その花が枯れるまで [6/8]
ドランクは昨夜も部屋に来なかった。来る訳無いだろうな。一方的に怒ったのは、あたしだ。しかも、決まり事について、その決まり事で定められた力の序列を使ってなんとかしろ、なんて都合の良い事を。
今日は朝から取引先に話をしに行っているらしい。護衛にはあたしではなく、先代の専属だったらしい使用人が選ばれた。この家の使用人達は全員戦闘訓練を受けているようだし、あたしは礼儀正しい言葉遣いも出来ないから、その人選に文句は無い。
ただ、あたしに何も告げずに馬車に乗り込むその姿を見た時は、流石に寂しかった。
部屋に飾っていた花が見苦しくなってきたので、使用人があたしの許可を得て捨てに行く。鮮やかな色彩を失った広い部屋は、一人で時間を潰すのには陰鬱だ。
どうやって今日一日過ごそう。瞑想も一日中やっていれば流石に飽きるし、森の警備でも申し出てみるか。そう思って部屋を出た時、ドランクの母親と鉢合わせになった。
「今日は――も出掛けていて退屈でしょう? 私も今日は用事が無くて、話し相手を探しておりますの」
ああ、普段の口調はきついが、この人も一応元はお嬢様だったんだな、という感じの喋り方で話しかけられる。あまり気は進まないが、一人で暇をしていても気が滅入りそうだ。同じ様に気が滅入るなら、暇じゃない方がありがたい。
「居間でお待ちしておりますわ。どうぞお着替えになってからいらして」
まあ、この脚の出た服装はやっぱり嫌いらしいが。
「――と知り合って何年になりますの?」
「十年と少し……」
「思っていたよりも随分長いですわね。一体何処で?」
「戦場……」
その返答に母親は垂れ目を丸くする。
「あたしは、十代の頃からずっと傭兵をやっていて……ドランクは、その時はまだ駆け出しでした」
「そうなの。家出してから暫くは、隣の島でお父様の真似事をしていたとは、聞いているわ」
その情報はあたしは初耳だ。
「私は、自分でお金を稼いだ事がなくて、傭兵という仕事がどんなものなのかもぼんやりとしか知らないの。あの子、仕事をしている時はどんな感じなのかしら?」
「……良いんですか?」
「え?」
「傭兵は、殺すか殺されるかの仕事です。あたし達は、依頼主の為なら汚い事も平気でやってきています。彼のそんな顔を、あなたは見てあげられるんですか」
「……それは夫も同じ様なものよ」
落ち着いた口調の中に含まれた二つの覚悟。かつてこの家に嫁ぐ事となった日に決めたであろうものと、今こうして息子の生き方と向かい合うと決めたもの。
「正直、一つ一つの依頼の話はしてられません。多すぎて」
「ええ」
「……あいつは……ドランクは、狡猾ですが、いざという時に仲間を庇ってへまするタイプの、傭兵としては甘ったれた方の部類ですね」
もっと誉めてやろうと思っていたのに、上手く言葉が出なくて変な事を言ってしまう。
「でも貴女達、有名なんでしょう?」
「ドランクの魔法は、敵に回したくない程度には厄介ですから」
「そうだわ! そういえばあの子が魔法を使っている所を見た事が無いの。魔法書や魔法道具はこの家にも幾つかあるみたいだけど、元々魔力の強い家系ではないから教えてなかったのよ」
「そうなんですね」
家出してから独学であそこまで仕上げたのか。やはり天才なのでは。
「頼めば見せてくれると思いますよ」
というか、そんなに興味があるなら直接言ってやれ。今頃になって興味を向けられて、ドランクがどう思うかは、あたしには判らないが。
「じゃあ……頼んでみようかしら」
そこで言葉を切り、紅茶に口を付ける。沈黙が下りた。居た堪れなくなって、あたしが茶菓子を摘まんで飲み込んだ時、母親が痛い所を突いてきた。
「ねえ、スツルムさん……貴女は、あの子に、傭兵の仕事って向いていると思う?」
確実に向いている。魔術も、武術も、話術も。目的の為なら鬼にも悪魔にも死神にもなれる所も。ドランクにとって傭兵は天職だ。
でもそれは、他の仕事が天職ではない、という証明にはならない。
「ええ。でも……あいつは、やれば何だって出来ると思います」
きっとこの家の家業を継ぐ事だって、向いている。
昼過ぎにドランクは帰宅したらしい。また書斎に籠って仕事をしている間、あたしは天気が良いので庭の花を見ていた。
日が傾いて部屋に戻ろうと思った時、屋敷の片隅からピアノの音が響いてきた。誰だろう、ドランクの母親か?
