アポロ [7/8]
「それじゃ、オルキスちゃんをよろしくね」
「ああ。アポロを……頼む」
掠れた声でそう絞り出した老兵に笑って見せ、僕とスツルム殿はルーマシーの森で彼等と分かれる。
騎空団と合流してから此処まで、僕は何とか鬼にならずに済んでいた。
「ありがとう、スツルム殿」
「何が」
「僕より先に、トカゲちゃんを脅してくれたでしょ?」
「別に……あたしの方が近くに居たからな」
「うん」
僕が暴走しそうな時はいつも、スツルム殿がそれを抑止する動きをしてくれているのには気付いていた。
もっと大人にならなくちゃ。そう思って心の奥底の箱に仕舞い込んだ感情達が、その蓋を抉じ開けて出てくる時、それらは閉じ込めた時より何倍も増幅されているように感じる。
いっそ素直になって、全てを曝け出せば良いのだろうか。普通の人はそうして生きているのだろうか。仮面なんて被らずに。
「ドランク、下がれ!」
考え事をしていた所為で、魔物に気付くのが遅れた。その爪が僕の服を切り裂く前に、スツルム殿の剣が魔物の腹を突き刺す。
「気を抜くのは早いぞ、ドランク」
「ああ、うん、ごめん……」
こんな時も、僕は自分の事しか考えられないの?
「寧ろ覚悟しておけ。無事で見つかる可能性も高くない」
スツルム殿はそう言って、茂みの奥を見遣る。
「あたしが先に行って確かめてくる。自分一人の身くらい、自分で守れ」
言ってスツルム殿は僕を置いて行った。覚悟――アポロが見つからないかもしれない、見つかっても無事では済んでいないかもしれない――その認識を今更ながらして、怖くなった。
「……待って、スツルム殿!」
追いかけようとしたところ、スツルム殿が誰か別の人影を連れて戻って来る。駆け寄ろうとして、少し離れた場所で制止された。
「待て、ドランク」
「え、なんで」
「……覚悟してくれ」
やはり、何かあったのだろうか。僕は深呼吸をして、速まる鼓動を抑えようと試みる。無理だ。
「見た所、大きな怪我はしていない。こうやって自分で歩けもする。ただ……」
茂みの中から、彼女の手を引いたスツルム殿が姿を現した。
「心が、壊れてしまっている」
「……冗談きっつい」
僕はその姿を直視できず、手で顔を覆って俯く。
やっぱり、君が歩いていたのは、破滅への道だったじゃないか。
「痛って!」
いきなり刺されたので飛び退く。
「何すんの!」
「お前がくよくよしている場合か! とにかく体は無事だ。騎空団と合流するぞ」
スツルム殿の双眸の剣呑な光に、少し落ち着く。
「うん。スツルム殿はアポロと手繋いでて。此処からは僕が魔物の相手するから」
無意識に呼んでしまった、二人きりの時にしか使っていなかった呼び名に瞼を動かしたのは、スツルム殿だけではなかった。
「お、おい……、こいつぁいったい、どういうことなんだ……?」
人間不思議なもので、自分よりも狼狽えている他人を見ると、冷静になれるらしい。
「よっぽどのショックを受けた影響だと思うんだけどね……」
いつもの様にすらすらと言葉が出るようになる。僕って非情なのかな。表情を失った娘に項垂れるオイゲンを見て、またそんな事を思う。
僕達にはこの島から出る艇が無い。騎空団やオルキスちゃんと共に、星晶獣の元へと向かう途中、魔晶の影響を受けた帝国兵達に襲われた。
「ぐっ……!」
オイゲンが自らの体を盾にして、兵士の攻撃からアポロを守る。
「オレぁ父親として、アポロにしてやれたことが少ねぇんだ……。いませめて、こういうとこで、父親らしくしねぇとなあ!」
その言葉からは本物の愛が感じられた。確かに、昔は「碌でもない奴」だったのかもしれない。でも、こうして身を挺して庇ってくれる様な父親を、きっとアポロは許せる筈だ。
でも、その後に続く事実は僕の想像とは違っていた。オルキスの言葉に目覚めたアポロは、オイゲンを罵りこそしなかったものの、礼を言う事も、昔を懐かしむ事も無かった。
ルーマシーを離れる騎空艇の甲板で、一人夜空を見上げていたアポロに、食堂で貰ってきた甘いカクテルの入ったコップを差し出す。
「今日くらいは寝た方が良いよ。アガスティアに着いたらどうなるか」
「ふん。貴様もな」
素直に受け取ってくれる。僕も、自分用に貰った度数の強い酒に口を付けた。二日酔いすると困るので、水で割ってもらってあるが。
「君は『碌でもない奴』って言ったけど、正直なところ、僕には羨ましいよ。あんなに喋ってくれるお父さん」
「喋ろうが喋らまいが、そこに居ないのなら同じだ」
「そうかなぁ?」
「そうだ」
アポロはカクテルの半分くらいを一気に飲む。そんなに強くないやつだから良いけど、僕が教えてあげた飲み方はすっかり忘れてしまったようだ。
「僕だったら、許しちゃうな~。あ、もしかして覚えてない? オイゲンさん、自分が盾になって君の事守ったんだよ?」
「記憶はある。だが、それとこれとは別問題だ」
「そう……」
風の音だけが聞こえる。すぐ隣に立っているアポロと僕との間に、見えない壁が作られているかのようだった。
君は僕じゃなかったのか。そんな当たり前の事を認識して、不思議と肩が軽くなった様な気がした。
でも、じゃあ君は結局、僕の何だったんだろう。
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