その花が枯れるまで [5/8]
結局また夜通し踊らされて、次の日僕が目覚めたのは昼前だった。窓際の花は、まだ色褪せてはいないが、その瑞々しさを失いつつある。
朝食と昼食を兼ねたものを食べて書斎に行くと、スツルム殿はいつもの服に着替えて僕を待っていた。
「お前はその恰好で行くのか?」
「僕もいつものに着替えるよ。あの格好でダイニングに行くと、お母様が怒るから」
言っていて、我ながらマザコンっぽいな、と思ってしまった。スツルム殿にもそう思われていたらどうしよう。親離れできてない面倒な奴って、嫌われちゃうかな。
二日ぶりに髪の毛を下ろし、いつもの服に着替えて屋敷を出る。
「ちょっと遠いけど、歩いて行こう。早く戻ったって仕事が待ってるだけだし」
「ああ……」
「あの様子だと心配要らないよ、多分」
何か裏があるのは確かだが。でもまあ、全て話してくれるのだろう。
「いらっしゃい」
以前とは違い、客間に通される。娘が焼いたクッキーだ、と茶菓子を勧められた。相手が食べて毒が盛られていない事を確認してから、いただく事にする。
「そうしてるとちゃんと傭兵さんに見えるね」
「それはどうも。貴方は相変わらず『探偵』には見えませんね」
僕の冗談を笑い飛ばす。
「君は今てんやわんやしていて時間が惜しいだろう? 単刀直入に説明しようか。もう秘密にしておく必要もない」
「お願いします」
「結論から言うと、返金は要らないよ。目的は達成されたし、あの謝礼は全部、君のお父上からのものだからね」
「……続けてください」
少し読めた様な気がするが、まだ全貌は見えない。大人しく最後まで聴くのが早そうだ。
「その前に、『スツルム殿』にも解るように、以前の私の依頼内容を説明しておこうか。私は、ある屋敷の主人からとある物を取り返して、その人物を始末するよう、『ドランク』に依頼した」
「それはドランクからも聞いた」
「なるほど、じゃあ話が早いね。結局、君は相手を殺し損ねて、この島から逃げ出した。でも私達の真の目的は彼を殺す事じゃなかった。どんな形でも良い、彼をこの島から消せれば良かった」
「では、今はもうこの島には居ないんですね?」
「一家で逃げて行ったよ。元々余所者でね。サロンを利用して怪しげな新興宗教をこの島に流行らせようとしていた。あの時点で、それ絡みと見られる死者や行方不明者が複数出ていたんだ」
「なるほど……」
「でも、この島の警備隊が貧弱なのは君も身を以て知っているだろう? 証拠を掴む能力も、割ける人手も無いから手が出せずにいた。当然、この島の権力者――実質的な統治者と言っても良いかな、君の父上が黙っていなかった」
エルーンの紳士は微笑む。
「それで、私に依頼が来た。一つはその余所者を島から消す事。もう一つは、君がこの島に近付かない正当な理由を作る事」
「……どういう事です?」
「君が家出してすぐ、お父上には君を監視するよう依頼されていてね。ああ、勿論、四六時中付き纏っていた訳じゃないよ。特に君が傭兵の仕事をしてる間は近寄れないし、流石にノース・ヴァストまで連れ去られた時は追えなくなってびっくりした」
「全く気付きませんでした、流石です……。でも、連れ戻せとは言われていなかったんですか?」
「いや。例え君が死ぬような事があっても、手出しはせずに報告だけ上げろと言われていた」
彼は言葉を切ってまたクッキーを齧り、お茶で口を湿らせてから再開する。
「結局彼は、君に自分の意思で戻って来てもらいたかったんだよ。でも君は何年経っても帰ってくるどころか、どんどんその行動範囲を広くした。最初から解っていたとは思うけど、そうなると彼もあの家の非を考えざるを得ない。でも、それを認められる程、彼は強くなかった」
お父様は、強くなかった……? 自分の記憶の中に居るお父様は、いつも厳しくて、きびきびと使用人達に指示を出し、しっかりと商談をまとめてくる、強い人の印象があるのだけれど……。
「だから、他にも君がこの地を踏めない理由があれば良いと思ったのさ。そうすれば責任転嫁できるからね。尤も、それで実の息子に人殺しの仕事をさせるのはどうかと思ったけど。あの人も常日頃命を狙われていたから、感覚が麻痺しちゃってたんだろうね」
「……そう、でしたか……」
確かに、お父様が黒幕で、この人が全面的な協力者、という説明は全部辻褄が合う。結局、僕はこの人の演技に騙されていた訳か。
「そうだよ。だから君は何も気にしなくて良い。あの仕事の報酬は、好きに使いたまえ」
いや、もう使っちゃったから、今日は相続した遺産から返そうと小切手を持って来ただけなんだけど……。
と、僕はある事に気付く。
「……という事は、あの報酬の中身って、全部僕の家にあった物ですか?」
「私は袋の中身までは確かめていないけど、君の家の財産である事は間違いないよ」
「そうですか……」
僕達は礼を言い、屋敷を辞す。僕は隣を歩くスツルム殿の耳を見た。
この揃いのピアスは、その時の報酬の中からスツルム殿が見つけたものだ。という事は、元々は僕の実家にあった物、という事になる。
当時も同じ物が二つもある事に疑問を抱かなかった訳ではないが、どうせ量産品か何かなのだろうと思っていた。しかし、あの家の者達は量産品でなくても既製品は滅多に買わない。つまり、これはわざわざ二つセットで誂えた物なのでは? そしてどうしてそれがあの袋の中に?
