宇宙混沌
Eyecatch

剣を持たぬ騎士 [1/8]

「あーやっちゃった……」
 僕はベッドに寝転がり、定期試験の結果を通知する紙を見ていた。
 試合形式の剣術の試験で、うっかり越えてはいけないラインを踏んでしまった。イエローカードで三点減点。
 今回は他の実技も、筆記も、絶好調だった。それさえ無ければ、全教科満点だったのに。
「……クソッ」
 紙をぐしゃっと握り潰し、起き上がってチョークとメジャーを取る。部屋の床に、試合で使用するのと全く同じ大きさの枠線を引いた。
 剣を手に取り、その中に立つ。相手が居るつもりで前を見据え、一歩踏み出す。その状態のまま視線を下げ、足の位置を確認。一応中だが、ギリギリすぎる。足を引いてもう一度。
 二十回連続で思った位置に足が下ろせるまで、何度も何度も繰り返す。歩幅を覚えられた、と思った時、それをやめた。
 帰ってきたらまたやるから、線は残しておこう。学校行くか、と時計を見て、頭を掻く。
「あーまた点呼遅刻だ」

「よう、――。今日も社長出勤ご苦労様」
「それを言うなら伯爵登校だろ?」
「……どうも」
 学舎に着くなり、同じ最上級生[ブラック・クラス]の生徒達が声をかけてきた。僕は小さく返事をして、目立たないよう俯き加減で図書室を目指す。
 丁度休み時間に来てしまうなんて間が悪いな。どうせ遅刻なんだし、もう少しのんびりしてから来れば良かった。
「やっと来ましたね――さん」
「……はい」
 嫌な予感は的中する。教官に見つかった。
「無理に授業を受けなさいとは言いません。貴方は内容をよく理解していますから。ですが、朝夕の点呼の時間にはちゃんと来るように。此方も事故に遭ったのではと、毎日心配してるんですよ」
「心配しなくて結構ですよ」
 アルビオンの街に棲む魔物なんて、高が知れている。
「そうはいきません。此方は親御さんから貴方をお預かりしている立場ですから」
 立場、ね。
 そうだよ。そういう「立場」だから心配なんだ。僕の身の安全ではなく、僕に何かある事で自分達に不利益がある事が。
「それに、最上級生なんですから、登下校時に下級生達を見守るくらいの心づもりでいてほしいですね」
「……わかりました」
 そこでチャイムが鳴り、解放される。そのまま図書室に駆け込んで、一番奥の隅の席を確保した。そこで一息つくと、手帳を開く。
 今日は昼休みの後に実技か。実技はやらないとすぐ体が鈍るから、行かなくちゃ。その後の座学はもう学んだ所だし、出なくて良いだろう。代わりに、まだ読んだ事のない本を開けば良い。
 この世には、一人の人間が一生かけても知り尽くせない程の、先人達が残した知恵や知識がある事を知っていた。全てを把握するなんて出来ないとは解っているけど、やる事があるうちは、人生に飽きなくて済む。
 学ぶからには血肉にしなければ。皆は、試験なんて及第すればそれで良いと思っているけど、欠けた手順や、間違って覚えた公式に何の意味があるのだろう。剣術も、頭で覚えた技をその手が使えないのなら、それは知らないのと同じだ。
 手帳を閉じる。代わりに本を開いて、僕は自分の世界へと潜って行った。

 実家を出た解放感に浸れたのは、入学してからほんの数週間だけだった。実力主義のこの学校でも、僕の身分が判ると、同級生達は僕を伯爵家の跡取りと呼んだ。
 それで済んでいれば、まだ良かった。
『お前、親父さん殴って家を追い出されたってマジかよ?』
 血の気が引いた。
『……一体誰がそんな事を?』
『さっき職員室で先生が……』
 人の口に戸は立てられない。身を以て痛感する。
『まさか、本当に?』
『何か理由があったんだろ?』
『……言い訳する事は何も無いよ』
 殴ったのは事実だから、否定はしなかった。
 僕は、人の噂には尾鰭が付くという事を忘れていた。いつの間にか殴った相手に使用人が含まれるようになった。挙句の果てには、孕ませたメイドの子供を堕ろす為に腹を蹴り飛ばした、等と言われる始末。どうせそう言われるなら、本当に気持ち良い思いをしてから此処に来たかったものだ。
 やっていない事の証明は悪魔の証明だ。そんな事に時間を使うくらいなら、勉強に費やした方が良い。
『間違っている事は間違っていると言って良いんだよ』
 僕には生活指導専門の教員がつくことになった。週一回の個別面談で、彼は額の汗を拭いながら笑みを向ける。
『先生達には、言えているでしょう?』
 生徒相手に言える訳がない。誰がうちの出資している奨学金を受けているか判らない。もし、僕が言い返した相手がそうだったら? 現実にはあり得ないが、その相手はいつ経済的援助を打ち切られるか、怯えながら残りの学生生活を送る事になるだろう。
 力があるという事は、そういう事だ。
『……お父さんを殴った理由も、君は教えてくれないね。言えない訳があるのかな?』
『それは前の学校に在籍していた時の話です。先生達には関係無いでしょう』
 教員は僕の態度に、より一層にこにこする。反論されるのがそんなに嬉しいのか。
『根拠の無い悪口や憶測を言う方には、君の正当な反論を受ける責任があるんだよ。何も君が全てを受け流す必要は無い』
 別に、悪口なんてどうって事ない。前に居た、貴族の子息ばかりが通う学校での上下関係を考えれば、生まれを調戯[からか]ってくれるだけ有り難いとも言える。教官達の叱責も、実家で受けた厳しい躾に比べれば生温い。
 そう思えば何もかも些事だった。

闇背負ってるイケメンに目が無い。