イマジナリーフレンド [4/5]
それが間違いなくベアトリクスの闇の一つだった。
「きのうは――がさー」
数年後、話せるようになったベアトリクスは、頻繁に知らない名前を口にし始める。
「――って誰?」
「――は――だけど?」
緑の目が丸くなる。子供の相手は難しい。
「ベア! ――は私に会いに来てるの。さあ、どっか行った」
エリザベスに見つかり、僕は手を引かれて庭へ。振り返ると、ベアトリクスは虚空に向かって何か話している様に見えた。
「あれ、何?」
エリザベスに問う。
「医者が言うには、『イマジナリーフレンド』ってやつ」
「初めて見た」
「私も」
「何がどうして?」
「別に、子供には珍しい事じゃないって言ってたけど、ああやって一人で喋ってるのは何か――強いストレスとかでなる病気の所為かもって」
「ストレス?」
「前の婚約者の事、話した」
その言葉に、今度はエリザベスに振り向く。
「なんでまた」
終わった話なんて、知らなくて良い事だ。
「……紅い髪と眼の男の子を知らないかって訊かれた。ベンジャミンだ」
「それイマジナリーフレンドの名前じゃない」
「あの子の前の婚約者だ! 一度だけ、会った事がある」
エリザベスは僕の手を離して、自分の肩を抱いた。
「寒いの?」
「気味が悪い」
「ベンジャミンが?」
「……とっても綺麗な顔の子だった」
僕は首を傾げる。エリザベスは続けた。
「けれど、もう三つになるのに話せなかった……だから破談に。でも、話せない事以上に、全然瞬きをしない方が印象に残ってる。まるで人形」
なんだ、相手に原因がある破談なら、まだチャンスがありそうなものだが。
「……そういえば、ベアちゃんに悪戯しようとしたって」
「結婚は無理でも友人としてならってね、父親同士は仲が良かったから。それで顔を見せたら、ベアの口を塞いだんだ」
それ以来あの一家はこの家の敷居を跨がないよ、と締め括る。
「……『自分を殺そうとした奴をイマジナリーフレンドにしている妹の事が一番不気味』」
「も~。その心を読むのやめろって」
「別に読んでるわけじゃないよ」
何も不思議な事は無い。薄っすらと残る記憶の中で、美麗な子供の顔と口を塞がれた事が結びついていないか、後者は欠け落ちたのだろう。それをそのまま「友達」の材料にするのも、別に不自然だとは思わない。
エリザベスは僕の服の袖を摘まんで俯く。
「私の所為?」
ベアトリクスが心に闇を飼ってしまった事。
「……この社会の所為」
僕は魔法で氷の花冠を作ると、エリザベスの頭に乗せた。
そうして、二人で、ベアトリクスの事を憐れんでいた。早く他の良い縁談が見つかれば良いね、なんて、それが無いから僕に選択の責任が押し付けられた事を知りながら。社会の仕組みに保障された安全な場所で笑いながら。
天罰は下るものだ。
その日、僕はエリザベスとの約束通りに彼女の屋敷へと向かった。少し手前で馬車が止まる。
「すみません坊っちゃん。何か様子がおかしいので、暫しお待ちを」
御者は付き人を連れて行く。妙な胸騒ぎ。使用人達は一向に僕を呼びに来ない。堪らず馬車を降りた。
迎えてくれたのは、半分開け放たれて歪んだ門扉。あちこちに飛び散った血飛沫。
「近隣住人は気付かなかったのか?」
「お隣も大きなお屋敷ですしねえ。しかし、誰の姿も無いとは……」
「とにかく警察を……って坊っちゃん!?」
制止を振り切り、奥へ。エリザベスの部屋には、誰も居なかった。
「エリザベス!」
その部屋には血痕が無かった。僕は踵を返し、再び彼女の姿を探す。
「坊っちゃん! 駄目です、馬車にお戻りください!」
「エリザベス!!」
酷い血溜まりを踏み、得も言われぬ感覚と臭いに足を止めた。下を向くと、一昨日エリザベスに作ってあげた氷の花冠が、殆ど溶けてなくなりかけた姿で転がっていた。
その時、僕の中で何かが壊れた。気付いたら自宅に戻って来ていて、警察から説明を受けた。誰も見つからなかったが、状況からして全員殺されたか、少なくとも連れ去られた様だ、と。
それはあまりにも突然で、復讐なんて単語も思い浮かばなかった。何の現実味も無いのに、ただただ悲しかった。
♥などすると著者のモチベがちょっと上がります&ランキングに反映されます。
※サイト内ランキングへの反映には時間がかかります。