宇宙混沌
Eyecatch

アポロ [2/8]

 暫く後、アポロは長期的にエルステを留守にする、と言って、オルキスという子供――いや、子供の姿をした何か――を僕達に預けて旅立った。行き先は教えてくれなかった。
「絶対に失うな」
 指令を飛ばす彼女の瞳は鋭い。スツルム殿以外は眼中に無い僕ですら、見惚れるくらいの美貌を持っているんだから、もうちょっと、それを武器にする事も覚えたら良いんじゃないかなあ。……と思ったりもするが、口には出さないでおく。
「最近忙しかったから、久々にゆっくりできそうだね。ねぇ? スツルム殿」
「馬鹿言え。あいつが居ない間、こいつの面倒を見ないといけないんだぞ」
 オルキスが一体何に狙われているのか、或いは狙われる可能性があるのか、まだ僕達には情報が不足している。結局、昼間はスツルム殿が、夜間は僕が警護に当たる事になった。とは言え、オルキスがアポロの家の一室から出る事は殆ど無いし、寧ろ外に出すなと言われているので、通常の要人警護よりは楽だ。
 外に出られなくて可哀想、等とは漏らさない。そんな事をオルキスに聴かれて、外出させろと強請られても困る。
 第一この少女は、僕が情を移せるような存在ではなかった。
「飴食べるか?」
「ん……」
 虚ろな表情。殆ど開かない唇。自らの意思で動く事が少ない彼女は、はっきり言って気味が悪かった。
 それでもスツルム殿は甲斐甲斐しく世話を焼いている。僕がスツルム殿に分け与えた飴を、オルキスに渡して舐めさせていた。
「……スーッとする」
「今日のは薄荷味だな」
 スツルム殿の無表情が、ほんの少しだけ、それこそ僕にしか判らないくらいに緩む。その姿を見る事自体は、悪い気分じゃないんだけど。
「なんだドランク、まだ起きてたのか」
 振り返ったスツルム殿が、ソファーで眠ろうとしていた僕の瞼が開いている事に気付く。
「急に昼夜ひっくり返すのはね……」
「別の部屋で暗くして休め」
「ううん」
 僕は凝り固まった姿勢をほぐす為に寝返りを打つ。
「此処に居る……夕方に起こして」
 彼女達の姿に、ある筈の無い未来の幻影が重なった。せめて夢の中だけでも。

 数日も共に暮らせば、僕もオルキスの不気味さに慣れてきた。スツルム殿と同じ、寡黙な少女だと思えばなんてことはない。
 とはいえ、この任務は暇でもあった。オルキスは起きていても、殆ど人形の様に一日中座っているだけだし、そもそも僕が起きている二人を見られる時間はそう長くない。
 夕方に起き出した僕が夕食――僕にとっては朝食だろうか――を買ってきて、皆で食べる。食事中に喋るのは僕だけだが、それを咎める人は居ない。それはさながら、ごくありふれた家庭の日常のように思えて、どことなく胸が苦しかった。
 僕は、本当はこれに憧れていたんだろうか。家出なんてしなければ、今頃僕には可愛いエルーンの妻が居て、もしかしたら子供なんかも居て、こうして食卓を囲んでいたかもしれない。それは手に入らなかった過去であり、これから得られる筈も無い未来だった。
「……考え事か?」
 お喋りを止めてしまっていたらしい僕に、スツルム殿から気遣いの眼差しが向けられる。
「あ、うん、ちょっとね。何処まで話したっけ?」
 そうだ。僕が欲しかったのは家庭そのものではない。
「二人が依頼主に騙された話」
 オルキスの方から、続きをせがむ様な返答がある。少しだけ見えた人間らしさの片鱗に、僕は逆に薄ら寒くなった。
 アポロから直接、全てを話してもらった訳じゃない。それでも、僕が彼女と契約を結ぶ前に調べていた情報と、彼女からの依頼で得た情報を照らし合わせると、彼女が――そしてその背後にある力が何をしようと企んでいるのか、良くない予感が僕の鼓動を速めるのだった。
 一介の傭兵の手には余る。それでも、僕のどうしようもない好奇心と、アポロに抱いている唯一無二の感情が、僕を忠実な配下たらしめていた。

闇背負ってるイケメンに目が無い。