庭に面したその部屋で鍵盤を叩いていたのは、他ならぬドランクだった。硝子越しにあたしの影が部屋の中に落ちたのに気付き、庭に出入り出来る扉を開ける。
「今日はごめんね。僕も初めてだったし、勝手が分かる人を連れて行こうと思ってたのを、昨日伝えそびれちゃって」
「別に、良い……」
話を打ち切って部屋に帰ったのは、あたしだ。
ドランクは笑って、再び奏でだす。こいつ、本当に何でもできるな。
「もう仕事は終わったのか?」
「いや。もうキリが無いから、重要なやつが終わったら一旦他のはほっとこうかなと思ってる。これは息抜き」
「喋りながら弾けるのか、器用だな……」
「あーでも、こっちはダンスと違って、全然指が覚えてないねえ」
そうなのか? あたしには良し悪しが解らない。
「……此処、誰の部屋だ?」
ドランクの部屋は、確かもっと上の階だった筈だ。それに、調度の趣味から、女性の部屋の様に見えた。天蓋付きのベッドからは、布団もカーテンも取り払われていて、今は誰も使っていない事が伺える。
「お婆ちゃんのお部屋」
「……そうか」
「なあに? スツルム殿も弾いてみたい?」
「いや」
あたしは部屋に残されたままのソファに座る。
「ところで、服どうしたの? お母様に無理矢理着せられた?」
「無理矢理ではない」
「なら良かった。スカート姿は新鮮だねえ」
「子供の頃は履いてたぞ」
違う。こういう他愛ない話を続けていては駄目だ。意を決して、ドランクの背中に投げかける。
「なあ、ドランク」
「なに?」
「その……もし、お前が此処に居たいんだったら、傭兵、辞めても良いぞ」
ドランクが奏でていた旋律が詰まる。ペダルを踏む足を上げると、静寂が夕暮れの部屋を照らした。
「それ本気で言ってんの?」
低い声。ドランクは振り返らない。
「あ、ごめ……」
気迫に圧されてつい謝ってしまう。ドランクはピアノの蓋を閉める。
「それで……スツルム殿はどうするの? 勿論此処に住んでもらうのは構わないけど、剣を振るう仕事はそうそう無いよ、この島」
「……解ってる。代わりに裁縫でも何でもして働く」
「そういう問題じゃないでしょ」
ドランクが言葉を詰まらせた。ごめん、お前はちゃんと傭兵に戻るつもりだったんだな。今言った事は忘れろ。そう言おうと立ち上がって隣に立つと、意外な事に、その顔に浮かんでいたのは怒りではなかった。
「……まだ決めきれてないんだ」
笑っている。己に圧し掛かる重圧を騙そうとする笑顔。
「というより、僕の人生はもう、僕一人の気持ちで決めて良いものではなくなってしまった」
彼が自由に拘ったのは、そうならないよう、必死で逃げていたからだったのに。
「スツルム殿は……自分が諦めれば全部丸く収まると思ってるんでしょ?」
「それはお前もだろ」
「うーんどうだろうねえ……」
ドランクは立ち上がる。柔らかい生地の服越しに、あたしの体を抱き締めた。
「スツルム殿の提案は正直ありがたい。このまま当てもなく危険な旅を続けるくらいなら、君の子供の顔を見るのは諦めて、此処で君に不自由の無い生活をさせてあげる方が良いかもしれない事も、解ってる」
「……解っていて、諦められないか」
「そうだねえ~」
いつもの調子に戻り、あたしから離れる。
「せめて、この家もこの島もくそ食らえって、潔く見捨てられたら良かったのにな。そろそろ夕食の時間だよ」
部屋を出るドランクの後を追う。
「いつの間にこんなに大人になっちゃったんだろうな~」
* * *
魔法を見せて。夕食後、一通りの計算を終えた僕は、お母様と話をする為に珍しく居間に顔を見せた。しかしお母様は、僕が話し始める前にそんな事を言い出す。
「生憎、室内で使えるようなものは得意ではなくて」
実際そうなので断ると、残念そうな顔をされた。仕方なく、カップの中の紅茶の表面を揺らすという、とてつもなく地味なものを披露する。
「まあ! 凄いわ!」
普段僕が戦場で華やかに咲かせる魔法に比べたら、本当に地味すぎて見る時間が勿体無いと思うのだけど、それを見たお母様はまるで少女の様に喜んだ。
嬉しい、とは思えなかった。代わりに、何をやっても此処が間違っている、努力が足りない、本気を出せばもっとできる筈だ、と叱られた記憶の数々が蘇る。その反応は四半世紀前に欲しかったものだ。
僕は話をしようとしていた気持ちが萎んでしまって、椅子の背もたれに体重を預ける。天井を仰ぐと、耳飾りの重みで耳が後ろに反った。
「その耳飾り、何処で手に入れたの?」
「……それは言えませんが、最近になって元々はこの家にあった物だと知りました」
「そう、そうなの……」
「お母様が気に入らないのは解りますが、これは――」
「それは、お父様が私に贈ったものなのよ」
「……え?」
「まさか巡り廻って、こんな形で見る事になるなんて思わなかったわ。ましてや、恋人と揃いで着けてるなんて」
状況が飲み込めない。スツルム殿が恋人だってバレてるのは、舞踏会でバラしたようなもんだから良いとして。お父様が、お母様に、贈った? これを?
