アポロ [4/8]
僕は言われた通り、鬼になった。彼女が欲する情報は、他人や自分自身の尊厳を傷付けてでも必ず手に入れた。小汚い工作も数多く熟した。それでアポロの手が汚れないなら。彼女が僕の力を必要としている限りは、その手となり足となろう。
君は僕だけど、僕は君じゃない。
「本当にお前の護衛をしているみたいだ」
「え?」
また一つの調査業を終えてアガスティアに帰都する途中、珍しくスツルム殿から会話の種が撒かれる。
「調査や密偵の仕事となると、あたしは見張りくらいしか役に立たないからな。報酬もお前からの手渡しだし」
「そんなあ~。僕達の間に上下関係を持ち込むつもりは無いよ! スツルム殿と僕とで疾風怒涛の傭兵コンビなのにぃ!」
スツルム殿は黙って僕の顔を見上げたままだ。僕は肩を竦める。
「この仕事を請けちゃったのは、悪かったと思ってるよ」
最初は僕だってカモだと思った。でも話を聴けば聴くほど、僕もスツルム殿も地雷案件だという事を理解していった。それでもそれを、僕が殆ど独断で引き受けたのだ。
「でも、今は辛抱してくれないかな。これだけ機密情報を掴んじゃった以上、事が終わるまでに逃げ出したら殺されちゃうよ」
「解っている。黒騎士の気が済むまで付き合ってやれ。それまであたしも付き合う」
そう言い放った表情は、通常時よりはほんの少し優しい。やっぱり僕にしか判らないだろうけど。
「うん、ありがとう」
でも、早い所けりが付いてくれるに越した事は無いな。
「……お前、友達居ないだろ」
「ちょっと、いきなり何? 面と向かって露骨な悪口言うのやめてくれない?」
「悪い、そう言いたかったんじゃなくて……」
害意は無かったらしい。スツルム殿は自分の言いたい事を纏めようと、暫く唇を開いたり閉じたりしていたが、口下手な彼女から再びその話題が出る事は無かった。
「よくやった」
調査報告書を読み終えたアポロは、満足そうに労いの言葉をかけてくれた。その表情は鎧の中に隠れていて見えない。
「暫く休め。用が出来たらまた連絡する」
「はいは~い。じゃあ僕達、宿の方に居ますから」
彼女の家を辞して、スツルム殿と長期滞在している宿に帰る。スツルム殿は剣の手入れを、僕は仕事の記録をした後、二人で馴染みの店に向かう。美味しい料理とお酒に舌鼓を打って店を出る。僕が下らない話をするのを、興味無さそうに適当に相手するスツルム殿と並んで道を行き、また宿に戻ってくる。ストレッチと簡単な筋トレをして、交代でシャワーを浴びて、おやすみを言って灯りを消す。
それが今の僕達の、変わり映えのしない日常になっていた。不満がある訳ではないけれど、時々、とてつもなく虚しくなる。
そういう時は、ただ誰かの温もりに包まれたかった。スツルム殿が寝入った事を確認して、こっそりと部屋を抜け出す。
花街を目指して繁華街を進む。日付が変わろうとしている時間でも、まだこの街は賑やかだ。多くは無いが少ないとは言えない雑踏の中に、意外な姿を見つける。
「おやおや~? こんな時間に、女の子が一人でこんな場所うろついてちゃ駄目でしょー。僕みたいな悪い男に捕まっちゃうよ~ん?」
「己の腕が私よりも立つかどうか、よく考えてから発言する事だな」
「冗談だって。でも、本当に何してるの? 仕事? オルキスちゃんは?」
鎧を脱いだアポロだった。面倒な奴に見つかった、という苦虫を噛み潰したような表情を隠しもしない。
「家で寝ている。私が一人で飲みに行くのがそんなにおかしいか」
「いやー、だって普段は『絶対に失うな』とか何とか言って預けてくるじゃない?」
「私が帝都に居る間は問題無い。ただ、留守の間は、あの女が何もしないとは限らんからな。それにどうせ、世話係は必要だ」
