その花が枯れるまで [4/8]
明け方に目が覚めた時には、まだ隣に居た気がする。でも、次に目を開けた時には、ドランクはもう居なくなっていた。
起き上がると、机に置かれた花瓶が目に入る。花弁の縁の方が、ほんの少し変色し始めていた。
お披露目会は夕方かららしい。結局、あたしの剣を携帯できるような形に仕立て直す事は出来ず、小振りのナイフと拳銃をスカートの下に隠して警護に当たる事となった。まあ、元々の警備の者や武装した使用人達も沢山居る事だし、殊更気負わなくても良いだろう。
「やっぱり似合うね~赤いドレス。色は僕が指定したんだよ」
大広間の隣の控室で着付けられていたあたしの身支度が終わった頃、ドランクが姿を現した。燕尾服を事も無げに着こなしているその様に、生まれながらの格の違いを感じる。
あたしは、指先を締め付けるような靴にも、腰を細く見せる為の下着にも、居心地の悪さを感じているのに。ドランクも初めはそうだったんだろうか。煌めく宝石も付いていない、ごわごわした丈夫な布の服なんて……。
「……馬子にも衣裳だろ」
「何言ってるの~」
ドランクはまた新しい花を手に持っていた。人払いをして、鏡の前に座るあたしの角に、それを器用に巻きつける。
「口紅はスツルム殿の目の色だねえ」
一々そんな細かい事まで言及しなくて良い。化粧も使用人が勝手にやっただけだ。
「……ところでスツルム殿、今日本当に警戒しないといけない相手の事なんだけど」
「ああ」
解っている。あたし達は以前、この島で殺しの仕事を請け負った事がある。
「時効は過ぎてる筈だから、警察に捕まる事は無いと思うけど……」
「個人的な恨みを買った相手には、気を付けないとな」
一人は、殺し損ねてしまった標的本人。一人は犯行の目撃者である、標的の子供。最後の一人は、その仕事の依頼主。
「失敗しちゃった仕事だからねえ。明日、なんとか時間を作れたから、何割かは返金しに行こうと思ってる」
あたし達は、結局殺し損ねた上に、報酬を全額持ち逃げする形になってしまったのだった。
「危なくないか?」
「危ないと思う」
「あたしも行く」
「よろしくね。まあでも、お父様の直接の知り合いだから今日も呼ばれてる筈だよ。流石にこの場で何かしてくる事は無いだろうし、余裕があったら今日の内に話をしておく」
まったく、とんでもない世界だな。これじゃ傭兵と変わらない。此処にあるのも、生きるか死ぬか、殺すか殺されるか、その二択だけだ。
ドランクがもう片方の角にも花を巻き終わった時、ドアがノックされる。返答を待たずに入ってきたのは、ドランクの母親だ。
「一つ言っておく事があります」
「何でしょう」
「あなたが居なかった間の事は、持病の治療でこの島を離れていたという事にしてありますから」
鏡越しのドランクの顔が、悲しみで歪んだ。
「またそうやって、僕の事を偽ったんですね」
ドランクが自分の前髪をくしゃっと握る。
「……それから、そのいかつい耳飾りも外しなさい。品が無いわ」
それだけ言うと、部屋を出て行く。あたしは振り返ってドランクの手を彼の顔から外し、前髪を整えた。
「今日は外してても良いぞ、ピアス」
「外さないよ」
ドランクは笑顔を作る。
「てっきり、最初にスツルム殿と踊るのは駄目って言われるのかと思っちゃった。まあ、口裏合わせときますかね……」
言いながら、ポケットから小さな箱を取り出す。蓋を開けると、白い小さな花のモチーフが鈴生りになったネックレスが出てきた。
「はい仕上げ~」
あたしの首に巻き付け、鏡の中の顔が満足そうに微笑む。赤い色のドレスによく映えた。
「……見た事が無い花だ……」
色が綺麗なわけでも、形が可愛いわけでもない。変に目立つのはあたしが嫌うが、ドランクが選んだにしては地味なデザインだ。
「馬酔木って言ってね、遠い国に生えてる花だよ。僕からのプレゼント」
「いつ用意したんだ?」
「いやねえ、うちの使用人さん達とっても優秀だから。頼んだらすぐ探してきてくれてさあ」
「……ありがとう」
「うんうん、最近のスツルム殿は素直で可愛……痛って! ちょっと、貸してるナイフで刺さないでよ!」
「はあ……。まあ良い、もうすぐ時間だ」
「うん、そうだね」
ドランクはこの家の主人として客をもてなしたり、何やら話をしたりと大変らしい。緊張しているのが伝わってきた。でも、そういう姿はあたしにしか見せない事を、あたしは良く知っている。敵前でも悠々と構えているように、客人達の前でも堂々と振る舞えるだろう、彼なら。
パーティーはドランクの当たり障りの無い挨拶から始まった。当面の間、彼がこの家の資産の面倒を見るのは確定事項だから、一旦は普通に跡を継いだかのような挨拶になるのは仕方がない。
舞踏会が始まるまでは、立食形式の晩餐会の形を取るらしい。あたしはドランクの話の邪魔にならない程度に付いて回る。あまり近づきすぎて紹介され、社交界の話題を振られても面倒だ。
「お嬢さん」
が、あたしが直接声をかけられてしまう。振り返ると、以前殺しの依頼をしてきた人物が立っていた。