『そのいかつい耳飾りも外しなさい。品が無いわ』
妙に棘の多かったお母様の言葉を思い出す。確かに大きいけど、エルーンの耳には丁度良い大きさだし、金で出来ていて安物という訳でもないのにな……。
「なあ、ドランク、道こっちで合ってるのか?」
スツルム殿に言われて顔を上げる。
「あ、ごめん! 間違えて街に下りようとしてた」
「やっぱりな。考え事は家に帰ってからにしろ」
「は~い」
家に帰ってから、か。
出迎えたお母様は、また着替えてから食事に臨むように、と言っただけだった。
「それから貴女も、食事の間くらい不必要に肌を見せないでくださる?」
言いたい事は解らなくもない。僕だってスツルム殿が胸の開いた服を着始めた時は、慣れるまで視線を固定する場所に悩んだ。
「コルセット着けなくても着られる服も用意してもらってあるから、適当なの着て――」
「お前は、客人にまであんな態度を取る母親に、何か言う事は無いのか?」
棘のある言葉が飛んできて面食らう。
「ええ……」
怒っている。そりゃ勿論、赤の他人に仕事着が下品みたいな事を言われたんだから気持ちは解る。
「第一、なんなんだこの世界は。他人の事を不必要に監視したり口出ししたりするのは田舎でもあったが、マナーだのエチケットだの、下らん決まり事ばかり押し付けてきて」
「ど、どったのスツルム殿~? なーんか虫の居所がいつにも増して悪いみたいだけど~?」
「今はお前がこの家で一番偉いんだろ? この家はこの島で一番権力が強いんだろ? お前がなんとか出来ないのか?」
僕がなんとかする? 考えた事も無かった。
「……悪い。お前もまだ忙しいんだったな。着替えてくる」
スツルム殿は胸の開いていないゆったりとしたドレスで夕食の席に現れた。お母様はそれで機嫌を良くしたのか、ワイングラスに口を付けた僕に、珍しく話し始める。
「今日のワインはあなたが生まれた時にお父様が買ったものよ。あなたの結婚祝いで飲みたいと言っていたわ……」
一口含んで、グラスを置く。お父様に飲ませてあげられなかったものを自分が飲む後ろめたさ。
「……良いんですか、こんな何でもない日に開けて」
「もういつ開けても同じ事です」
「……そうですね」
それは、もうお父様が居ないからなのかもしれない。もっと沢山、それこそ此処に居るのが耐え切れないほど沢山、この家では嫌な事があった筈なのだ。なのに、此処で過ごす時間は、お父様がちゃんと、僕の事を見ていてくれた証拠だけを突き付けてくる。
部屋に戻ると、窓際の花が頭を垂れ始めていた。
もう堪えられない。親不孝者の自分を責める罪の意識が、細い花瓶をこの手に掴ませた。窓を開けようとしたところで、何とか思い留まる。前髪の下の消えない傷が、窓硝子に反射していた。
最初から僕の気持ちは決まっている。でも、まだ何も終わっていない。父が残した仕事も、母とこれからを話す事も。
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