宇宙混沌
Eyecatch

僕が死にたがりになるまで


 僕が最初に犯した罪は密航だった。
 お婆ちゃんが死んでから、僕は地獄の様な数年間をあの家[・・・]で耐える事になった。それでも、僕は僕が成人するまでは事を起こさなかった。
 成人すれば、僅かながらもお婆ちゃんが遺してくれた財産を、自分の手で管理する権利が与えられる。殆ど屋敷の外に出た事が無い僕は、貸金庫の使い方や、乗り合い騎空艇の乗り方、その他様々な、普通の人が普通に行う事のやり方を知らなかった。だから、一度全ての権利を得て、一通りなぞってみてからじゃないと、とてもこの家の外では生きられないと思っていた。
 待ち焦がれたその日、案の定、お父様は僕の名義で作った貸金庫の鍵を渡しながら、簡単にお金の出し入れの方法を教えてくれた。これからは商談[・・]にお前を同席させる、とも言っていた。
 それは無理ですお父様。僕はこの、深い闇を抱えた世界では生きていけません。
 それから間もなく、僕は深夜に屋敷の窓から抜け出して、ある騎空艇の貨物室に潜り込んだ。
 これから僕が飛び込む世界が、これまでと変わらず、暗く汚いものだなんて思いもしないで。

「そこのお兄さん」
 無事他の島へと渡れた僕は、早速途方に暮れていた。宿ってどうやって泊まるんだろう。悩みながら歩いていた僕に、胸元を大きくはだけた服装の女性が声をかける。
「一晩どう?」
 彼女が示す、背後の建物を見上げる。暗く地味な外装で、入口だけが妙な色で照らされていた。女性が僕の腕を掴み、胸を押し付けてくる。
「……これってどういうお店?」
「あらやだ、知らないの? もしかしてまだ子供?」
 黙り込んだ僕に、女性は優しい言葉をかける。
「訳ありみたいね。そういう気分じゃないなら、うち、添い寝だけのサービスもあるわよ。それならその辺の宿と大して値段変わらないし、どう?」
「……じゃあ、お願いします」
 店の中へ案内される。誰かの腕に抱かれて眠るなんて、記憶に無いな。薄着になった女性の胸は温かくて、冷え切った僕の心には刺激が強すぎた。

 女性は親切だった。何も知らない僕の事情をなんとなく察して、店から送り出す前に、この街で生きる為に必要な一通りの事を教えてくれた。
「貸金庫の支店って、この近くにありますか?」
「あるよ。表通りに出たら看板出てるからすぐ判ると思う」
 言われた通り人通りの多い道に出ると、見覚えのあるロゴが見えた。僕はそこで、別の島の口座にある遺産を、全てこの支店に移すよう頼んだ。
 当然、行員には訝しがられたが、流石にそこは向こうも商売だ。成人して、僕自身が管理している口座の動きを、他人に漏らせば信用に関わる。
 しかし、これからどうしよう。とにかく情報を集めるか、と思い、道端の露店で新聞を買う。
 僕だって十八年間、遊んで暮らしていた訳ではない。直接交渉をした事は無いものの、商談や投資のやり方は教え込まれている。どこか良い投資先を見つけよう。お婆ちゃんの遺産は、数年もすれば食い潰してしまうだろうから。
 新聞を読み終え、僕は街を歩く。沢山の人。賑やかな声。全てが僕にとっては真新しくて、自由を掴んだんだ、という実感が湧いた。
 しかし、投資の収益だけで老後まで生活していける程の資産は無い。何か職を見つけないと。とは言え、大した芸も持っていないし、半年か一年くらいは、何かの勉強に費やしても良いかな。そう思って図書館へ行く。
「すごーい」
「きれーい」
 道中、子供達がはしゃぐ声が聞こえた。振り向くと、大道芸人らしき男が、魔法を使った手品を披露していた。ああいう暮らし方もあるんだな。
「魔法、か……」
 そう言えば、昔あの家[・・・]の客人に「君には魔力がある」と言われた事があったっけ。本当かなあ。
「……これを使ってみたら判るか……」
 僕は腰のポーチに手を置く。そこには、実家の物置で埃を被っていた、不思議な力を宿す宝珠[スフィア]が二つ。貴重な物らしいが、どうせ誰も使いこなせていなかった品だ。僕が持ち出した事すら、きっと気付かれていないだろう。
 よし、とにかく図書館で魔法を基礎から学ぼう。そうすれば日銭くらいは、稼げるようになるかもしれない。

「そこの僕」
 黄昏時。閉館する図書館に追い出された僕は、宿を探している時にまた声をかけられた。
「昨夜の……」
「身寄り無いんでしょ? あたしの家に来ない?」
 僕は、彼女がどうしてそんな事を言い出したのか解らなかった。でも、お金の心配をしていた僕は、タダで屋根の下で夜を過ごせるなら、と飛びついた。
 彼女は不思議な人だった。僕を抱くわけでも、金銭を要求するでもなく、ただ、僕に夜を過ごす場所と、隣で眠る温もりだけをくれた。僕は昼間は図書館に行ったり、良い投資先が無いか調査をしたりしているし、彼女は夜の仕事だから、殆ど会わない日々が続く事もあった。
「きゃああああ!」
 彼女が僕の前髪の下を見るまでは。
 僕はそれまでの礼を言って、彼女の元を去った。もうそろそろ、この街自体も離れよう。
「……偽物だったんだね」
 図書館に本を返す為、道を歩きながら歯を食いしばる。
 顔に残された傷一つで、失われてしまう愛情なんて。
 

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