「お前は……!」
優しげなエルーンの紳士は、口の前に指を立てる。
「乱暴な言葉遣いを聞かれると、彼の母上が五月蝿いよ。まあ、私の事を『お前』と呼ぶのは、亡くなった前の旦那くらいだったから、少し懐かしかったけど」
ドランクの言う通り、此処で何か害を加えるつもりは無いらしい。よく見たら、後ろに少女を連れている。
「スツルム殿!」
あたしが離れた事に気付いたのか、ドランクの方が引き返してくる。彼も、あたしが誰と話しているかに気付いた。
「ああ、丁度探しておりました」
「だろうねえ。此処で話すのもなんだし、明日以降で私の屋敷に来れるかい?」
「明日の午後なら時間が取れます」
「空けておこう。そうだ、一番最初とは言わないけど、後で娘とも踊ってやってくれ」
「ええ、是非。二番目にお誘いしますよ」
彼の後ろに立っていた少女が名乗り、優雅なお辞儀をする。
「この子には、君の所に嫁がせるつもりは無いと言ってあるから」
「はは……言っちゃいます? それ……」
「君とは下手すれば親子くらい歳が離れてるじゃないか。尤も、今日来ているエルーンのお嬢さん達は、みんな娘と同じくらいだけどね」
「まあ……。自分の半分くらいの歳の子達と踊るのは、気が進みませんね」
「そもそも君には相手が居るだろう?」
エルーンの紳士は言ってあたしを見る。
「そうだとしても、世間には、この家の当主が未婚で許婚も婚約者も居ない、という触れ込みですよ?」
「そりゃ取り合うだろうねえ。でも、同年代のエルーンが近くに居れば、もっと早くに許婚の話が出ていたと思うよ。それに、君ももう三十を越えたんだろう? 同年代が居たとしても、此処に残るのは行き遅ればかりさ」
若い子と踊れるだけ良いじゃないか、と言って紳士は去る。ドランクは溜息を吐いて、次の客人の元に向かった。あたしは数歩離れてから、その後を追う。
……あたしをちゃんと婚約者として紹介してくれていたら、こんな面倒な事にはならなかったんじゃ?
一瞬そう思って、首を振る。いや、どう考えても異種族で身分違いの女を娶るとか言い出す方が面倒な事になるな、この世界だと。
それでも、婚約者と紹介してもらえなかった事が、あたしの胸をちくちくと刺し続けた。
日が暮れて、広間のテーブルが片付けられる。ドランクがあたしに耳打ちしてきた。
「もしかすると最初の一曲は、皆は踊らずに僕達の事見てるかも」
「なっ!?」
そんな恥ずかしい事があるのか。昨日ドランクは褒めてくれたが、この裾が長くて広がった服で踊るのは初めてだし、あたしはドランクと違って注目を浴びるのは苦手だ。
「婚約パーティーではないとはいえ、主役が最初に選ぶ相手って特別だからね。大丈夫、ちゃんとフォローするから」
事も無げに言う。そういう問題ではない。
「ん? これまでの話をまとめると、結局あたしがお前の婚約相手の第一候補と示す事にならないか?」
「え、そうだよ?」
そうだよ、じゃない。此処でスカートをめくる訳にはいかないので、拳で太股を殴っておく。
「結局面倒な事になるじゃないか……」
でも、良かった。そういう形ででも、二人の関係を公表してもらえる事に安堵する。
「遅かれ早かれそうなるよ……。まあでも、お客様の前ではお母様もとやかく言えないだろうし」
そうこう言っているうちに、曲が始まってしまう。ドランクに手を引かれて、広間の中央に躍り出た。こうなったらやるしかない。
あたしのステップが乱れてドランクとの距離が詰まる度、彼の服から普段付けない香水の香りが漂って来る。ふと顔を見上げれば、優しい眼差しが微笑んだ。自分の顔が赤くなるのが解ったが、それが注目を浴びているせいなのかどうか、あたしには判らなかった。
気を紛らわそうと顔を背けて周囲を見れば、観衆の囁きがどうしても耳に入る。
「どうしてドラフなんかと踊っているのかしら」
「何処のご令嬢でしょうね」
「何あのステップ。子供じゃあるまいし」
「聞かなくて良いよ」
当然ドランクにはもっと沢山の囁きが聞こえていて、あたしを気遣ってくれる。
「所詮みんな、自分の血筋くらいしか誇れるものが無いからそう言うだけだ」
……だったら、あたしは何が誇れるんだろう。剣の腕、は間違いなく誇って良い。でも、それ以外は? 剣の腕だって、現実問題、こうやってドランクとダンスを踊るのには何の役にも立っていない。
とんでもなく場違いだ。あたし、此処での生活に耐えられる気がしない。ドランクの仕事はいつ終わるんだろう? 終わった後、ちゃんとまた傭兵の仕事をしてくれるんだろうか?
考え事をしていると、曲が終わったらしい。ドランクがあたしを離し、約束通り先程の娘を誘いに行く。
もうダンスはこりごりだ。壁際に戻る途中、ドランクの母親の姿が見えた。
「え……?」
複雑そうな表情をしている彼女が見ていたのは、ドランクではなく自分だった。
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