宇宙混沌
Eyecatch

その花が枯れるまで


 朝目覚めて、ベッドの天蓋が目に入った時、ああ、夢じゃなかったんだ、と落胆した。
 上半身を起こし、僕の人生が始まってからの十八年間、その大半を過ごした部屋を見渡す。使用人達が管理していてくれたおかげか、それとも僕が戻って来る前に掃除したのか、調度には塵一つ落ちていなかった。磨かれた鏡に疲れ切った顔のエルーンが映る。
 何があって、何をしないといけないんだっけ? お父様が死んだと聞いて、それでちょっと気が動転しちゃって。でもとにかくお母様は世間知らずだから、僕が戻って何とかしなきゃ、と思ったのは憶えている。とにかく今日はお父様名義の資産を検めて、えっと、僕のお披露目会が明日だって言ってた? 何か話す事考えとかなきゃ……。
 ベッドから起き出し、服を着替えていてはっとする。僕、もうすっかりこの家の主人を務める気じゃないか。
 スツルム殿の事はどうするの? 何があろうともうこの家には戻らない、そのつもりで十五年前、この島を飛び出したんじゃなかったの?
 何もかも、自分の思慮が浅かったのだ。お父様が死んだ時に、自分以外にこの家を継ぐ人間が居ないって事は、重々承知していたのに。せめて養子を取っていてくれたらなあ、と死んだ人間に文句を言っても仕方がない。僕にはもう、お母様と、この屋敷を支えている使用人達の生活を守る責任が圧し掛かってしまった。
 カーテンを開けると、嫌というくらい清々しい朝陽が室内を照らす。庭に咲く花は相変わらず綺麗だ。お墓参りにも行くし、忙しくなる前に摘んでおこう。それに、今日明日中はスツルム殿に構っている暇も無いだろうから、先に謝っておかないと。
 僕はスツルム殿の部屋に花を届けた後、ちゃんとした服に着替える為に自室に戻った。窓際では、お父様の分の花、お婆ちゃんの分の花、そして、僕の為の花がそれぞれ別の花瓶に刺さっている。
 スツルム殿をずっとこの屋敷に閉じ込めておくわけにもいかない。あの花が枯れるまでには、全てを終わらせて、結論を出さなければ。

* * *

 昨日は緊張していてよく見ていなかったが、目覚めて窓の外を見ると、客室に隣接する中庭には綺麗な花が何種類も咲いていた。ドラフの庭師が、丁寧に世話をしているのが見える。
「スツルム殿」
 ノックの音。返事をすると、ドランクが赤い花を束にして活けた花瓶を抱えて入ってくる。
「ごめんね、今日は忙しくてあまり構えないかも。でも、スツルム殿の方にも喪服やドレスの採寸で人が来るんじゃないかな。喪服が間に合ったら、午後からお墓参りに行こうね」
「わかった。無理するなよ」 
 ドランクは苦笑して去っていく。残された花を見た。ドランクから花を貰うなんてな。
「スツルム様、朝食をお持ちいたしました。済みましたらベルを鳴らしてお呼びください」
 使用人の声が聞こえる。あたしは諦めた様な溜息を吐いて、ベッドから降りた。

「ドランク」
 採寸から解放されたあたしは、昼食の後には暇を持て余してしまった。使用人に無理を言って、書斎へと案内してもらう。
「スツルム殿」
 ドランクは大きな棚の前に立って、何やら書類の綴じられたファイルを手早く捲っていた。あたしの姿を捉えて、その手を止める。振り返った動きで耳のピアスが揺れた。
「ごめんね、暇でしょ? 書庫になら案内できるけど、スツルム殿あんまり本読まないもんねえ。面白い本がある訳でもないし」
 言いながらあたしにソファを勧める。書類を確認するのを再開した。あたしは邪魔にならない様に、黙って腰を落ち着ける。
 確かに、暇だな。体も動かせないし。屋敷の背後にある森は駄目だが、建物の中と整備されている庭は勝手に歩き回って良い、と言われてはいたものの、広すぎて迷子になるのが不安だ。
 あたしには目もくれずに仕事を続けるドランクを眺める。ラベンダー色の服に身を包み、髪を結っているその姿は、あたしが昔憧れた都会の匂いのする男の面影を残していて、少しときめいてしまった。耳に残ったピアスだけがその格好に不釣り合いで、それでも約束通り外さないでいてくれている事に安堵する。
 きりが良い所でドランクはファイルを閉じ、机の前の椅子に座って休憩した。何を話そうか、悩んでいる素振りを見せる。
 ……今はゆっくり悩めば良いと思う。家に着いて、昨日の今日だ。あたしは他愛無い話でもしてやろうと考える。
「その服――」
「ああ、昔とサイズ変わってなくて着れたんだ。でもちょっと色が明るいかなあ。歳を考えたらもっと落ち着いた色の方が良いよね」
 似合うぞ、と言いたかったのに、長々とした返答に掻き消されてしまう。でも、いつにも増して喋る事が多い時は、あまり話しかけてもらいたくない時だ。あたしは再び黙り込む。
 ……まあ、父親が死んだんだもんな。折り合いが悪かったようだが、思う所は色々あるだろう。
 ドランクが机の上の書類をめくる音がする。あたしは目を瞑り、ソファでうとうとし始めた。
 また少しだけ、こんな生活も悪くないんじゃないか、と思ってしまう。子供が居たら、あたしはその子達の世話をしているし……。
 ……子供、か。異種族だからドランクとの間には望めない。だから異種族でも子供が授かれる技術が無いか探そう、と旅を続ける事を決めた日は、まだそんなに遠い過去ではない。
 本当に二人の間の子供じゃないと駄目だろうか。適当なエルーンの子供を養子に取ったら、全部丸く収まらないか? ああ、それともあたしが捨てられて、ドランクには若いエルーンの女が宛がわれるのかな……。
「失礼致します」
 半分夢の中だった思考は、使用人のノックで霧消する。
「旦那様とお客様の喪服のご用意が出来ました。お墓の方へ参られますか?」
「ああ、うん、よろしく。スツルム殿の着替えは、誰か手伝ってあげて」
「え!? 服くらい、自分で――」
「って言ってるけど、多分音を上げると思うから部屋の外で誰か待機しといてねー」
 ドランクがあたしを何も知らない奴扱いするのが気に食わなかった。が、部屋で喪服を受け取って数分後、結局あたしは下着の着け方も解らず、背中のボタンや紐についてはそもそも自力で着られるような構造にはなっていない事に気付き、廊下で待機していたメイドを呼んだ。

