宇宙混沌
Eyecatch

ただ一言


 僕は寡黙な子供だった。親の付き合いがある人に紹介されても、無表情で棒読みの、決まり切った挨拶をするだけで。客人が帰ればすぐに「愛想が無い」と責めるような言葉が降ってきた。
 笑い方を知らなかった。笑っていてほしいと言ってくれた人にさえ、作り笑いすら向けてあげられなかった。
 あの森の屋敷にあったのは、しきたりと、しがらみと、躾と称した叱責ばかり。僕は常に両親の影に怯えていた。何故かって? あの人達は僕に笑いかけてくれなかったからだ。
 認めたくない事実だが、僕は両親からの愛の欠乏を、おばあちゃんからの愛情だけでは満たす事が出来なかった。僕の心の底には穴が開いていた。おばあちゃんが亡くなってからは、注がれる事もなく渇ききって。
 限界を感じて、あの家を飛び出した。誰か他の人なら僕を認めてくれるんじゃないかって。認めてもらえるように努力もしたし、尻尾も振った。でも、それにつけ込む悪い人間がごまんと居るという事を、身を以って学んだだけだった。
 その日暮らしで各地を彷徨ううち、ある時急に笑えるようになった。
 幸福感から出てくる笑みではない。企みが成功した時の、してやったりという、相手を見下す優越感から来る嗤いだ。
「あーあ」
 僕は死体に一瞥をくれる。
「僕ってば、人を殺す才能はあるみたい」
 ま、この人も僕を騙して搾取しようとしてたんだから、おあいこだよね。
 人間の皮膚を切り裂くのに何の躊躇いも無かった。だってそんなの、僕にとっては子供の頃からの茶飯事だ。ましてや他人の体なんて。
「これは僕が大事に使ってあげる」
 死体のポケットから、透明な球体を取り出す。珍しい魔法道具だと言っていた。魔法は素人だが、僕は今度こそ自由の身だ。学ぶ時間はたっぷりある。

「どうしたんだ? 急に黙り込んで」
 スツルム殿に問われて、僕は弾かれたように宝珠から目を逸らす。
「何でもないよ」
 何でもない。ただのフラッシュバックだ。宝珠を磨いていると、時折その中に、ニヤリと笑った自分の顔が映りこむ。そんな顔は今していないのに、だ。
 これがあると、一気に僕の心は空っぽになってしまう。
「そうか」
 スツルム殿も剣を研く作業を再開する。彼女にとっては、僕が喧しくない方が嬉しいだろう。
 僕が本当に笑えるようになったのは、スツルム殿と組み始めてからだった。あんなに難しかった顔の動きが、自然と。
 あれ、でも、今何話してたっけ。ついさっきまでちゃんと笑っていた気がするんだけど。
「……今回の仕事は、良い稼ぎになった」
 僕が話を再開しないので、スツルム殿の方から話題を変えた。此処暫くはちょっとした紛争の手伝いをしていて、僕達は敵の小隊を幾つか壊滅させた。
「そうだね」
 争いに善も悪も無い。そこにあるのは異なる正義だけだ。僕も若い頃は、そのどちらかが正しいと信じて手を貸していた。今は違う。
「暫く休んでも良いな。ちょうどこの近くの遺跡、見に行きたいって言ってただろ?」
 スツルム殿はそう言って剣を仕舞う。虚しさは顔に出るらしい。気を遣われている。
 傭兵だから、どんな功績を挙げたって勲章も地位も貰えない。勿論お金は貰えるけれど、どうせなら何処かの国の軍にでも入ろうかと思った事は何度もある。そもそも、もっと生産性のある仕事に就けば良いとも思う。収入は減るだろうが、魔法でもなんとか食べていけるだろう。
「スツルム殿さ」
「ん?」
「僕が傭兵辞めるって言ったらどうする?」
「勝手にしろ。と言う」
「ですよね」
 けれど、スツルム殿が傭兵を続ける限りは、僕もそれについて行かないと。スツルム殿が傭兵の仕事に拘る理由は知らないけれど、とにかく一緒に居る口実は必要だ。
「もう寝る?」
「ん」
「灯り消すね」
 一つの布団に二人で潜り込む。こうするようになったきっかけは覚えていない。ただ一つ解るのは、これでも僕の心の穴は塞がらないという事だ。
「ドランク」
 下着の下を弄れば、先程までとは違う声色が僕を呼ぶ。小さな手のひらが僕の体を確かめる様に撫ぜる。唇を重ねれば舌を絡めてくれるし、中を穿てば無防備な顔で高みへと導いてくれる。僕を拒む事なく、信頼して全てを委ねてくれる。
 それだけで十分だ。溢れるくらい注がれて、暫くは穴から漏れ出る量を気にせずに生きていられる。
「あ……」
 愛してるよ。果てた後その一言が言えない。結局、おばあちゃんにも好きだよと伝えられないままだった。その後悔を繰り返したくないのに、これが愛なんだろうか、言われたってスツルム殿には迷惑なんじゃないか、と腹の奥から引き留める奴が居る。実際、お前のは依存か執着だろ、とか、体目当てで一緒に居るだけだ、なんて返されたら、穴が開くどころか砕け散ってしまうだろう。
 駄目だ、眠い。仕事の疲れもある。僕はいつもの様に簡単に後始末をして、再びスツルム殿の隣に横たわった。
「おやすみ~」
「おやすみ」
 目を閉じると、そっと何かが右耳の小さいピアスを撫でた。

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