「またまた~。そんな事言ってー、スツルム殿がオルキスちゃんの事可愛がってるの知っ――って危な!」
剣を抜いて首に添えられた。スツルム殿と違って本気だから怖い怖い。
「すみません調子に乗りました」
アポロはふん、と鼻を鳴らして剣を納める。
「でも奇遇ですね。僕も一人で飲み直そうと思ってたんですよ。ご一緒させていただいても?」
僕はすっかり、嘘を吐くのが得意になってしまっていた。
「奢りはせんぞ」
その返答を承諾と受け取る。スツルム殿よりは素直だよねー、アポロは。
個室のあるバーの扉を潜る。僕は明日は休みの筈だし、と強めのお酒を頼んだ。アポロは意外にも、度数の弱くて甘いカクテルを注文する。
「あんまり飲み慣れてない感じだね」
「黙れ」
「図星? 美味しい飲み方教えてあげよっか?」
「貴様が講釈を垂れたいなら好きにすれば良い」
「え、いいの? 静かに飲みたいからやめろって言われるかと思った」
「それを言うのはスツルムだろう」
会話のキャッチボールが続く。スツルム殿はここまで相手してくれないので、新鮮で楽しい。もしかすると、アポロは本当はお喋りな少女だったんじゃないだろうか。
「アポロの書斎の本の量、凄いよね。読書家?」
「まあそんなものだ。お前も――家の者ならあれくらい大した事無いだろう」
「家にあるのは経済の本が多かったかな。歴史書も地方の古いやつばっかりだったし、君が持ってる新しいのはまだ図書館にも入ってなくて……」
「興味があるなら貸してやろう。家からは持ち出すな」
「え、本当?」
「人形に言づけておく。仕事の役にも立つだろうからな」
……仕事、ね。こんなに本が好きで、話すのが好きな少女が、どうして金で側近を雇うまでに――そして、連れ歩く少女を人形と呼ぶまでになってしまったのだろう。
「……貴様の前髪を見ていると、あの女を思い出すな」
僕が会話を切ってしまったので、アポロが別の話題を捻り出す。
「宰相サンだっけ? そういえば彼女も右目を隠してたねえ」
何かの折にちらっと見かけた、宰相フリーシアの姿を思い出す。
「彼女がどうかは知らないけど、エルーンは先天的に右目に異常を持って生まれてくる確率が高いんだよ。僕もそうだし」
「そうだったのか。てっきり、傭兵の仕事をしていて隻眼になったのだと」
「ああ、いや、結局僕の目が潰れたのは、父親に殴られた所為だけどね」
「父親に……」
あ、まずい。酒が回ってきたのもあって、勢いで暗い話しちゃった。
「まーでも、潰れたのが見えてない方の目で、不幸中の幸いって感じ? 左目だったら僕、今頃全盲だもんね~傭兵なんてできてないよ」
慌ててフォローしようとすればする程、アポロの表情は険しくなる。いや、もっと面白い話とか無いの? 僕ってばたまーにこう、調子悪いんだよなあ……。
「……私の父親も碌でもない奴だった。もう父親とも呼びたくないがな」
「え……?」
「碌でもない奴を庇ってやる必要は無い」
だから憎いのであれば、その気持ちを誤魔化さなくても良い。そう言われたような気がした。
「はは……」
僕は前髪を押さえる。
「君、やっぱり凄いや……」
それは彼女の若さ故だろうか。それとも、僕よりももっと酷い目に遭ってきたのかな。
その目に宿るのは、スツルム殿と同じ剣呑な光の筈なのに、何なんだろう、これは。それは僕に生き方を指し示す代わりに、僕の心の陰の部分をより強調して、その形をくっきりと確かなものにしてくれた。
堕ちる所まで堕ちて、この手を汚してしまった、そのありのままの僕を肯定するかの様に。
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