「歩きにくいでしょ? 足痛くなったらすぐ言ってね」
「いや、前に履いてた靴も、踵が高かったからそうでもない」
 どちらかと言うと、腰を締め付けている下着の方が苦しい。
「そうだっけ。確かに、突然スツルム殿小さくなったなーと思ってた」
 刺してやる、と思って腰に手を伸ばしたが、そこには質の良い黒い布があるだけだった。
 あたし達は屋敷を出て、背後の森の中の道を行く。暫くすると、木々が開けて墓石が立ち並ぶ場所に出た。
「……全部縁者の墓か」
 墓石に彫られた名前を確認していく。
「此処は先祖代々のお墓。この森……というか島の半分くらいは、うちの敷地だからね。ちなみに、あそこに見える島もうちの土地だよ。農家に貸し出して畑や牧羊地にしてる」
「……地主?」
「まあそんな感じ」
 それにしても規模がでかい。本当に、別の世界の住人だ。
 真新しい墓石に近付く。ドランクが持ってきていた花束の一つを供え、跪いて祈った。あたしも倣う。
「結局、最後までお話しできなかった」
 立ち上がったドランクはそう漏らす。踵を返すと、更に森の奥へと進んだ。
「お婆ちゃんのお墓は崖の方にあるんだ。[ふね]を置いてある場所の近くだったんだけど、暗くなると危ないし、とりあえず家に寄るのが先かと思って」
 半分獣道の様な道を抜けると、雲海が眼前に広がった。崖の近くにぽつん、と一つだけ、墓石が白い花に囲まれている。
「改めまして。ただいま、おばあちゃん」
 ドランクは先程父親の墓にしたのと同じように、花を供え、膝をつく。
「こちらね、いつも話してるスツルム殿」
 まるでそこに生きている彼女が居るかのように語りかける。ドランクは、心の何処かでまだ、彼女が死んだ事を受け止め切れていないのだろう。
 二人で長い祈りを捧げる。目を開けてドランクの顔を見ると、目が合った。気まずくなって目を逸らすと、地面に咲く花が目に入る。
「……この花、トラモントに咲いていた……」
「うん。僕が種持ってきて植えちゃった」
 話しながらドランクが立ち上がったと同時に、突然森の木の陰から武器を持った男が飛び出してきた。
 ドランクは喪服の背中に隠していた短刀[ナイフ]を抜く。丸腰のあたしを庇って男に飛びかかり、肩にナイフを刺して男を地面に釘付けた。
「ドランク!?」
「墓前だからね。大人しく退いてくれたら命までは取らないよ」
 言いつつもドランクは男の肩に刺さったナイフを踏みつけ、懐から拳銃を出して顔を狙う。
「尤も、そうしてほしいってんなら、そこから空の底に落としても構わないけどねえ」
 あたしは男の武器が手から離れている事を確認した後、周囲を警戒した。一人、森の中から此方に銃を構えているような気配がする。でも、あれ……。
「ぐぁっ……お、お前は……」
 傷口を広げられ、呻いていた男がドランクの顔を見て驚愕する。首を傾げてあたしの姿も捉え、確信した風な表情になった。
「あっれ~? 僕達の事知ってた?」
 ドランクは足を外す。男は肩を庇いながらドランクと距離を取った。
「じゃあこの事も覚えておいてね。森の館の当主は僕だから」
 そのままドランクは男を逃がした。男が残していった武器を、念の為空の底に蹴落とす。屋敷に戻ろうと二人で森に入ったところで、拳銃を持った若いメイドが姿を現した。
「申し訳ございません。墓石に当たりそうで、撃てませんでした……」
「ぜ~んぜん大丈夫~。僕達こういうの慣れっこだから。ね! スツルム殿」
「ああ……」
 しかし、ここ家の敷地内の筈だろ? あたしのその疑問が聞こえたかのように、ドランクはあたしとメイドを連れて歩きながら話し始める。
「土地が広すぎて警備が追い付いてなくてさ。定期的にあるんだよね、強盗騒ぎとか、暗殺未遂とか。今ならお母様が、僕があの崖に行く度に凄く怒ってたのが解るよ。子供の僕なら、誘拐するのも難しくないし」
「あの、始末しなくて良かったのでしょうか……?」
 メイドがおずおずと尋ねる。
「寧ろ、この家の主人が『傭兵のドランク』だって知れ渡った方が多少は楽だとは思うよ。顔見ただけで逃げ出された事もあるもんねえ?」
「いや……あれはお前がその前に締めてただろ……」
「ま、とにかく。お父様が死んだから、隙を突けると思って、暫くはこういうの増えるだろうなあ……」
 そしてあたしの顔を見る。
「当分の間は警備を増強した方が良いね。それこそ、傭兵を雇ったりしてさ」

