは気になるなあ」
好きだったんだよねえ、その子の事。とても言えなかったけどさあ。
今聞こえた言葉はあたしの欲望から来る幻聴じゃないだろうか。
「……いや」
いや、でも、こいつ、本当に気付いていないんだ。あたしは真実を伝えて様子を見る事にする。
「出してないんだ、手紙。返事は書けないって言われたから」
「スツルム殿?」
「お前俯いてばかりで、ろくに人の顔見てなかったんだろ」
伸ばしていた前髪を上げてみせる。まだ信じられないという顔をしている相棒に、あたしはあの学校の教師の口真似をしてみせた。
「『――さん、反省するまで懲罰部屋に居なさい』」
「……うわー」
ドランクが両手で顔を覆い、あたしの名を呼ぶ。あの頃はまだドナと出会う前で、仕事でも本名を使っていたのだった。
「何だ」
「知っててずっと黙ってたの!? 半年も!?」
「いや三ヶ月くらい」
「十分長いよ~~~」
「……なんか、悪かった」
予想していた反応とは違って困惑する。なんなんだこいつ。
「僕の黒歴史を知る相手が三ヶ月も黙って隣に居た上にうっかり告白までしちゃったんだからそりゃこうなるよね」
こいつの心を読んだかの様な言動にも慣れてきた。とにかく、期待した反応は得られなかった。あたしは手紙の束を無意味に数えながら、自棄になる。
「別に。『好きだった』って、昔の事だろ」
本当に好きだったなら、同じ艇に乗ったんだから姿を現して、一緒に居てくれれば良かったのに。
返答は無い。妙に思って視線を向けると、ドランクはあたしの腕を掴んで、その指に入った力とは裏腹に優しい口付けを落とした。
一番手っ取り早く目的を達成する様に体が動く。確かに、こいつがまだあたしの事を好きだという事はちゃんと伝わった。
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