一人の夜は長し、二人の道も長し [5/6]
「……本当にごめん」
スツルム殿は僕にお茶を出すと、布団の中に潜っていった。風邪を移してしまっていたのは本当らしい。
そして、そのまま無言になった。何度目かの謝罪を繰り返した後、僕は立ち上がる。
「急に来て迷惑だったよね。スツルム殿が怒るのも無理無い。これ、クリスマスだからケーキ買ってきたんだ。食欲無いなら無理して食べなくて良いから」
「……怒ってはない」
そう言って帰ろうとした僕を、スツルム殿が引き留める。
「すっぽかしたのと、見舞いに来てくれたのは……」
「え~嘘でしょ? だってめちゃくちゃ声低いよ?」
「…………?」
「あ、もしかして喉痛めてる? 僕はそんなにだったけど、個人差あるもんね。じゃあお大事に――」
「お前、白い錠剤の咳止めを飲んだか?」
「へ?」
意外な質問に足が止まる。スツルム殿がその薬を見せてきた。
「ドラフにはよく効くんだ。でもエルーンには聴覚異常の副作用が出る事があって、飲むのを止めても暫く残る。ヴォルケが前にそれで一月程仕事にならなかった」
「え、マジ?」
咳止めなんてどれも一緒だと思っていた。渡されたパッケージの裏に小さく、エルーンには重篤な聴覚障害が現れる事がある、と書かれていた。気付かないよこんなの。
でも、良かった。怒ってないんだ。
「でも」
スツルム殿が続けた。
「でも……具合が悪いことを黙ってたのには、怒ってる……」
「……わざとじゃ、ないんだけど」
いつもそうだった。自分で気が付いた時には手遅れなのだ。己の体の痛みにも、心の叫びにも鈍感で……これまでは自分一人が傷付くだけで済んだけど、今は違う。
「ごめんね。これからは気を付けるよ」
「謝らなくて良い」
スツルム殿は僕が持ってきた箱を指差す。
「切ってくれ」
「一人分にカットされてるよ?」
「良い。半分お前にやる」
信用されていないのでは。
ドランクの口から事情を聴いて、真っ先に思ったのがそれだ。突然外出できなくなる様な体調の崩し方なんて、普通はしない。前日には必ず兆候があった筈で、現に贔屓の店の女との約束を破ってまっすぐ家に帰っている。
「はい、スツルム殿の分」
綺麗に切り分けられたケーキが差し出される。上に乗っていたのだろう、砂糖でできた飾りはその形を留めたまま、あたしの皿の上に添えられていた。
……なんであたしは、こいつみたいに優しい接し方や考え方ができないんだろう。
「スツルム殿?」
「あ、ああ、ありがとう……」
受け取ったが、ドランクの表情は暗い。
「具合悪いんだね。仕事も一人で無理させちゃったし」
「いや、熱はあるが、仕事は別に……」
「二人分一人でやったんだし、時間かかったでしょ?」
「そうでもない。ただ、終わった後寄り道して帰ったからだ」
「寄り道? 珍しい。ていうか、あの日雪降ってたよね?」
ドランクは自分の分のケーキを突きながら、首を傾げる。誰の所為だと思ってるんだ。
……いや、よそう。全部あたしが決めた事だ。
「そう言えば妙な事言われたんだよね」
黙ってケーキを消費していると、ドランクが思い出したかのように話題を変える。
「彼女さんには会えたのか? って。僕、彼女とか居ないよって言ったら怪訝な顔されたけど」
「……贔屓の女にか?」
「え? いや、警察のお兄さんに」
しまった。墓穴を掘ってしまった。
「……もしかして、僕の事探してくれてたの?」
「だったら何だ」
恥ずかしくなって、ケーキの皿を置いて布団に頭まで潜る。くすくすと笑う声が聞こえた。
「ありがとう、心配してくれて」
「別に……礼なら贔屓の女に言ってやれ。心配してたぞ」
「え、スツルム殿、あのお店に行ったの? なんかやだなぁ~」
ほらやっぱり。仕事の相棒には知られたくない、いかがわしい感じなんじゃないか。
「別に贔屓にしてる訳じゃないよ。あの子、口下手だから指名料が安いの。それだけ」
「本当に?」
問い詰めてどうする。仕事の相棒がプライベートで何をしていようが、勝手だろ。
「…………」
言葉を濁したドランクに、急に不安になる。ちらり、と布団から顔を出して見ると、意外な事に苦しそうな顔をしていた。風邪をぶりかえしたか?
「ドランク――」
「顔がね、ちょっと似てたから。昔僕が……本当に甘えたかった人に」
一瞬、初めて聞く様な声色を出して、次の瞬間には元に戻る。
「でももうやめるよ。いつまでもしがみついてるだけじゃ、前に進めないもんね!」
「……顔くらい、見せに行かないで良いのか?」
「うん。その方が良い。彼女にとっても」
ドランクはケーキの最後のひとかけらを口に放り込むと、立ち上がる。
「長居しちゃった。スツルム殿も身動き取れないほどじゃないみたいだし、お皿洗ったら帰るね」
「あ、ああ……」
「僕の家、隣のブロックの長屋の、左から二番目だから」
あたしが急いでケーキの残りを片付けると、ドランクが皿を奪っていく。
「へ?」
隣のブロックの長屋? 毎日前を通ってるのに気が付かなかった。
「今度遊びに来てね。あと、今後は無いように気を付けるけど、連絡つかなくなったらアポ無しで訪ねてきてくれて構わないから」
怒涛の様に来て去っていったと思ったが、ドランクはなんだかんだ小一時間も滞在していたらしい。
『今度遊びに来てね』
あたしは何度もその言葉を思い出しては、頭の中から追いやろうと努力する。
「ふん」
誰が遊びに行ってやるもんか。
日が暮れる。また眠れない。今夜も長い夜になりそうだ。
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