 そうしてあたしは、この屋敷に滞在する間は客人兼ドランクの護衛という事になった。
 とは言え、ドランクの護衛なんていうのは務めてもう長い。それに、今日明日中はドランクが館から出る予定は無く、建物の方の警備は元々厳重なので、特段あたしの行動が変わるという事は無かった。
 一応何着か用意された、サイズの合う煌びやかな服を、仕事に差し支えるから、という理由で着るのを断れたのは幸いだった。喪服を着ていて解ったが、あれは見た目の為に体に負担を強いすぎている。
「明日のパーティーでは、それ相応の恰好をしていただきますからね。勿論、剣は携帯できるように造りを工夫するよう言っておきます」
 ドランクの母親にはそう釘を刺されてしまったが。
「まあまあ。折角仕立ててもらったんだし、明日一日だけの事だから、ね?」
 夜、ドランクはあたしの部屋を訪ねてきて、弱音を吐いたあたしを宥めた。
「ごめんね。僕の手が空いてたら、お作法とか色々教えてあげられるんだけど」
「……お前が謝る事じゃない」
 ドランクだって、好きで上品に振る舞っている訳ではない事くらい、知っている。
 彼はこのタイミングで、母親と無用な衝突を起こすのは得策ではないと思っているだけだ。夫を亡くしたばかりの女に精神的な負担をかけて状況を拗らせるくらいなら、少しの間自分が我慢して、落ち着いた頃に話をするつもりなのだろう。
 ……と、あたしは期待している。
「あ、そうだ。明日は舞踏会もやるって言ってた。スツルム殿、踊れる?」
「何を?」
「社交ダンス。僕、最初はスツルム殿と踊るつもりだけど、その後は他の人とも踊るだろうから、そこは承知しといて。ていうか、まずいな、僕多分取り合いになるな……」
「ド、ドランク」
 ドランクは何やら他の懸念点を見つけたようだが、あたしはそれより前に示された問題に不安になる。
「そんなのあたしが踊れるわけないだろ……! あたしは踊らない!」
「うーん、そうもいかないんだよね」
 言うとドランクはあたしを立ち上がらせる。左手であたしの右手を握り、右手はあたしの背中に回した。
「舞踏会っていうのは、要はお見合いパーティーだからさ。ちゃんと紹介できてないけど、婚約者[フィアンセ]と一度も踊らないなんて、今後の事を考えるとちょっとまずい。それに今頃、年頃の娘さんが居る家では、躍起になって僕と踊らせようとしてると思うなー」
「そ、そういうものなのか……?」
「そ。踊り方教えてあげるね」
 ドランクが脚の動かし方を指示する。
「流石はスツルム殿。上手上手」
 褒められたがあまり嬉しくない。これ、互いの距離が近すぎないか? 恋人でもない相手と踊るのか、これを……。
「スツルム殿は、嫌なら僕と踊った後は休んでて良いよ。僕は主役だし付き合いもあるし、断れないかな……。誰か一人と踊って他と踊らないとなると、贔屓になって良くないからずっと踊ってると思う」
「上流階級も大変だな」
「理解が得らえて何より」
「……お前、よく覚えてるな。ずっと踊ってなかっただろ」
「うん。成人式以来かな。あの時も一晩中踊らされたから……意外と体が覚えてるもんだね」
 言ってベッドの近くに来た時、ドランクがそのままあたしを押し倒す。
 戯れに、本当の名前を呼んでみる。ドランクは困ったような顔で笑った。
「今此処にいるのは、『ドランク』なんだけどな」
 その言葉に安心して良いのだろうか。判らなかったが、落とされた口付けは、いつもの様に優しかった。

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