「え、じゃあなんで僕の手元にあるんです?」
「こっちが聞きたいわよ!」
「量産品……な訳ないですよね」
「私の好みに合わせて特注したって言っていたわ」
「お母様の!?」
何がなんだか解らない。お母様は溜息を一つ吐き、懺悔した。
「私は……それを受け取るのを拒んだのよ」
話を要約すると、つまり、お母様にとっては不本意な結婚だったらしい。
お母様は、元はこの家の取引先の娘だった。実家は別の島にあって、富豪ではあったが貴族でもなんでもない。僕も母方の祖父母には会った記憶が無かった。
そんなお母様の美しさに惚れ込んだのが、商談の為に僕の祖父と共にお母様の実家を訪れていた、お父様だった。
お父様はお母様に気に入られようとあの手この手を尽くしたらしい。そして執念深かった。それこそ、彼女の為に誂えた耳飾りを、叩いて手から落とされても諦めなかった。
最終的に彼は実力行使に出た。お母様の両親に取り入り、当時の恋人を引き離して、無理矢理縁談を纏めた。まるで商談を纏める様に。母方の祖父母は両手を上げて喜んだそうだ。まあ、家柄を考えれば当然だろう。
一方で父方の祖父は、勝手な行いに激怒したらしい。勿論お婆ちゃんも、息子の人道に反した行為に呆れて、少し距離を置いていたそうだ。
いきなり見知らぬ土地に連れてこられ、顔見知りの居ない広大な屋敷に住まわされ、貴族階級の規律に厳しい生活を余儀なくされたお母様が、そんな状況を作り出したお父様を愛せる筈なんて毛頭無かった。僕自身、幼いながらに両親が不仲である事はなんとなく察していた。
そしてそのやるせない気持ちの矛先は、僕が生まれてからは僕にも向いた。自身がこの世界に飛び込んでからが大変だったからだろう。反動で、特に礼儀作法は厳しく叩きこまれた。
僕の目や肺の病気の所為で、いっそう肩身の狭い思いもしたのだと思う。それでも、この家を逃げ出すだけの力が無いお母様は、お父様の言いなりになるしかなかった。
「……お母様が僕の事を心底嫌っていたのも、頷けます」
「嫌っていた訳じゃ、ないわ……」
「そうですか?」
「その目の色を見ていると、どうしてもお父様の顔がちらつくのよ……」
しょうがないなあ。顔はお母様そっくりと言われるけど、目の色だけはお父様譲りだもんね。
かくいうお父様は、そうまでしてお母様を妻にしたものの、その愛情だけは手に入れられなかった。
死人に口なし。お父様の心情は今となっては想像するしかできない。でも、なんとなく解ったぞ。きっと、お母様と同じだ。お母様と同じ顔をした子供が、お母様と同じように怯えた目で自分を見ていたら……そりゃあ、扱いに困るね。
求めた愛情が手に入らない孤独感が、どれほど辛いものかは僕自身よく知っている。お父様は、この巨大な館の中で、孤独だったのだ。
「でも、結局私は何も学べなかったわ。あなたの事が恋しくなったのも、あなたが居なくなってからだった。お父様の事も、最後まで好きになれなかったと思っていたけれど……」
「……お母様」
僕は背もたれから体を離し、座り直す。
「それでも僕、このピアスは気に入ってるんです。スツルム殿が僕にくれた物なので」
「……そう……」
「スツルム殿の意向を聞いてからになりますが、取引先への挨拶と投資先からの資金回収がある程度済んだら、僕はまた旅に出ようと思います。試算では、不動産収入だけでもこの屋敷を維持するくらいはできますから」
「解ったわ」
「良いんですか? これまでみたいに羽振り良くは出来ませんよ? 勿論不自由しない程度には面倒見ますけど」
すんなりと許してもらえて、拍子抜けして聞き返してしまう。
「構わないわよ。使用人達には気の毒だけど、いざとなったら屋敷を手放して故郷に戻るわ。相手がドラフなら、どうせあなたが末代でしょう? 誰も住まない家を残していたって仕方ないもの」
「ああ、それですけどね」
僕は傭兵の時によくしているように、ニヤリと笑う。
「僕の、欲しいものは絶対に手に入れる性質はお父様譲りのようでして。『おばあちゃん』って呼ばれる日を期待していてください、お母様」
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